めでたしめでたし!で終わる物語を信用できずに生きることは、どれだけつまらないんだろうって思いながらもそのまま過ごしている。ハッピーエンドの向こう側に幸や不幸があるのなら、物語に『Ⅱ』を求められる悲劇を思ってしまう。
あのとき彼らが頑張って掴み取った平穏は、幾数十年で当たり前のものになってまた振り出しに戻っていく。輪廻転生。ものごとが遍く流転するような不変の悲しみの中で、いつか手を取り合う輪を抜けて一人になれる日を案外救いと呼ぶのかもね。
終わらないものを求めている。ないからいいんだと思うよ。できるだけ真っ白なものを求めながらべたべた握ってるみたいに。
もっと知りたいな。楽しいこと全部を頭の中に詰め込んで、一人きり空の下の世界をみんなまとめて救ってしまいたいな。人の智を超えた存在になって誰かの涙を消せたら生きやすい世界になるんだろうな。
誰もに素敵な明日が待ってるわけじゃないからいらないことを覚えてしまう。悲鳴は鼓膜から離れないし。何十回の幸せに迎えられた道でも誰かへの餞一つで悲惨な場所に思えてしまうから。
明るい今を知りたいな。優しい言葉をすべての人が受け取っていないなら幸せに価値はあるんだろうか?君の明るい今を知りたいな。幸せなことを語られても未来を憂いてしまうからこそまだ幼いんだろう、と、思った。
なんたって浅い繋がりを軽んじていってしまうんだろう。心と心の深いところで絆ぐものばかりじゃないでしょう。「あなたの全てが欲しい!」ほど、どうも欲しがりになれないから。もっと清潔な情をしていたいよ。
奪いたい気持ちがないならこんなに時間を裂いていてらんないよ。これが自惚れじゃあないと自己虐待になっていけないし…。君にとって意味のある時間かなって思っているくらいの傲慢さがないとね。
愛よりは謳ってみたくなるな。『キズナ』って言葉は少し前聞いてちょっと辟易してたけど…苦しい思いを美化するときの常套句は呑まないでいたいね。みんなで苦しむ必要なんてないんだから。
君の手の中で音が踊っている。魔術師みたいだね、って我らながら思っている。別に永遠がなくたって。すぐ悲しいって誰かに傷けられているみたいだけどさ。一人になるのが、下手くそみたいだから、どうにかうまいこと笑顔でいてくれますように。
少し誰かに気に入られなくたって、君の価値が損なわれるわけじゃあないのに。自分がなんなのかわからなくなるなんて、本の中の話だけじゃやっぱりないんだなぁ、とかさ。
そういうのって生来持って生まれたもので決まるの?それとも育ちが悲しかった証左なの?どちらにせよそうでなくてよかったって思うのなら、君を下手に見るような人間だとしたら笑い草だ。
たった一掴み残った希望に縋っている。足の先が僅かに処刑台を掠っている。朝目が覚めるよりは辛うじてマシな程度の『痛み』…致死量だけ分けてくれる?
あなたの泣き声が耳に残っている。酸いばかり噛み締めた舌が腐っているんだね。優しい沈黙を押し流してしまった優しさはまるで踏切みたいだった。渡れないな。永遠って言葉の意味を知らないで使っていた子供の頃に戻れないな。戻りたいの?あの許しがたい過ちの日々に。
『絶望』って呼びたいのを迷って口に出した『希望』の音読が苦々しいばっかりだったのをよく覚えている。嘘つきになって、裏切りになって、みんなが笑っていたのが救いだったとしたってたぶん誰かは泣いていたんでしょう。
「【問】しあわせな人間は存在していいんだろうか?」
誰かを抱きしめるためにあるんだって言っていた…それは、あなたが悲しい人だから言えるんじゃないのかな、って思いながら、「生きているだけで傷つけてごめんなさい」の立場のまんま誰が安らげるんだろう?
だけど、それはせめて、少しでも(明日なんて来なければいいんだ!)って、子どもたちが泣かない世界であるように。