手を取り合って生きていくのだと、本気で思っていた頃。
余裕がなければ協力など出来る訳もなく、それぞれが一人で立っているのがやっとだった頃。
手を取り合わなければ、とても乗り越えられない難題に四苦八苦していた頃。
年老いた頃には、手を取り合って、労り合っていたいと思う、今日この頃。
優越感は、たまたま他人より恵まれた能力や状況の時に感じる物だと気付く。
努力した結果、他人より勝っている事に関しては、それが当然だとでも思っているのか、優越感は感じない。
劣等感もやはり、努力では、自分の力では、どうにもならない部分で他人より劣っている時に感じる。
他人より劣っている事でも、努力すればどうにかなりそうな事に関しては劣等感を感じないのだ。
どうにもならない事で感じるのなら、どちらも無意味な気がするけれど、どちらも確かに私の中に存在している。
これまでずっと、どうにもならないと諦めていた悩みが、立て続けに2つ解消した。
一生このままだと思っていたのに、時には絶望した事すらあったのに、あまりにあっさり解消したものだから、驚き、感激、感謝、虚しさ、なんなら怒り、色々な気持ちが混ざり合っている。
行き止まりに立ち尽くしていたはずが、突然道が開ける事があるのだ。
どうにもならない事は、一旦保留にしておくというのも、長い人生には必要なのかもしれない。
気安い相手とは、短文のやりとりで会話をするように文字を打つ。
反対に、かしこまった相手や苦手な相手には、長文を送る。
通知音でお邪魔しないように。やり取りを続けなくて済むように。一件のLINEで済むように。
目が覚めると、今の自分が何歳で、今日は何曜日で、今日という日に、まず何から行動するべきなのか分からなくなる時がある。
深い眠りの中で、過去の記憶が脳内を駆け巡り、整理がつく前に目が覚めてしまったのだろう。
大抵は一瞬で現在の自分を取り戻し、今日という日に相応しい行動を始めるけれど、時折、すっかり大人になった自分と自分の近況に驚いてしまう。
そんな日は、一日中、昔の自分に戻って、未来の自分の生活を体験しているような感覚で過ごす事になる。
繰り返す日常が、少し新鮮に感じられる一日。