いつになったら放課後になるのかな。生まれてから死んでしまうまでの間に、課されたものから放たれるときって、いつになるの。優しい人になりたいね。壊れるくらい、優しく生きていきたいね。
魔法が使えたら、自分のこと許せるんだと思う?身を切って戦って、偉いねって言われない人がいて、それもどうにもできなくて、ごめんね。代わってあげられないし、そんな力もないし。
いつになったら放課後になるのかな。微笑んでから泣いてしまうまでの間に、使命を忘れていられる戦士が何人いるの。助けてあげられなくてごめんね。それを愛せるような柔らかさもないけど、がんばったね。って、言ってみたいなとは思う。
いつまでこんな日を続けるつもりなの。決まった言葉を貼り付けるしか手立てのないことを、心が入ってないって思われたら悲しいな。受け取ってくれないなら贈りようがない。想われてくれないなら想いようがない。
どこにいったらきみはとびきりの愛っていうのを処方してもらえると思う?出口を塞いでばかりいるの、少しずるいと思うんだよ。本当は昔流された木々が積み重なってできたダムなんだと思うけど。なんか、ごめんね。なんの力もなくて。
大切にするなんて片棒を担いだって、きみが抱えられないなら無理な話なんだって知ってるよ。今は世界一きみにいい人でいることにする。笑っていてね。なんて、とてもじゃないけど言えなかった。
夢を見ていた。からには、覚めないでくれと思った。死に至る予行練習なら毎晩しているはずなのに、昔よりも駄目な人間になったような気がして。
毎日、少しずつ、少しずつ、壊れていってしまう。いつこの胸中の如何に不誠実なのかが周目に晒されて、はりぼてに針を刺されてしまうのか、それについて恐れながら。
明かされてしまうのであれば、知られないまま終わりたい。神聖さのために生きられるほどの強さは、持ち合わせていないように思えた。そうであるなら。
叶わないことに意味のある夢だってあるのだ。できなくなっていくことばかりの時間の中で、そう。そのまま、力を込めて。どうかこのまま眠らせて。
未練がましいんだけどさ、失くしたくないものばっかりなんだ。公園の滑り台がテーマパークみたいな大きさを無くしてから、何年経ったのか考えたくもないけど。道端の草を編んで歩いて許されるのはいくつまでなんだろう。でも、ずっとそうしていたいなって思ってるのに。
置いていかれるみたいに感じてるけど、多分置いていってるほうなんだ。横断歩道は手を上げて渡ろうね。そう言って手を引く側になる。そうして、いつかは黄色い旗を持って。
過ぎ去ったあの日を想う一瞬間にも、一つ一つ世界を追い越していく。侘しさと恐ろしさみたいなものが、海に響く音みたいだ。命の波に抱かれたまんまで、どこまで置いていくんだろうな。
ねえ、あんなに綺麗に光っている星がとうに死んでいたとしたら、きみはどうやって生きていくの。何百年も何億年も前に死んだ星の断末魔を、たぶん一度は見てきたと思うんだけど。
ずうっと、明日を生きていけるんだって漠然と思っている。真実味を帯びて存在する不安や恐怖を分からなくなってしまうような病を抱えたまま、最期までいけたら、嬉しいな。
胸の中で硝子が割れる音は、たぶんずいぶん前に終わっていて、もしもきみの光がきみの断末魔だったらどうしよう、って。だからこれは、祈りだよ。砕けた星を繋いで、見ているんじゃありませんように。