その時脳裏によぎったのは、両親が離婚してから一度も会っていない父親の事だった。
私の父親はその業界ではそれなりに有名な脚本家で、有名なドラマや映画の作品に何度も関わっている、自慢の父親だった。
私はそんな父親が大好きで、将来は父親のような何らかの物書きになりたいと思っていた。
しかし、私が小学校高学年の時、父親は業界の中で大きな失敗をして、脚本家であることが叶わなくなってしまった。それからほとんど間をおかずに、両親が離婚。私は母親の方に引き取られた。
バスにゆられながら、その後の事をぼんやり思い出す。
母親は父親と正反対で、平凡な人だった。
私に特に口うるさく言う事なく、でも学校の行事にはほとんど来てくれて、パートで忙しくしながら一人で私を育ててくれた。
私が高校を卒業して県外の大学に行きたいと言った時も反対しなかったし、家を出てからも定期的に仕送りをしてくれた。
私は母親が嫌いでは無かったが、父親以上に好きという事も無かった。多分、幼い頃に理由もちゃんと説明されずに父親と会えなくなったのを母親のせいだと思っていたのかもしれない。
大学を卒業してからは地元に帰らず、バイトをしながら創作活動をして、そのうちのひとつが賞を取り、私は運良く小説家になれた。
それから10年書き続けた。ドラマや映画となったものもあった。それに思うところはあったけれど、それでも書くのはやめなかった。
しかし、先日、健康診断の異常から病院に行き、癌であることが発覚した。幸い初期であったため命に関わる可能性は低いが、手術をしなければならない。真っ白になった頭の中に真っ先に浮かんだのは、父親が机に向かっている姿だった。
だから私は今、病院から出てそのまま父親の住んでいるところに向かう電車に飛び乗った。だから、というのがおかしいのは自分でもなんとなく分かるが、家に帰る気にはなれなかった。
そして電車からバスに乗り換えて、今、父親が住んでいるであろうアパートの部屋前に立っていた。
何を話そうかは考えていない。ノープラン。でも、何故か会わないといけない気がした。
そして、私は―――。
「………。」
私は何も言えず、ぼうっと駅のベンチに座っていた。幸い、私に話しかけてこようとする人はいなかった。
父親には会えた。シワが増えたり、髪の色が変わったりしていたが、面影はあの頃のままだった。
父親は離婚した時の事を教えてくれた。
最後に書いた作品が、世の中で大きく炎上した後。インターネットのどこかから、父親の個人情報が流出したらしい。そして、私は知らなかったが、家にも嫌がらせが来ていたらしい。
私に取り返しのつかない被害が起こったら。それを恐れた両親は、離婚することで少しでも私への被害が来ないようにすることを考えたらしい。
父親は私にも説明しようと言ったが、母親が「あの子の夢を大人の都合で暗いものにはしたくない。あの子の憧れは、私が守ります。」と言ったらしい。
それを聞いて、私は何も言えなかった。
父親に、癌のことはついに話せなかった。昔は何だって話せていたのに、不思議なものだ。
そして今、脳裏に浮かんでいるのは、大学を卒業してから一度も連絡を取っていない母親の事だった。それは父親よりも鮮明で、鮮やかなものばかりだった。
私は立ち上がり、切符を買って改札を出る。空はオレンジに黒が混ざり始めていた。
どうしたいかは、相変わらず浮かばない。それでも私は、母親の所に向かう電車に乗った。
今から向かえば、着くのはきっと深夜だ。絶対に驚かせるだろう。でも、何故か、母親にならば癌の事もちゃんと話せてしまう予感があった。
目的地まではまだ長い。走り出した電車の揺れを心地よく感じながら、私はそっと目を閉じた。
今日は少し、俺の友人の話に付き合ってほしい。
俺は物心ついた頃から今まで、ある程度平凡な日常を送ってきた。家族仲は良い意味で距離感のある関係だし、学校での友人も多すぎず少なすぎず。勉強も自分なりの程々にしているし、部活もそれなりに真剣に取り組んで、バイトもいくつか経験した。
そんな自分が唯一少し平凡じゃ無いと言えること…それは、俺に変わった友人が居るということだ。
そいつと俺は、小学生からの仲だ。仲良くなった理由は…覚えてない。俺は気付いたらそいつに自分から絡みに行って、気付いたら自然と隣りにいても違和感の無い仲になっていた。
そいつは周囲の人間から『フシギ』やら『フシギくん』と呼ばれていた。誰が言い出したかは分からない。そいつの本名を少しアレンジしたシンプルなあだ名だったし、本人も特に気にしてはいなかった。何より、そのあだ名はそいつをよく表していた。
そのエピソードのいくつかを語らせてほしい。
まず、『フシギ』は小学生の時、急に校舎の3階から飛び降りようとしたことがある。慌てて止めた先生が訳を聞くと、「光をどうにかしてつかめないか考えていたから」と言ったらしい。
もうひとつ小学生の時のエピソードで有名なのは、運動会の借り物競走で当日に予定していた用紙を全部白紙にすり替えて、競技自体を中止にしてしまったものだ。そいつが言うには、「人のハプニングに対する対応の違いが見たかった」とのことだ。もちろん、後から先生や親にこっぴどく怒られたそうだ。
中学生の時、俺は『フシギ』とは一度も同じクラスにはならなかった。だから、その頃のそいつとは小学生の時ほど関わってなかったけど、そいつのクラスで1つの授業を全員がサボる事件があったらしい。詳細は今でも分からないが、『フシギ』がなんか仕掛けたんだろうなぁ…と、彼をよく知るものは思っただろう。これの理由に関しては、俺は今でも知らない。
高校生の時、『フシギ』とは違う高校だったのだが、2年生の時に同じ高校に転校してきた。何故か、元々の学校より偏差値の低いここに。どうやら、ここじゃないとやりたいことが出来なかったらしい。
その2年生の文化祭で、『フシギ』はある事件を起こした。全校生徒が集まる作品発表の場で急に壇上に上がり、アニメと科学の関係についての公開実験を行った。そして俺も照明や効果音なんかで一枚噛んだ。関わった奴らは『フシギ』や俺も含めて反省文を書かされたのだが、卒業した今でもそのエピソードは語り継がれているらしい。
そして縁があってか、俺と『フシギ』は大学も同じだった。学科もサークルも違ったりしたが、『フシギ』が何かを思いついて、俺に相談してきて、俺がそれを陰ながら手伝う。そしてそれのいくつかは大事件一歩手前になったりもした。
そうして俺はいつからか、『フシギ』とセットで話題に上がるようになった。でもそれは、俺にとっては嫌なことでは無かったりした。
大学を卒業して数年後。俺は平凡な営業の会社員として日々を過ごしていた。
そんな中、『フシギ』と久しぶりに会った。理由はお祝いだ。
『フシギ』は学生時代に企業からスカウトされて、どこぞの研究員として働いていた。そして先日、そいつのしていた研究がその分野の中だと有名な賞を受賞したそうだ。
「賞をとった感想は?」
「こんなの、僕にとっては意味のないものだよ。」
俺は半分驚いて、半分納得した。なんとなく、そいつならそう言う気がしていた。
「よこしまな考えの奴に、たくさんの不純物が混ざった祝の言葉を言われるより、君みたいな平凡な友人から言われる言葉の方が、僕にとってはよっぽど意味のあるものだよ。」
そう言われて、俺は自然と頬が緩んだ。そう、昔からこういう奴だった。だから俺は、こいつの友人を辞められなかったんだ。
嬉しくなったからか。俺は自然と、口から言葉を発していた。
「なぁ…俺、やってみたいことがあったんだ。」
「君がそんなこと言うなんて、初めてだね。」
「実はさ、高校の時にお前を手伝ってから、ずっと映画を作ってみたかったんだ。」
「そういえば、君、大学で映画研究会サークルに入ってたね。」
「まぁ、見る専門の奴しかいなかったから、言い出しにくくて…でも、密かに、今でも忘れられないんだ。」
「そうか。じゃあ、やってみようか。」
「はぁ⁉」
俺は驚いた。そんなあっさりと、こいつは俺が諦めていたものを拾ってきた。
「そんな驚くことかい?」
「いや……だって、そんなあっさり言われたって、すぐ叶えられるものでも無いし…。」
「でも、君は僕がやりたいことを言っても、一度も馬鹿にしなかったし、それこそ大学時代はどんなことだって手伝ってくれてたじゃないか。」
「『フシギ』…。」
「今度は、僕の番だよ。」
俺はすぐに言葉が出なかった。でも、ただ、『フシギ』の友人で良かった、と思った。
「それに…正直、今までのどんな研究よりも楽しそうだ。」
「フッ…なんだよ、それ。」
これからどうなるかは分からない。本当に叶うかも分からない。でも、それは昔からずっとそうだったし、こいつと一緒にやることならどんなに失敗したって後悔しない。そんな確信があった。
俺と『フシギ』が夢を叶えたかどうか。それがわかるのは、きっとそう遠くない未来の話だ。
「あなたはあなたらしくやりたいことをしなさい。それが私にとっての幸せでもあるから。」
私があなたのそばから離れるとき、あなたは確かにそう言った。誰もが否定した私の夢を、あなただけは見つめて、背中を押してくれた。
わたしにとって、あなたは憧れ。
わたしが欲しかったものを全部持っているように見えたあなたを嫌いになりそうにもなったけど、次の日にあなたの顔を見て、声を聞くと、もやもやはどこかに消えていってしまった。
そんなあなたが、わたしの夢を知って応援してくれたとき、言葉にあらわせない何かがわたしの心に芽を出した。
あなたが背中を押してくれるなら、何だって出来そうな気がした。
数年後。
わたしはあなたの言葉を支えに、夢を追いかけて、そして叶えることが出来た。どれだけつらくても、あなたの言葉が私を支えてくれたんだよと伝えたかった。
でも、あなたがいた場所に、あなたはもういなかった。そして、もうあなたには会えないことも、なんとなく分かってしまった。
人伝いに、あなたがわたしに残した手紙を受け取った。
そこには、あなたの優しい文字で、たくさんの言葉が書いてあった。
あなたにも叶えたい夢があったこと。
でも、諦めてしまったこと。
わたしには夢を絶対に諦めないでほしいこと。
ずっと、応援していること。
ずっと、変わらずわたしが大好きであること。
そうして、最後にひとこと。
『あなたはこれからも、わたしの憧れです。』
…わたしだって、あなたにそう伝えたかった。