ふと、1年前の事を思い出した。
あのときの自分は、高校3年生で、進学は決まっていたけど、どこの学校を第一志望にするかをまだ思い悩んでいた。
夏の間に気になった場所にオープンキャンパスに行きまくって、行った直後は「ここが良いかもな」と思うんだけど、次の日、次の日と時間が経つたびに「やっぱり他のところが良かったかも…」なんて思ってしまう。
それでも、受験に向けての勉強はするという矛盾した日々を過ごして、気付けば夏休みが終わっていた。
その年は、涼しくなるのが比較的早かった。
だから、紅葉の時期なんかも前の年より少しだけ早かった。
俺は相変わらず受験勉強とオープンキャンパスを行き来するような生活だった。両親は心配そうに自分を見てきて、担任はそれとなく決定を催促してくる。
目をそらしたくても出来ない重さの見えないプレッシャーがその頃の俺には毎日のしかかっていた。
そんな中で行ったオープンキャンパス。
今まで見学した大学とそこまで飛び抜けた特徴があったわけじゃなかったと思う。でも、悪い場所ではなかった。
ただ、その時の俺は色々な事に疲れてたんだと思う。終始ぼんやりとしながら、何処か義務的に学校紹介を聞いていた。
終わっても俺はしばらく教室の座席に座っていた。人が両手の数で数えられるほどまで減った頃に我に返り、慌てて部屋を飛び出した。
帰ったら、資料を整理して。
先生や親に報告して。
受験勉強の出来るだけの対策をして。
うつむきながらやるべきことを考えていた自分の足元に、ひらり、と何かが飛び込んできた。
それは、葉っぱ。
黄色いイチョウだった。
何気なく拾い上げて、それと同時に顔を上げる。
そこは、イチョウの並木道だった。
黄色いアーチが遠く、遠くまで続いている。
俺はしばらく、それに見とれていた。
最近は忙しくて、考え事をして、うつむいてばかりで、こうしてまわりを見ることをしていなかった。
その時、ふっと、ここに通いたい。そう思った。
何故か、この道を歩いている自分を、容易に想像出来た。
それから1年後。
俺は今日もイチョウの並木道を歩いている。
勉強していたお陰で、ハードルはそこまで高くなかった。
ふと横を見ると、顔がどことなく沈んだ学生が通りかかる。
うつむいたその姿は、きっと去年の自分とそう変わらない。
あれから俺は、落ち込んだときこそ顔をあげるようになった。うつむいていたら、良いものも見えなくなってしまうかもしれないから。
イチョウがハラハラと舞い落ちる中、俺は黄色いじゅうたんを踏みしめながら学校への道を歩くのだった。
ちょっと遅めの、冬支度をすることにした。
寒くなってきたのは分かってた。
特に忙しかったわけじゃない。
でも…ほら、物の整理って面倒でしょう?だから、ぎりぎりまで夏服に羽織ものでしのいでた。
でも、ある休みの日。
目が覚めて、体を起こしたら、くしゃみがひとつ口から飛び出して。
そうしたら、なんとなく、今日、冬支度をしないと、ってやる気が出た。
早速部屋の隅に置いてる収納ボックスを引っ張り出して、中身を全部取り出し、半分ほど洗濯機に突っ込む。
洗濯機のゴウンゴウンという音が聞こえ始めたのを確認して、夏服のエリアに取り掛かる。
私のマイルール。
服をしまう時に、来年着るものと処分するものを決める。
着るものは収納ボックスへ。着ないものはリサイクルショップかごみ袋へ。
確か去年の夏は結構リサイクルショップへ持っていった。だから、今年の夏はいつもより多く夏服を購入した。そんなことを思い出しながら、テキパキと夏服を収納ボックスにしまっていく。
それでも、着ないものは出てくるもので。
今年は2着だけ、収納ボックスに入らなかった。
ひとつは、もう5年以上は履いてたジーンズ。全国的に有名なお店で購入して、毎年よくはいてたんだけど、ある日。
しゃがみこんだ拍子に、ビリッと、音がした。
慌てて確認すると、左膝のあたりがぱっくり裂けていた。ショックだったし、ひとつのオシャレだと思ってはこうとしたんだけど、見るたびに悲しい気持ちになって、結局はくのを避けるようになっていった。
「今まで、ありがとうね。」
そう呟いて、ごみ袋に入れる。なんとなく、売る気にはなれなかったから。
もうひとつは、今年に道端で立ち寄ったお店でオススメされて買った、花柄のワンピース。試着したときはワクワクしたし、家の鏡で見たときも悪くないと思ったんだけど、外に出ると違和感があった。
夏の暑い日差しの中で服を見ると、何だか自分が色褪せた気がした。決して、そんなことはないはずなのに。
この夏、何度も着たけど、違和感が拭えることはなかった。だから、迷ったけど、リサイクルショップに持っていくことにした。
きっと、この服を明るく着こなせる人が持っていたほうが、私も幸せになれると思ったから。
「……よし。」
誰にとも無くうなずき、収納ボックスの蓋を閉じる。
それと同時に、洗濯機の終了音が鳴る。
私は感傷と高揚を胸に立ち上がる。
さて、この冬は、どんな服に出会えるかな。
ふと時計を見ると、時間は日付が変わるまで1時間をきっていた。私はそれに気付くとスマホの電源を落とし、机の引き出しから砂時計を取り出した。
この砂時計は、数年前に旅行先で見かけて購入したものだ。砂が入っているガラスには、海に関するイラストが可愛く散りばめられていて、それが気に入っていた。
そして気付けば、1日に1度は砂時計をひっくり返し、砂が落ちきるまで何もせずに過ごすのがルーティンとなっていた。
砂が落ちきるまで、ピッタリ5分。
私は砂時計をひっくり返して、それから机にうつ伏せになり、目を閉じる。
初めに聞こえるのは、やっぱり砂の音。
サラサラサラ、と耳に心地よく流れていく。
それから、換気扇の機械的な風の音。
寝る前に切らないとなぁ、なんてぼんやり思う。
次に、外の雨の音。
どうやら小雨がいつの間にか降っていたらしい。
遠くでカエルの声も聞こえる気がする。
人工の音と、自然の音。
そしてその中間とも言える砂時計の音。
音に包まれているこの5分間だけは、現実の悩み事から遠ざかり、ただ音だけに集中していられる。
自分の身近にある音はいつもはここまで意識して耳に入り込んでこない。だからこその、特別な時間。
サラサラサラ…と砂が落ちきり、聞こえなくなる。
そこで私は、ゆっくりと目を開く。
あっという間の優しい時間。私にとって、必要な時間。
砂時計を引き出しに戻して立ち上がる。
明日はどんな日になるのかなぁ、なんてぼんやり考える。
外では小雨がかすかな音で降り続けていた。
芝生に寝転がると、雲ひとつない青空だった。
でも、個人的には、雲が少しあるくらいの空が、私は好きだった。
この季節にはよくある天気だけど、雲がなさすぎると正直外に出るのは億劫になる。じゃあ、なんでそんな天気の中芝生に寝転がっているか。
それは、私が今仕事から逃げてきたからだ。かといって、家に帰る気分でもない。だから、目についた人気のない芝生広場に立ち寄った。
普段はこんなことはしない。虫は得意じゃないし、服が汚れたら洗濯が大変そうだし。でも、今はそんなことどうでも良かった。
少し生暖かい風がふく。私は一度起き上がって、鞄の中から水筒を取り出し、思い切りあおぐ。体の中に冷たい液体が流れて、少しだけスカッとする。
そして、もう一度寝転がる。もう、風はやんでしまっていた。深呼吸をすると、先程の冷たい液体を上書きするような空気が体に流れた。
ぼんやりと、青を眺める。その中に、あるかどうかも分からない白を探して。そんな不毛なことをしているうちに、だんだん瞼が重くなってくる。
抗おうとは、考えなかった。今はただ、追われているものから少しだけでも逃げたかったから。
目を覚ます。どうやら、夢を見ていたらしかった。
目の前には、空。黒い大空に、点々と輝きが散っている。
起き上がると、ちょうど冷たい風が吹いてきて、思わず体を震わせた。夢の中の季節とは違うのだから、ずっとこうしていては風邪をひいてしまうだろう。
鞄の中から、コンビニで買った温かいレモンティーを取り出す。仕事先で開封したカイロと一緒に入れていたからか、完全に冷たくはなっておらず、心ばかりの温かさを保っていた。
ちびちびと飲んで、息を吐き出す。その息は、白く染まり始めていた。
レモンティーを鞄にしまって、代わりにスマホを取り出し、立ち上がった。スマホはチカチカと点滅して、誰かからの着信を知らせていた。
きっと、仕事関係だろう。相手を見なくてもなんとなく分かる。でも、あの時のように逃げようとは思わなかった。
きっと暫くしたら、また電話がかかってくるのだろう。だから、それまでは少しだけ休ませてもらおうか、なんて考えながら、私はゆっくりと歩き出すのだった。
体調不良が続いているため、キープさせていただきます。申し訳ありません。