『誰かのためになるならば』
私が“誰か”と笑い合う時、
他の“誰か”は泣いているのだろう。
私が“誰か”と悲しむ時、
他の“誰か”は喜ぶを分かち合うだろう。
私は、どんなことも厭わないぐらいに、
人を愛し生きることができるのか。
誰かのために泣くことができるのだろうか。
誰かのために笑うことができるのだろうか。
私は、あなたのために、
所詮、エゴのために
何かを選び続けなければいけないのか。
誰かのためになるのならば、
私は、
得るために捨てることを、選べるのだろうか。
誰かの鳥かごの中から、広い空を見上げている。
この部屋の中では、空の広さがわからない。
私はからだを押し当てた。
檻は、開いている。
窓を飛び出し、青を目指す。
檻が小さく見えた。私は、自由だ。
光を背に受け、木々を見下ろし、風を切る。
ここに、私を縛るものは、無い。
広い空から、あなたの鳥かごを見下ろした。
あなたは鳥かごを大事そうに抱えている。
誰かがからだを押し当てている。
檻はとうに、閉じられていた。
『鳥かご』
“友達”は大切にしなきゃいけない。
だって困った時に助けてくれるからね。
なんて、使い古された、『友情』を語る台詞。
なら。それならば。こう聞こうか。
“困った時に助けてくれない友達”は、
はたして、“友達” かい?
なになに?
「困ったときはお互い様」?
ああ。そうとも。素敵な答えだとも。
なら質問を変えてみよう。
“困った時にしか助けてくれない友達”は、
それもまた、“友達” かい?
ふふふ。
あなたの『友情』って、
いったい、なあに?
花咲いて、はる。
裂かれた恋路、なつかしく。
燃ゆる胸中、あきがこず。
青無き春に、ふゆざくら。
もしも話は、もう飽きたかい?
タイムマシーンが欲しいかい?
もしもあったとしたら、
何時の誰に何したいんだい?
それとも見たい光景があるかい?
有り得た可能性に縋り、泣く今にさよならを?
はたまた、あの日感じた気持ちを、もう一度?
ああわかった。未知の何かにはじめまして?
ここで1つ聞きたくなる。
タイムマシーンを君に貸そう!と誰かに言われ、
あなたがタイムマシーンをもし使えたとして?
見たことを後悔するようなものを見たとして?
都合が悪い過去未来を見たとして?
あなたはどうする?どうなるんだい?
泣いてみるかい?怒ってみるかい?
笑ってしまうかい?
それとも、こう言うかい?
私は、今を、生きてる。
この過去があったから、今の自分がある。
もしその未来があるのなら、変えてみせる。
こんな出来事は信じない。信じたくもない、と。
いくら時間を司る機械を使ったとしても、
全員が望んだ結果が得られるとは限らない。
だがら私はこう考える。
あの日泣いた自分を、隠してはいけないのだ。
あの日笑った自分を、恥じてはいけないのだ。
あの日怒った自分を、悲しんではいけないのだ。
あの日から壊れた今を、歩まねばいけないのだ。
いくらでも分岐してしまう未来のために。
はたして、
所詮、空想の機械に、誰が、何を、求めるのだろう。
「今」を生きる人々も、
「過去」に縋る人々も、
「未来」に夢見る人々も、
等しく、皆、美しいのだ。
変えてしまった過去に、価値など、無い。
決められている未来に、価値など、無い。
それでも、
もしも、
タイムマシンがあったら、
あなたは、
どうしたい?
『もしもタイムマシンがあったら』