〈お題:隠された手紙〉
手紙は誰かに届けるために書いている。
伝えたい相手に伝えたいことを書いている。
その為に色々言葉を尽くすけれど、溢れた感情が邪魔をする。惑わしてしまわぬように。
「お元気ですか」
定型分として必ず入るこの文言。
私がこの一言にどれだけの想いを込めているか、アナタはきっと気づかないでしょう。
「季節はまだ、去年の冬を引きずっていますけれど、アナタもきっと、去年を引きずっているのでしょう。私にはわかります」
こうしてアナタへの文章を書き始めるのだ。
「先日、嫌な想いや出来事を私宛に送ってくださった事を誇りに思います。」
この一文の目指す所はその解決である。されどその力が私には無いことを暗示している。
「私には遠い出来事ですから直接お力になれませんが…毒を吐き出せる場所として多少なりとも機能したなら幸です。結局その時は解決の糸口すら掴めませんでしたが、時間の経った今現在はどうでしょうか」
けれど残念ながら私の聞き方や姿勢では、産婆術的な会話はできなかった。
時間が解決する問題も多い。人間関係的な悩みも同様である。人の気持ちは移ろいやすい。
例えば、恋愛が顕著に示しているように。
時間が経てば自然消滅!ってこともある。
まぁ、そんな悠長になれるなら悩みもしないでしょう。
「相手に向き合ってばかりだと自分の道が見えないでしょうから、自分の心の赴くままに世界を見渡してはどうでしょう」
出会いも別れも春が来る。
季節が引きずっていた冬を春が終わらせるように。桜の如き儚さを胸に、独りの時間を噛み締めてください。その気持ちは次の出逢いを促してくれるでしょう。
「アナタは素敵な人ですから、心が温かい。心の冷えた人にとってはアナタから少々離れ難いのです」時には冷たくなってみたらどうでしょう。今のままだとアナタの心が冷え込んでしまう。
相手と同じ心の温度になる。っていうのは難しいに違いない。けれど、必要なのは相手の心を焦がすことではないのです。
「アナタの優しい心を、温暖に包み込んでくれる人を探しなさい。」
包んだ言葉に想いを託して、他は隠してしまいましょう。
〈お題:旅の途中〉
旅をしていると、「旅の目的地」についての質問をよく頂く。斯くいう私も旅をする前ならば同じ質問を旅人に繰り返し聞いていた。
この質問は一つ大きな思い違いをしている。
そして、それ以上に核心的な質問である。
旅を始めてから…ある日を境に私は返答を変えた。「旅そのものが旅なんですよ」と旅をして気が付いた事を意味有り気に語って聞かせることにしたのだ。
旅人にとって旅とは何か。
「今、この瞬間。この空間。この時間」この全て。それが旅で得られるモノである。お金に変え難い、時間をかけなければ得られないモノ。
旅をしてみれば、「明日に備える」ことよりも「今この瞬間をどう過ごす」かが重要だと知れる。旅の資金は潤沢ではないけれど、「旅行ではない」からこそ「苦労も苦痛も、旅人として受け入れなければならない」んだと割り切れる。
嫌な事が多いのは当然として今日を振り返る。
「今日、素敵な何かに巡り会えたか」
「話を聞いてくれる人は会ったか」
「私は健康か」
「私は今、旅を続けられているのか」
嫌な事が多いのは当然として、このどれか一つに「はい!」と答えられる今日が"悪い日"であるとは到底思えない。今日も良い日になった。
「現地の人に比べて異臭を放つ私を訝しげに見ていたか」
「特に仕事も無く彷徨っている私がやった事は悪事だったか」
「私が善意で助けた人々が私の容姿を非難したか」
「私は誰かに迷惑をかけたか」
このどれか一つに「ノー」と言える今日が「悪い日」とは到底思えない。
旅が続けられるだけの「健康」それこそが私の原動力であった。そして毎日が「最悪」でないことを旅をして証明している。
「あぁ、そうだった…」
私は旅人に出会うと必ず同じ質問を繰り返す。
「旅の途中ですか?それとも旅はもう終わってしまいましたか?」
〈お題:まだ知らない君へ〉
〈お題:日陰〉
この青空を「清々しい」と語る、そんな感性豊かな人が太陽を避けて通っている。
いつも通りの道をいつもと変わらぬ調子で歩く。ただ違うのは、空模様とその日の気温くらいなものだろう。昨日の天気はその…なんだったか。
彼の素晴らしいところを一つ挙げるならば、どんな天気でも感性が働くところだ。
彼の心が今日一日をしっかりと見据えている証なんだと思う。彼はいつも心を大切にしている。
私のように心が弱ければ、空の様々を見ても中々感情は湧き上がらない。
「心の目が濁っているから、良く空が見えないのかもしれないな」なんて彼は無遠慮に言っていた。私は私なりに一日を良く過ごしている。
今日も彼と話してみようと思う。
彼の話を最後まで辛抱強く聞けば、「昨日は楽しい一日だった」とそう言って締めくくってくれるから好きだ。たわいもない、ほんの些細な事が彼の日々を支えているんだと彼は笑って話してくれる。彼の背中を改めて見る。
なんて声を掛けたものか。
「昨日はどうでしたか?」
私は彼に走り寄って、彼に声を掛けた。
少し驚いて立ち止まった彼は一瞬の間を置いて歩き出した。
「今日も日陰を歩いているんです」
…彼は私の持ち寄った話題については答えてくれないのかもしれない。
「日陰…いつも日陰を歩いてますよね。」
私の相槌に彼はなんの反応も見せずに話を続けた。
「日陰を歩くと、太陽の下をズンズンと元気よく歩いていく人々が目に入ります。別に日陰が好きな訳ではないんですけれど、日陰の中を歩けば、太陽が照らした特別な人達が前を向いて歩いている。特別に感じるこも何か変な話ですよね。」
彼は少し照れ臭そうに笑って角を緩やかに曲がった。
「日陰を歩いて思いませんか?日陰を歩くと自分はこう思います。“太陽の温もりが背中に欲しくなる”と。この季節は特にね。…太陽の恵みなんてものは、その程度のことで充分得られるんです。だから、日陰がある場所を歩いて太陽に背中を押してもらう。太陽の下を歩いてる人達と同じく、ついに自分もその一員になる。そんな感覚を知るんです。」
そんな事を知ってどうなるのか。という疑問は、交差点へ出た瞬間に消え失せた。
「ぇ」私の小さな驚きは人混みに消える。
太陽の眩い光が暖かい。
人肌を求めた指先が、太陽に包まれる感覚。
太陽への有り難みが体に染みる。
じんわり。
これが彼が日陰を歩く理由。
“太陽の恵み”なんて良くわからない何かに心が絆される感覚を知った。
「ねぇ?暖かいでしょう?これが日陰に身を落としたからこそ抱ける…小さな幸せです」
「小さなしあわせ…」
空を見て心を動かせる彼を魅力的に感じていた私が、この瞬間だけは晴れ渡る空に「清々しい」という彼の言葉に心から共感できた。
〈お題:小さな勇気〉
勇気って何?恐怖に打ち勝つことですか。
ならば私は、蛮勇しか知らない。
勢いに任せて飛び込んで走り出す。
それだけが取り柄でもある。
惰性で走ってますかね。
えぇ、無謀なことも繰り返せばきっと…。
後悔はしている。人生を振り返れば、後悔の上塗りで今を生きている。そればっかりです。でも、そう…慎重になってみました。
後悔を辞めたくて、慎重になりました。
でも、後悔が止まりません。
あぁ、何度立ち止まっても変われません。
そうですね。臆病になっているだけかもしれません。立ち止まると後悔に襲われるから。だから勢いに任せて生きて来たのです。
走り出したら止まらない。止まれない。
転んだ時にだけ、少しばかり猶予が出来る。
同情の猶予が。時間が経てば失われる安息の地。遠退く居場所。追い掛けて走る。進む速さに自分が付いていけず、様々を取りこぼしてしまうのです。
ですから、どうか私が倒れ伏さないように支えてくださいませんか。息が絶え絶えで、声も出せないんです。背後が怖いんです。
そうですね。私に引き返す勇気をください。