「ひそかな想い」
人生で初めて推しができたのは恐らく10にも満たない小学生のときだったと思う
推しなんていう言葉もない当時、テレビで放映されていた女児向けアニメのキラキラしていて一生懸命で可愛い私は無敵なのとばかりに笑うあの子が好きだった。同級生と何度もごっこ遊びをした
可愛くて自信たっぷりな彼女に憧れていたのだ。当時の私はきっとあんな風になりたかった
中学生になり、新しく出来た推しに恋をする
といっても顔がいい!かっこいい!と言った感じで推しの域は出ていない。アイドル感覚である
性格というより顔が好きであった。今だに好きだ
その後は彼を超える好みの顔のキャラクターに出会う事もなく、ある時は性格が、またある時はギャップが刺さり、またまたある時は偶然が重なり運命を感じてみたりと理由は様々だったが皆一様に憧れを感じていた
しかしああなりたいと願う事はなく、応援する立場だった
20を超えて、新しく好きになる推しは皆だいたい年下になる
この辺りから憧れより庇護欲が勝つ。美味しいものを腹いっぱい食べて欲しい。いつまでも笑顔でいて欲しい。幸せになって欲しい
おばちゃんはいつでもアナタの味方よ!
この辺りの心情の変化を興味深いなあと思う今日この頃である
「時間よ止まれ」
もしも時間を止められるのなら
8時間くらい時を止めてその時間を睡眠時間に充てたい
「ありがとう」
言葉や態度で感謝を伝えるのはとても大事だ
感謝されたくてやる訳ではないけれど
全く感謝がなく、寧ろやってもらって当然の態度をされると「この人の為にしてあげたい!」という気持ちが冷める
色々と世話を焼いていた時期は今思い出せばモラハラ被害のオンパレード。黒歴史である
片方がすり減る関係は健全ではない
「そっと伝えたい」
元々の活字好きやら、校正まがいの仕事を過去に経験した経緯もあり誤字脱字に少々敏感である
LINEでやりとりをしていると自他共に誤字脱字はちょこちょこ見かけるものだ。気をつけていても人間たまにはミスをする
「たくさん食べふる!」と言う友人に
「がんばって食べふる!」と返信することでそっと伝える
気分は女児アニメの妖精ふる
その後
友人「かわいい語尾みたいになってたふるー!」
「ココロ」
自分の子どもより
普段あまり関わりのない親戚や友人の子ども相手の方が優しく接する事ができる、あの現象は何なのか
私の心を少しモヤモヤさせる