木蘭

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【さよならを言う前に】

「りょおちゃん、晩ごはん何食べたい?」

朝ごはんを作りながら、スミレは僕に問いかけてくる。これが、我が家の毎朝の日課だ。

「まだ朝ごはんも食べないうちから、晩ごはんなんて決められるわけないんだけど」

と思いつつ、それでも日々の献立に頭を悩ませている彼女のためにと毎日何かしらのメニューをリクエストすることにしている。

昨日はハンバーグ、一昨日はゴーヤチャンプルー、その前は麻婆豆腐だったっけな…と最近の夕飯を思い返しながら、ふと思い出した料理があった。初めてスミレが僕のためにと作ってくれた『鶏もも肉のトマト煮込み』だ。

「お肉がいっぱい入ってると幸せな気持ちになるんだよね〜」

という彼女が作るトマト煮は、小さめに切った鶏もも肉が大量投入されている。そこにたっぷりの野菜も入るので、2人分だというのに鍋いっぱい出来上がっていた。その後、パンに挟んだりパスタソースにしたりして何日か食べ続けた記憶が蘇ってきた。

あれはあれで美味しかったし、その都度アレンジしてたから何日食べ続けても飽きなかったんだよなぁ。久しぶりにアレ、リクエストしてみようかな…

「オーダー入りまーす、スミレさん。鶏もも肉のトマト煮をお願いしまーす」

これも、いつものやりとり。彼女はリクエストメニューによって「は〜い、りょおか〜い」とか「う〜ん、もうちょいお手軽なのがいいなぁ」とかさまざまなバリエーションで返してくるのが常だ。

ところが、今日はその返事がない。返事どころか、気がつけばあの問いかけ以降は物音ひとつしていない。

「スミレさん?」

僕は席を立ち、彼女がいるキッチンへと向かう。そして、彼女にもう一度声をかけようとしたその時-

プツン

突然、テレビの電源コードが抜かれたように見ていた映像と聞こえていた音が全て消えた。そして、それらが再び戻ってきたときに僕は気づいてしまった。

あれが、3年前にスミレと過ごした最期の「日常」の記憶だったということに。

あの日、スミレは僕に夕飯の献立を尋ねた後で突然意識を失って倒れた。僕は、震える手でスマホを手に取り、救急搬送を依頼した。
そして、懸命な救命処置が施されたが彼女の意識も心音も戻ることはなかった。

僕は、3年という月日が経っても彼女にさよならを言うことができない。永久に別れる前の記憶が、今もあまりに鮮明すぎるからだ。

いつ、彼女にさよならを言えるのだろう。その言葉を言える日が来たら、何かが変わるのだろうか。今日もその答えは出ないまま、また朝を迎えてしまった。

「晩ごはん、何食べたい?」

さよならを言う前の僕の中で、まだ彼女の問いかけが続いている。

8/21/2023, 10:02:05 AM