嵐が来ようとも、諦めるわけにはいかなかった。
もう随分と前から、この日が来るのを待っていた。
誰にでもそんな重要な一日があるはずだけど、無情な自然によって、諦めざるを得ない経験をする事もある。
どうか、無事にその日を迎えられますように。
私達姉妹の、お祭りの定番と言えば、あんず飴だった。
あんず飴と言っても、本物のあんずの方じゃなくて、真っ赤ですっぱい、大きなカリカリ梅に、水飴を絡ませたやつだ。
並んでいる間、今年はみかんにしようか、はたまたあんずか、と毎年同じ話になるけれど、やっぱりあれしかないよね。
あんず飴の屋台は、公園の入口近くに出ていて、楽しみはあとに取っておくタイプの私達は、いつも最後に買って、食べながら帰った。
家について、舌が真っ赤になっていた事や、お皿代わりの最中を食べようか迷った事、今でも在り在りと思い出す。
子供の頃、田舎のおばあちゃん家へ泊りがけで行った時の事だ。
その日は特にする事もなく、午後にはすっかり退屈していた。
暇を持て余した私は山の方へ行ってみる気になり、一人で外へ出る事にした。
裏手の田んぼに出ると、田んぼの向こうに山が見え、そちらの方向へぶらぶらと歩き始めた。
半分ほど来た所で、他所のお宅の庭に、一匹の柴犬がいた。
じっとこちらを見つめる様子に、私も見つめ返していると、ふいに犬の身体に神様が舞い降りてきて、こう言った。
「そちらに行ってはいけませんよ。もう暗くなる。お帰りなさい。」
驚いて、改めて犬を見ると、もう私への興味を失ったのか、丸まってそっぽを向いてしまった。
今起きた事に理解が追いつかず、でも帰った方がいいと言われて、山に未練があった私は、立ち尽くしたまま、しばらく山とおばあちゃん家を見比べていた。
すると、突然休んでいた犬が立ち上がり、私に向かって吠え始めた。私は慌てておばあちゃんの家へと走り出した。
おばあちゃんの家に戻ると、心配した母が待っていて、ひと気のない田舎道を一人で歩いてはいけないと注意された。
犬がいたから大丈夫だと、自分でもよく分からない言い訳をしながら、わざわざ神様が降りてこられたということは、あのまま山に行っていたら帰って来られなかったのではないかと、ぼんやり考えていた。
その後祖父母も亡くなり、もう何年もおばあちゃん家には行っていない。
またあの場所へ行ったら、ふらりと山に行きたくなるような気がしている。そして、今度は犬も神様も、引き止めてはくれないのかもしれない。
重いものを背負っていなかった頃、誰かのためになるならば、自分一人どうなっても構わない。と、半ば本気で思った事もあった。
でも今は、顔も知らない誰かのために、自分が犠牲になるわけにはいかなくなった。
いつか独りになった時に、誰かのために出来ることがあるのなら、その時が私の番なのだろう。
鳥かごの中は安心に満ちていた。
いつも見守られていて、どんな時だって助けを求めれば応えてくれた。
それに、外に出たい時には自由に外に出してもらい、帰ればまた安心して眠った。
気儘だった。
鳥かごを出たあの日から、徐々に世界は怖いものに変わっていった。
怖いものから逃れるため、私は自ら新しい鳥かごに入り、怖いものがひとつ増える度に、少しずつ鳥かごを頑丈にした。
けれど、どれだけ頑丈にしても、あの頃のように安心して眠れる事はない。
今となっては外に出ることもままならない。だけど、これでいい。ここで少しでも生き永らえるのだ。
また外に出たいと思える日が来るかどうかは、わからないけれど。