今、1番、欲しいもの。
欲しかったけれど、終ぞ手に入らなかったもの。
あのテレビに映るヒーローが付けていた、ベルト。
見ているだけで心が踊るような、
使ってしまうのが勿体ないような、
色鮮やかな鉛筆たち。
誰にも邪魔されない、自分だけの部屋。
あの時、欲しかった、手に入れたかったもの。
友達が皆持っていて毎日遊んでた、ゲームカセット。
赤い丸がたくさんついていた、友達のテスト。
その人を表してくれる、
お手本のように書かれた、美しく綺麗な字。
ダブルス地区大会ベスト8の賞状。
手に入れたもの。今も大事にしているもの。
遠くへ出かけた時に買ってもらったぬいぐるみ。
成績が良かった時に買ってもらったあの本。
青春を費やして叩き込まれた礼儀。
今でも欲しくてたまらない、手に入れたいもの。
いつやるのかわからない、ゲームソフト。
置く場所のない、クッション型のソファ。
あの時「幸せになって」と電話で言ってくれた君。
今、誰よりも、真剣に、一緒に、幸せになりたい人。
今、欲しいものが無いなんて言わない。
けれど泣きじゃくってまで、手足で床を叩いてまで、
貰った財布からたくさんのお札を出してまで、
誰かを困らせてまで欲しいものが、今は無い。
けれど、そうだなぁ。
やっぱり、照れくさいけど、未練がましいけど、
かっこ悪いけど、思いたくないけど、
君の愛情が、心が、欲しかったよ。
私の名前になど、意味は無いのだろう。
動物に付けられた個体認識のための記号に過ぎない。
やれ「太郎」だの「幸子」だの。
産まれおちた瞬間からの愛着のために、
私たちは、記号を、音を、付けられる。
所詮記号に、愛着を求められるのだ。
Mr.、Ms.、Mrs.、さん、くん、ちゃん、殿
多種多様の個体性別のための付加価値まで付けられる始末だ。
私たちは名前を呼ばれたら、
返事をしなければならない。
「はい」と。
だから思うのだ。意味などあってたまるか、と。
私を記号として認識する人々のために、
音で表されるもののために、
自分をすり減らしてはいけないのだ。
私は、
付加価値では無い、記号では無い、
私を見てほしいのだ。
『私の名前』