木蘭

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10/12/2023, 9:07:04 AM

【カーテン】

夜、少し肌寒くなった気がして目が覚めた。
すぐ横で、薄青いカーテンが時折ヒラヒラとしている。どうやら、換気のために少しだけ開けておいた窓から風が入ってきたらしい。

ベッドから起きあがろうとして、自分の寝ていた場所がひどく左に寄っていたことに気がついた。十年前からのクセが、未だに抜けていない。あの頃、右隣に必ずいてくれた人はもういない。二度とは会えない人と、寄り添っているような感覚がないと眠れない。そして毎日、目が覚めては現実に引き戻される。

あの薄青いカーテンは、あの人と二人で選んだものだ。この部屋で、ずっとずっと一緒にいられると思っていた。

ひとりぼっちを受け入れきれない今の自分と、夜風に揺れるカーテンとが重なる。揺れ動いて揺れ動いて、いつか一人になった自分を本当に受け入れられる日は来るのだろうか。そんな思いの中、またベッドの左端に身体を寄せてしまう自分がいた。

10/4/2023, 10:37:37 AM

【踊りませんか?】

いや、そんなこと言われなくても俺たちは毎日毎日踊ってんだって。

今日も、急に欠員が出ちゃってね。そんな日に限って、想定外のことが立て続けに起こるもんだから、いつもどおりってわけにはいかなくて焦りに焦っちゃって。

だからさ、今日に限らずそうなんだけど
「てんてこ舞い、てんてこ舞い」ってね。
いつも、心ん中じゃ踊ってんだよ。

でも、そんなときほど終わった後は「いやぁ、大変だったなぁ〜」って言いながら、いつの間にかその場にいる全員が笑ってんだ。

おかしいよな。さっきまで、あんなにみんなイラついて荒れてたのが嘘みたいだ。「何だかんだいろいろあったけど、まぁ楽しかったよな」みたいな空気感しか残ってない。

「てんてこ舞い、てんてこ舞い」って心ん中はバタバタしながら、それでもその状況をそれなりに楽しんでやってくんだ。それが、俺たちが誇りに思う日々の仕事だ。これがまさに「心躍る」ってやつなんだろうな。

さぁ、明日も心躍らせていきますか!

10/2/2023, 9:59:35 AM

【たそがれ】

夕暮れ時を「たそがれ」と呼ぶようになったのは江戸時代よりも後のことだという。

「たそかれ(誰そ彼)」、つまり夕方薄暗くなる頃は人の顔の見分けがつきにくいので「誰だ、あれは?」と言ったのがその語源だと言われている。

今なら誰かとすれ違っても、私だとはわからないかもしれない。ついさっき、3年付き合った彼と別れた。私から切り出したが、その直後に今までの想い出が一気に押し寄せて感情が爆発しそうだった。彼の前では何とか平静を装っていたが、背を向けた瞬間から涙が止まらなかった。

この薄暗さが、私の救いになった。
今がたそがれ時で本当によかった。

9/30/2023, 12:53:27 PM

【きっと明日も】

ホントは創作モノなんて書くはずじゃなかった。小説とかファンタジーは心底苦手だったし、この先も縁遠いものなんだろうって勝手に思ってた。

エッセイとかコラムとか、ごくごく身近な「ホントの話」を書いていくつもりだった。それなのに、どうしても書くことのできない「ホントの話」ができてしまった。

本気であなたに恋をしてしまった。

現実には決して成就することがない想いだから、本来であれば消し去らなければならない。頭ではわかっていたけれど、気持ちはいつまでたっても変わることはなかった。それどころか、抜けないトゲのようにじんわりとした痛みとともにいつまでも心の真ん中に突き刺さってていた。

現実でダメでも、創作ならネタになる。むしろ、恋すれば恋するほどストーリーが溢れ出す。だから、あれほど敬遠していた創作の世界に足を踏み入れてしまった。

誰にも遠慮することなく、好きな人のことを好きなだけ考えられる世界があるってそれだけでも幸福なのに、そこから派生して新たな物語が生まれるなんて、「ホントの話」だけを書いていた頃には考えられなかった。

きっと明日も、私はあなたの笑顔を思い浮かべながら新たな物語を綴っていく。その先もずっとずっと、この恋を架空のストーリーに重ね合わせていくのだろう。

9/30/2023, 8:22:23 AM

【静寂に包まれた部屋】

放課後、誰もいない教室に1人残って本を読むのが好きだった。図書室や自宅とはまた違い、1ページまた1ページとめくっていく音だけが室内に響いている。

だがしかし、そんな静寂は長くは続かない。

「お〜い、まだ残ってんのかぁ。用がないならさっさと帰れよ〜」

そうか、今日の鍵閉め当番は担任のカワサキか。この人、自分が早く帰りたいんで早々にに校内回って生徒を追い立てるんだよね。

「あ、またお前か。帰宅部員なら余計な事しないでちゃんと家に帰るのが部員の務めだろう、なぁホンダ」

「別に私、帰宅部員じゃなくて単にどの部活にも入ってないだけです。それに、読書は私にとって余計なことじゃありません」

「本を読みたいなら、家に帰ってから思う存分読めばいいだろう。学校ってところは時間に限りがあるんだから」

「家で読むのとは違うんです。この教室でこの本を読みたいんです。先生、担任なら受け持ちの生徒がクラスを愛するこの気持ち、わかりますよね?」

もちろん、嘘は言っていない。ただ、私が愛するのは『静寂に包まれた放課後の教室』だということを言っていないだけだ。

しかし、先生は私の言葉を真正面から受け止めたようだって。

「う〜ん、そうかぁ…それであと何分くらいあれば読み終わるんだ、その本は?」

「え〜っと、キリのいいところまでだと15〜20分くらいほしいです」

なるほど、と言った後で先生は私が持っていた本を覗き込んだ。

「あぁ、その本か。俺も昔、何度も読み返したやつだ。たしかに、それくらい時間がかかるよな。じゃ、キリがついたら知らせろよ」

そう言って、先生は教室を後にした。

再び訪れた静寂の中でページをめくる音を楽しんでいると、突然音もなくカワサキが現れた。そして、机の上にコトンと何かを置いた。

「適度に水分とらんとな。よかったら飲んどけよ」

それだけ言うと、先生はまた教室から出て行ってしまった。

置かれたのは、購買の横にある自販機で買ったであろうパック飲料だった。あまり馴染みのない味だったグレープフルーツジュース。若干の苦味を感じながらも甘味と酸味のバランスがうまくとれている。後味もスッキリしていて、爽やかな気分になった。

「仕方ない、これ飲み終わったら帰ってやるとするか」

読みかけた本に栞を挟み、残りのジュースを一気に飲み干した。

この日、私は新たにグレープフルーツジュースと少々お節介が過ぎる担任の先生を好きになってしまった。

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