【静寂に包まれた部屋】
放課後、誰もいない教室に1人残って本を読むのが好きだった。図書室や自宅とはまた違い、1ページまた1ページとめくっていく音だけが室内に響いている。
だがしかし、そんな静寂は長くは続かない。
「お〜い、まだ残ってんのかぁ。用がないならさっさと帰れよ〜」
そうか、今日の鍵閉め当番は担任のカワサキか。この人、自分が早く帰りたいんで早々にに校内回って生徒を追い立てるんだよね。
「あ、またお前か。帰宅部員なら余計な事しないでちゃんと家に帰るのが部員の務めだろう、なぁホンダ」
「別に私、帰宅部員じゃなくて単にどの部活にも入ってないだけです。それに、読書は私にとって余計なことじゃありません」
「本を読みたいなら、家に帰ってから思う存分読めばいいだろう。学校ってところは時間に限りがあるんだから」
「家で読むのとは違うんです。この教室でこの本を読みたいんです。先生、担任なら受け持ちの生徒がクラスを愛するこの気持ち、わかりますよね?」
もちろん、嘘は言っていない。ただ、私が愛するのは『静寂に包まれた放課後の教室』だということを言っていないだけだ。
しかし、先生は私の言葉を真正面から受け止めたようだって。
「う〜ん、そうかぁ…それであと何分くらいあれば読み終わるんだ、その本は?」
「え〜っと、キリのいいところまでだと15〜20分くらいほしいです」
なるほど、と言った後で先生は私が持っていた本を覗き込んだ。
「あぁ、その本か。俺も昔、何度も読み返したやつだ。たしかに、それくらい時間がかかるよな。じゃ、キリがついたら知らせろよ」
そう言って、先生は教室を後にした。
再び訪れた静寂の中でページをめくる音を楽しんでいると、突然音もなくカワサキが現れた。そして、机の上にコトンと何かを置いた。
「適度に水分とらんとな。よかったら飲んどけよ」
それだけ言うと、先生はまた教室から出て行ってしまった。
置かれたのは、購買の横にある自販機で買ったであろうパック飲料だった。あまり馴染みのない味だったグレープフルーツジュース。若干の苦味を感じながらも甘味と酸味のバランスがうまくとれている。後味もスッキリしていて、爽やかな気分になった。
「仕方ない、これ飲み終わったら帰ってやるとするか」
読みかけた本に栞を挟み、残りのジュースを一気に飲み干した。
この日、私は新たにグレープフルーツジュースと少々お節介が過ぎる担任の先生を好きになってしまった。
【心の灯火】
月曜から金曜まで午前2時から3時間、生放送でお届けしている『ミッドナイトレインボー 真夜中の虹』通称まよにじ。本日もたくさんのメッセージをいただいております。どうもありがとう。
で、その中で気になる1通がありまして…いつもの放送でお届けしているのとは違う雰囲気の内容なんですけれど、ちょっとここで紹介させてください。
「はじめまして、僕は高校1年の男子です」とメッセージをくれたのはラジオネーム『まよにじの信者』くん。おぉっ、とうとうこの番組にも信者さんがつくようになったんだ。嬉しいかぎりですねぇ。
「僕は今、「まよにじ」を聴くのが唯一の楽しみです。学校では、毎日のようにクラスメイトにしつこくからかわれたり、持ち物が隠されたりしています。本当は行きたくないけど、親がうるさくて毎朝追い立てられるようにして登校しています」
「家では、いつも楽しそうにしている家族とうまく話せなくてずっと自分の部屋にこもってます。正直、生きてるのが辛いです。でも、「まよにじ」が聴きたいから生きてます。でも、辛いです。どうすればいいですか?」
…うん。
まず『まよにじの信者』くん、メッセージありがとう。きっと、君にとってとても勇気のいることだったと思います。それでも、一歩踏み出してくれたことに僕は心を揺さぶられました。本当に、どうもありがとう。
きっと、この番組を聴いてくれてるリスナーさんの中にも『まよにじの信者』くんと同じように生きづらさを抱えたり、過酷な状況に身を置いたりしている人がいると思うんです。
僕が『まよにじの信者』くんの代わりになったり、物理的に何かアプローチをしたりすることはできません。ただ、できることがあるとしたら何だろうって、このメッセージが届いてからずっと考えていました。
今から少し思い上がったことを言うけど、どうしても『まよにじの信者』くんに、そしてこれを聴いてる全ての人に伝えたいことがあるんだ。
できれば明日も明後日も、月曜から金曜までず〜っと、この番組を聴くために生きていてほしい。君が生きるためにここが大切な場所であるなら、僕はそういう場所で在り続ける
ように精一杯努力していく。君には、その道程を見届けて、いや聴き届けてほしいんだ。
『まよにじの信者』くんのメッセージは、僕が番組を続けていく上で大切なことを考えさせてくれました。何度も何度も読み返すうちに、心の中にポォっと灯りがともった感じがしました。きっとそれは今の僕らの足下を照らす灯りであり、これからの僕らが歩む道程を照らす灯りでもあると思っています。
ありがとね、みんな。
聴いててくれて、ホントありがとね。
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さて、そろそろお別れの時間ですが…あっ、さっき『まよにじの信者』くんが新たにメッセージ送ってくれまして。
「こちらこそ、僕の拙いメッセージを受け止めてくれてありがとうございます。明日も明後日もずっと『まよにじ』聴くために生きていきます。真っ暗だった僕の心に灯った火、これから大事に大事にします!」
うん、これからも聴いてて。また、メッセージも待ってるよ。それでは、また明日!
【裏返し】
きらいよ きらい だいっきらい
あなたになんか あいたくない
こえも ことばも しぐさも すべて
あなたのものなら ほしくない
書かれていたのは 鏡文字
ひねくれ者の ラブレター
すきです すきです だいすきです
あなたにあいたくてたまらない
こえも ことばも しぐさも すべて
あなたのものがいとおしい
【さよならを言う前に】
「りょおちゃん、晩ごはん何食べたい?」
朝ごはんを作りながら、スミレは僕に問いかけてくる。これが、我が家の毎朝の日課だ。
「まだ朝ごはんも食べないうちから、晩ごはんなんて決められるわけないんだけど」
と思いつつ、それでも日々の献立に頭を悩ませている彼女のためにと毎日何かしらのメニューをリクエストすることにしている。
昨日はハンバーグ、一昨日はゴーヤチャンプルー、その前は麻婆豆腐だったっけな…と最近の夕飯を思い返しながら、ふと思い出した料理があった。初めてスミレが僕のためにと作ってくれた『鶏もも肉のトマト煮込み』だ。
「お肉がいっぱい入ってると幸せな気持ちになるんだよね〜」
という彼女が作るトマト煮は、小さめに切った鶏もも肉が大量投入されている。そこにたっぷりの野菜も入るので、2人分だというのに鍋いっぱい出来上がっていた。その後、パンに挟んだりパスタソースにしたりして何日か食べ続けた記憶が蘇ってきた。
あれはあれで美味しかったし、その都度アレンジしてたから何日食べ続けても飽きなかったんだよなぁ。久しぶりにアレ、リクエストしてみようかな…
「オーダー入りまーす、スミレさん。鶏もも肉のトマト煮をお願いしまーす」
これも、いつものやりとり。彼女はリクエストメニューによって「は〜い、りょおか〜い」とか「う〜ん、もうちょいお手軽なのがいいなぁ」とかさまざまなバリエーションで返してくるのが常だ。
ところが、今日はその返事がない。返事どころか、気がつけばあの問いかけ以降は物音ひとつしていない。
「スミレさん?」
僕は席を立ち、彼女がいるキッチンへと向かう。そして、彼女にもう一度声をかけようとしたその時-
プツン
突然、テレビの電源コードが抜かれたように見ていた映像と聞こえていた音が全て消えた。そして、それらが再び戻ってきたときに僕は気づいてしまった。
あれが、3年前にスミレと過ごした最期の「日常」の記憶だったということに。
あの日、スミレは僕に夕飯の献立を尋ねた後で突然意識を失って倒れた。僕は、震える手でスマホを手に取り、救急搬送を依頼した。
そして、懸命な救命処置が施されたが彼女の意識も心音も戻ることはなかった。
僕は、3年という月日が経っても彼女にさよならを言うことができない。永久に別れる前の記憶が、今もあまりに鮮明すぎるからだ。
いつ、彼女にさよならを言えるのだろう。その言葉を言える日が来たら、何かが変わるのだろうか。今日もその答えは出ないまま、また朝を迎えてしまった。
「晩ごはん、何食べたい?」
さよならを言う前の僕の中で、まだ彼女の問いかけが続いている。
【嵐が来ようとも】
「明日の朝は悪天候が予想されていますので…」
今までに2度、勤務先からそんな内容の電話を受けたことがあります。
1度目は、働き始めて間もなくのころ。このあとに続いたのは、想像の斜め上をいく言葉でした。
「がんばって来てください!」
電話口で腰がくだけそうになりながら「は、はい…」と震える声で返事をしたのを今でも覚えています。
2度目は、1〜2年前に台風が近づいてきていたときのこと。1度目のことがあったので、今回もあの「励ましのメッセージ」をいただけるのかと思いきや…
「明日の朝は、悪天候が予想されますので出勤停止になりました」
え? 出勤停止?
初めてお耳にかかる言葉ですけれど、
明日は出勤しなくてもいいってこと?
いや、むしろこれって
「嵐が来るんだから、お前ら明日は出勤なんかすんじゃねぇぞ、ゴラァ💢」
ってことですかね?
と、私の頭の中はしばらく大混乱でした。
「たとえ嵐が来ようとも、エッセンシャルワーカーたるもの休むことは許されぬ」という思想は、どうやら過去の遺産と化したようです。
そう、どんなときも仕事よりも
仕事する人の生命が1番大事です。
危ぶまれるときは、迷わず休みましょうね。