香りを纏う。
わたしの周りに、
わたしの香りの空気が揺れる。
爽やかさ、甘酸っぱさ、強烈さ、柔らかさ。
だれかが、わたしの香りを見つけてくれる。
どこかで、わたしの存在を見つけてくれる。
その一瞬だけでも、
わたしは誰かの中で生きている。
毎日会うあの高校生に、駅員さんに、眼鏡の彼に。
わたしが生きられる場所を、
少しだけ、貸してほしいのです。
蝶よ花よ、そう言って人を愛でるのは、
蝶が花の周りを舞っている様を
美しいと感じるからだ。
電気屋のテレビに写っているような花畑なんかは
その例だろう。
では、蛾よ草よ、と言うとどうだろう。
似た形をしていても、全くの別物になる。
手入れのされていない林などを思い浮かべてしまう。
「少年の日の思い出」に出てくる
クジャクヤママユは珍しい蝶だと名高いが、
その実、蛾である。
そう聞くと途端に美しくなくなったような気がする。
私の頭の中の蝶は、リアルな生物の姿ではなく、
"美しい"の象徴として存在しているのかもしれない。
病室は、白い。
アルコール消毒の匂いも、カーテンの揺れる音も、
僕を包み込む全てが白い。
だから、真っ黒い服の彼だけが
僕の世界を染めるただ一つの色だ。
毎晩消灯時刻になると枕元に現れて、
僕が眠気に誘われるまで話をしてくれる彼。
おやすみ、また明日。
そう言っていつものように目を閉じる。
けれど今日は返事がない。
不思議に思って開けようとした目に、
真っ黒な彼のマントが被せられた。
少しの間の後、ああ、また明日。と、
素っ気ない声が返ってきた。
そしてそのまま、彼の気配は夜の闇に溶けていった。
翌日、僕の部屋には新しい色が加わった。
いつも君がいた場所には、色とりどりの千羽鶴。
ふと、昨晩の会話が頭に浮かぶ。
「知ってるか?虹色を混ぜると黒になるんだぜ。」
どうやら僕の死神は、随分と優しい人のようだ。
明日、もし晴れたら。
あなたはここを去ってしまう。
二人きりの空間に閉じ込めたのは、あなたなのに。
あなたの声が、わたしを怖い音から守って、
あなたの色が、わたしの世界を埋め尽くして、
あなたの息が、わたしの頭上を揺らしていって。
それなのにあなたは、いとも簡単に離れていく。
今この瞬間だって、
ふっと目を開ければ、あなたはもう
溶けて消えてしまっているんじゃないかって。
溢れる涙も、あの雨のように、
いつかあなたの一部になるのなら。
どうかこのまま、雷雲よ。