ナナシナムメイ

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〈お題:日陰〉

この青空を「清々しい」と語る、そんな感性豊かな人が太陽を避けて通っている。
いつも通りの道をいつもと変わらぬ調子で歩く。ただ違うのは、空模様とその日の気温くらいなものだろう。昨日の天気はその…なんだったか。

彼の素晴らしいところを一つ挙げるならば、どんな天気でも感性が働くところだ。
彼の心が今日一日をしっかりと見据えている証なんだと思う。彼はいつも心を大切にしている。
私のように心が弱ければ、空の様々を見ても中々感情は湧き上がらない。
「心の目が濁っているから、良く空が見えないのかもしれないな」なんて彼は無遠慮に言っていた。私は私なりに一日を良く過ごしている。

今日も彼と話してみようと思う。
彼の話を最後まで辛抱強く聞けば、「昨日は楽しい一日だった」とそう言って締めくくってくれるから好きだ。たわいもない、ほんの些細な事が彼の日々を支えているんだと彼は笑って話してくれる。彼の背中を改めて見る。

なんて声を掛けたものか。
「昨日はどうでしたか?」
私は彼に走り寄って、彼に声を掛けた。
少し驚いて立ち止まった彼は一瞬の間を置いて歩き出した。
「今日も日陰を歩いているんです」
…彼は私の持ち寄った話題については答えてくれないのかもしれない。
「日陰…いつも日陰を歩いてますよね。」
私の相槌に彼はなんの反応も見せずに話を続けた。
「日陰を歩くと、太陽の下をズンズンと元気よく歩いていく人々が目に入ります。別に日陰が好きな訳ではないんですけれど、日陰の中を歩けば、太陽が照らした特別な人達が前を向いて歩いている。特別に感じるこも何か変な話ですよね。」

彼は少し照れ臭そうに笑って角を緩やかに曲がった。

「日陰を歩いて思いませんか?日陰を歩くと自分はこう思います。“太陽の温もりが背中に欲しくなる”と。この季節は特にね。…太陽の恵みなんてものは、その程度のことで充分得られるんです。だから、日陰がある場所を歩いて太陽に背中を押してもらう。太陽の下を歩いてる人達と同じく、ついに自分もその一員になる。そんな感覚を知るんです。」

そんな事を知ってどうなるのか。という疑問は、交差点へ出た瞬間に消え失せた。
「ぇ」私の小さな驚きは人混みに消える。
太陽の眩い光が暖かい。
人肌を求めた指先が、太陽に包まれる感覚。
太陽への有り難みが体に染みる。

じんわり。

これが彼が日陰を歩く理由。
“太陽の恵み”なんて良くわからない何かに心が絆される感覚を知った。

「ねぇ?暖かいでしょう?これが日陰に身を落としたからこそ抱ける…小さな幸せです」
「小さなしあわせ…」
空を見て心を動かせる彼を魅力的に感じていた私が、この瞬間だけは晴れ渡る空に「清々しい」という彼の言葉に心から共感できた。


1/30/2025, 5:58:36 AM