淡時間

Open App

私の名前になど、意味は無いのだろう。
動物に付けられた個体認識のための記号に過ぎない。
やれ「太郎」だの「幸子」だの。
産まれおちた瞬間からの愛着のために、
私たちは、記号を、音を、付けられる。
所詮記号に、愛着を求められるのだ。
Mr.、Ms.、Mrs.、さん、くん、ちゃん、殿
多種多様の個体性別のための付加価値まで付けられる始末だ。
私たちは名前を呼ばれたら、
返事をしなければならない。
「はい」と。

だから思うのだ。意味などあってたまるか、と。
私を記号として認識する人々のために、
音で表されるもののために、
自分をすり減らしてはいけないのだ。
私は、
付加価値では無い、記号では無い、
私を見てほしいのだ。

『私の名前』

7/21/2024, 3:53:24 AM