「雨に佇む」
元々傘をさすのが面倒なタイプで
多少濡れても平気なタイプで
送り迎えの少しの時間だけだし、ちょっとくらい濡れたって平気よと雨の中幼稚園バスに手を振っていたら
同じバス停で一緒になるお母さんに無言でそっと傘を半分譲られてしまい
あ、気を遣われている…
すみません、ガサツなだけなんです
次からは傘を持っていくようにした
「私の日記帳」
最初はキャンパスノートだった
中学生の頃、キャンパスノート片側1ページに絵と文字をいっぱいに書いて1日を終えていた
しかしそれも高校生になり限界がくる
日記を負担に感じ始めた。読み返すとたまに呪詛のように愚痴を綴ってある日もあり読んでて辟易した。愚痴はもう書かない…
中学の日記は黒歴史となり、畑のゴミ焼き場で燃やした
でも日記は続けたい私は手帳の後半にあるページに目をつける。俗に言う3行日記というやつだが、私のは4〜5行くらいだ
その習慣が今までずっと続いている。書けなかった日は気合いで思い出して書いているので、毎日必ずという訳でもないが楽しく続いている
「向かい合わせ」
小学生のときの図工の時間、友達とペアを組み似顔絵を描こう!という授業があったそうだ
先生からは漫画絵を描かずリアルに描くよう指示があり、その時鼻の形も指定があったらしい
「小学生がよく描くニンニクみたいな鼻を描けって言われて描いても不細工にしかならんし、友達もキレるし理不尽」というエピソードを聞いた
絵を学んできた身として思うのは、そもそも顔に輪郭線など存在せず、ほぼ面でできているので線で描いてやろうというのが無謀である。とくに鼻なんか線で描けないから漫画だと“く”みたいな感じになってるんじゃないかと思う
化粧をするときも目や唇には線を描いても鼻には普通陰影しかつけないだろう。絵も同じである
恐らく、ニンニク鼻を描いた時点で小学生がよく描く絵にしかならないので描かれる側も覚悟しておいた方がいい
「やるせない気持ち」
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「海へ」
海が近づくと空が開ける
生まれも育ちも山育ち。どこにいても山が見える環境で育った私には、山が見えない景色は新鮮なのだ