【「ありがとう」そんな言葉を伝えたかった。その人のことを思い浮かべて、言葉を綴ってみて】
あれは、高校1年生のとき。
日直だった僕は日誌を書き終え、担任だった先生に提出した。いつもなら「あぁ、ご苦労さん」で終わるのに、その日は日誌に目を通した先生が僕を呼びとめた。
「お前、ホント文章書くのが好きだよなぁ」
それは、感心しているというよりも半ば呆れたような口ぶりだった。
「いえ、特別好きというわけではありませんが…なぜですか?」
「お前が提出する行事ごとの感想文も日直のときの日誌も、やたら細かい字で枠内いっぱいに書いてくるじゃんか。他のやつはだいたい2、3行で片付けてるっていうのに。だから、こいつは書くことが好きなんだなぁって思ったんだが」
そのとき初めて、先生が僕に対して抱いている印象を知た。でも僕は、それを真っ向から否定した。
「それは、学校教育の弊害によるものです」
「弊害?」
「僕が通っていた小中学校では、テストの答案は「質より量」だと教えられました。たとえ正解がわからなくても、何かしら関連することを書いておけば部分点がもらえると言われて、それで…」
「なるほど、わかったよ。でもな、たとえそれが理由だったとしても、文章を書くことを嫌ってたらあれほどは書けないと思うんだ。実際、いつ読んでもお前の文章って面白いし」
自分の書いた文章が面白いなんて言われたのは、あの時が初めてだった。その後、僕は何となくその気になって自分なりの文章を書き続け、何となく送った文芸賞に入賞し、先生以外の人にも「この文章、面白いね」と言われる機会が少し増えた。
先生のあの一言がなかったら、僕は今も文章を書き続けることなどなかったし、自分の文章を多くの人に読んでもらうことなどなかったと思う。
先生、僕の文章の最初の読者は間違いなくあなたです。あのとき、僕を「書く」方へと導いてくださって本当にありがとうございました。
【優しくしないで】
トオルと暮らし始めてもうすぐ3ヶ月。たまたま参加した飲み会で、共通の趣味がパズルだということで意気投合した。彼は漢字ナンクロ、私は数独(ナンバープレース)と好みのパズルは違ったが、「相手が好きなパズル雑誌を毎月発売日に買ってくる」のが同居してから暗黙のルールとなっていた。
今日は、私が好きな数独のパズル雑誌が発売される日。夕方、定時で帰宅したトオルが近所の本屋さんで買ってきた雑誌を手渡してくれた。
「はいっ、これ!」
「いつもありがとう、トオルく…ん?」
何だか違和感を感じる。
毎月買ってる雑誌、こんなデザインだっけ?
「何かいつもの雑誌と違うような…もしかしてだけど間違えてない?」
「あぁ、それいつもと違うやつ。いつも買ってくるのって超難問クラスだから、解けない問題多そうだったから変えてみた」
「『変えてみた』って、勝手なことしないでよ。あれ、気に入って毎月買ってるんだから」
「でも、解けない問題ばっかりより解ける問題が多い方が楽しいと思って」
「それはトオルくん個人の意見でしょ。私はすんごい難問を苦労して解こうとするのが好きなの。たとえ今は最後まで解けなくても、時間をかければ解ける日が来るかもしれないんだから」
些細な事だったのに、話しているうちにだんだん腹が立ってきてしまった。私のことなのに、どうしてこんなふうに決めつけられなきゃならないんだろう。
「これ以上、優しくしないで‼️」
そう言って、私は自分の部屋に篭ってしまった。
翌朝、彼は休日にもかかわらず私よりも早く起きて朝食の用意をしてくれていた。
「おはよう、トオルくん。昨日はごめんなさい」
「おはよう。オレの方こそ悪かったよ。勝手なことしてごめん。そうだよな、パズルでも何でもその人なりの楽しみ方ってものがあるもんな。雑誌、後でいつものやつに変えてくるよ」
「ううん、あれでいい。っていうか、あの雑誌がいい。トオルくんが私のことを思って買ってきてくれたんだもの。また新しい楽しみ方が見つかるかもしれないし、解いてみたいの」
「そっか。じゃ、今度オレの分を買ってもらうときも違うやつを選んでもらおうかな。でも…」
「でも、何?」
「これ以上、『易』しくしないで」
…あぁ、出題レベルを下げてほしくないのね。
はいはい。
【カラフル】
駅前にある喫茶店「カラフル」は、私が小学生のときから通うお店だ。共働きの両親は、いつも帰りが遅かった。だから、いつも学校が終わって真っ直ぐ向かったのは我が家ではなくこの場所だった。
「いらっしゃい、ユミちゃん!」
いつも笑顔で迎えてくれるのは、りーちゃんこと律子さんとみーさんこと稔さんご夫婦。自分の親よりかなり年上の2人に
「りーちゃん、みーさん、ただいま‼︎」
と挨拶するのが私の日課だった。
「カラフル」はいわゆる純喫茶の風情があり、わざわざ遠方から訪れるお客様もいるほど人気のお店だった。そこに、パステルカラーのランドセルを傍らに置いた子どもがカウンターに1人座っている。なかなか奇妙だと思われるのだが、常連客にはおなじみの光景だった。
いつも必ず出してくれるのは、バニラ・チョコ・ストロベリーの3色アイスだった。
「いっつも思うけど、いっぺんに3つもアイスを食べられるなんてすっごく贅沢なメニューだよね」
口の周りを3色のアイスで彩られたまま、りーちゃんにこう言うと意外な答えがかえってきた。
「これね、ユミちゃんが作ったメニューなのよ」
え? どういうこと?
頭の中がはてなマークで一杯になっている私に、
りーちゃんはこう続けた。
「それまでアイスクリームは単品で出していたんだけど、ご両親と一緒に来たあなたが『もっとたくさんアイス食べたい〜』って泣き出して。で、バニラアイスだけだったお皿にチョコとストロベリーのアイスをのせたら『うわぁ〜、カラフルだぁ〜』って大喜びしてくれて。それでこのメニューと今の店の名前が生まれたってわけ」
えぇっ⁉︎
お店の名前、最初からカラフルじゃなかったっけ?
「一番最初は「喫茶こーひー」。ひらがなの名前がいいかなってつけたんだけど、1ヶ月くらいでカラフルになったわね」
そりゃ、記憶に残ってないわけだ。でも、大切な店の名前をそんな出来事ひとつで変えてよかったの?
「変えるって言い出したのは、私じゃなくてみーさんよ。『ユミちゃんのあんな嬉しそうな顔を見てたら、そりゃ変えるしかないだろ』って」
みーさんの方を見ると、いつものように黙ってコーヒーを入れている。真剣な眼差しが一見怖そうだけど、ホントはとっても優しくて面白いおじさんだ。視線に気づいたのか、みーさんは私の方を向いてニッと笑ってくれた。
「ユミちゃんが大人になっても、カラフルはずっとカラフルだからね」
あの日、りーちゃんがそう言ってくれてから月日は流れ、いい歳になった私は今もカラフルに通い続けている。そして、「今日はコーヒー飲もうかな」と思いながらも、毎回あの3色アイスを頼んでしまうのだ。
【楽園】
幼い頃、じいちゃんが亡くなったときに「人は死んだら何処へ行くの?」とばあちゃんに聞いた。ばあちゃんは「人も虫も魚も鳥も、みぃ〜んなみんな『楽園』に行くのよ」と答えてくれた。長い間、それは『天国』のことだと勝手に理解していた。
ばあちゃんが亡くなる数日前。それまで眠っていることが多く、あまり言葉を発しなかったばあちゃんが
「おじいさん、ようやく『楽園』で会えますねぇ」
と、独り言のように呟いた。
そのとき、楽園は天国のことを指しているのではないことに気がついた。楽園は「愛するものが待っていてくれる場所」なのだ。
生きとし生けるものはみな、最期は愛するものが待つ場所へと旅立っていく。楽園で再び巡り会うその日まで、惜しみなく生きたいと思う。
【風に乗って】
便利になったというか、何というか…
ついさっき手元に届いた「同窓会のお知らせ」を目の前にして、複雑な思いを抱いた。
少し前まで、こういう郵便物や通販の商品などは配達員が玄関先のポストに入れるか、時には玄関先までやってきて「すんません、ハンコくださ〜い」なんてやりとりがあったりしたものだ。
それが、長年の配達員不足と多大な時間のロスを解消する画期的な配達方式として、あらゆるものが「風に乗って」届けられる時代になった。
配達予定があるときは、事前に「受け取りをご希望の日時と場所をお知らせください」というLINE通知が届く。申込フォームに必要事項を入力すれば、いつでもどこでも風に乗ってやってきたものを受け取ることができるのだ。
どんなに重い荷物でも、希望すればどこへでも運んでくれる。最近買ったベッドも、自宅2階の窓を全開にした寝室まで風が運んでくれた。もっとも、その日は花粉と黄砂が多く飛散していた日で、夜は新品のベッドの上でくしゃみと鼻水がいつまでも止まらなかった。
ただ、人と人との交わりがなくなってしまったのがどうにも寂しかった。コロナ禍で「置き配」が主流になった頃でも、まだ配達員とのやり取りはあった。近くに知り合いのいない1人暮らしには、このわずかなやりとりさえ貴重なコミニュケーションの場だったのだ。
そういや、今週はまだ誰とも会話してないな…
ふと、そんな悲しい事実に気づいてしまった
ちょうどそのとき
きゃぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜‼️‼️‼️‼️‼️
突然、庭先から甲高い叫び声が聞こえた。慌てて駆け出すと、長い髪に小さい木の葉が絡み、手足の所々に擦り傷のある女性がいた。先ほどの声の主は彼女で間違いないだろう。それにしても、この人どこからここに入ってきたんだろう?
「あいたたたた…あ、お久しぶりです。やっぱりここで合ってたんだ」
お久しぶり? どこかで会ったことあったっけ?
遠い記憶をたぐりよせながら、彼女の顔をまじまじと見た。ダメだ、まったくもって思い出せない。
「あの、大変失礼ですがどちら様で…」
「アヤセです、セイヤくん」
その言葉で、ぼんやりした記憶の風景が急に鮮明になった。そうか、アヤセか。あの泣き虫で病弱で、でも学校行事になると誰よりも張り切って準備して、いざ本番になるときまって高熱出して参加できなった、あの「残念さんなアヤセ」か。
「アヤセかぁ、久しぶり。突然でびっくりしたよ」
「ごめんなさい、まだコントロールが上手くいかなくて」
「え? ここまでどうやってきたの?」
「風ですよ、風に乗ってやって来たんです」
驚いた。あらゆるものを風が運ぶとは聞いていたけれど、人間そのものも風に乗ってくる時代になったのか。しかし、今週はじめて会話を交わしたのが、風が運んできたかつての同級生とは。
「セイヤくん、同窓会の通知って届きましたか?」
「あぁ、ついさっき。それこそ風に乗ってきたよ」
「そうですかぁ〜、よかったぁ〜。その通知、私が作ったんですけど発送は他の方にお願いしていたので。無事、お手元に届いてよかったです!」
そう言って、彼女は本当に嬉しそうに笑った。
「あの、その…来てくれますか? 同窓会」
「う、ん…正直、どうしようかと思って。ほら、あまりいい思い出がないの、アヤセも知ってるだろ?」
あの頃は、人づきあいが下手くそでいつも1人でいた。たまに同級生とつるんでも、そのノリについていけなくて、気づけば距離ができているような、そんな学校生活だった。
「知っています。だから、無理に誘うのは予想と思ったんだけど、今回だけはどうしても来てほしくて。次からはいいんです、来なくても。でも、今回だけは…ダメ、ですか?」
いや、そんな上目遣いで涙目のお願いズルいだろ。
そんなことされたら断れないどころか、何故今回だけに固執して誘うのか、めちゃくちゃ気になるけど聞けないじゃないか。
「わかった。わかりました。行くよ。行きます。残念なアヤセが作った通知を無駄にしたくないもんな」
「残念て、まだその呼び名覚えてたんですか。でも、嬉しい!絶対来てくださいね。私も必ずそこにいますから」
再び嬉しそうに笑ったアヤセは、同窓会で会おうね〜と両手をブンブン振りながら帰っていった。気がつけば、彼女が負った手足の擦り傷は見えなくなっていた。見間違えたのだろうか?
同窓会当日、若干気は進まなかったがアヤセとの約束を果たすために会場へ向かった。想像以上に多くの同級生たちが集まっていて驚いた。うちの学年、ほぼ全員集まってんじゃないか?出席率よすぎるな…などと思ったら、不意に幹事から声をかけられた。
「セイヤ? 久しぶりじゃん。お前が来るって珍しいよな。今までどんなに通知を出しても連絡なかったし」
「あぁ、ごめん。基本、こういうとこ苦手で。ただ、今回だけは来てってアヤセに押し切られてさ」
「アヤセ⁈ 会ったのか? いつ⁈」
「この同窓会の通知が届いた日だったから…」
あれは何日くらい前だったかな。思い返していると、幹事の顔色が変わった。
「おい、それってホントにアヤセか?」
「たぶん。卒業以来会ってなかったけど面影あったし、本人だと思うけど」
「…アヤセ、この通知の原稿を作って俺に直接渡した帰り道、車にはねられて…病院で息をひきとったんだよ。この同窓会は、彼女の追悼も兼ねてみんなに集まってほしいって呼びかけてたんだ」
そうだったのか。あのとき、風が運んできたのはアヤセの魂だったんだ。おそらく、魂になってから日が浅くて上手くコントロールできず着陸に失敗したんだろう。やっぱり残念さんなアヤセだ。
「アヤセ、必ずここにいるって言ってたから、たぶん会場のどこかにいるはずだよ」
幹事にそう言って、一旦会場の外へ出た。
いるんだろ、アヤセ。いたら、返事してくれ。
突然、強い風が吹いて舞い上がった木の葉が頬に当たった。
やるじゃん、アヤセ。