【刹那】
。
「せつな」という名前の由来を知ったのは、小学生高学年のときだった。学校の授業で自分の名前の由来について調べる機会があって、両親に聞いてみたのだ。
母が、私が生まれたときのことを話してくれた。
あなた、生まれてくるときよっぽど胎内で暴れたんでしょうね。首にへその緒が2重3重に巻きついていて、それはもう大変だったの。もしかしたらダメかもしれない…担当医の先生がそう覚悟を決めるほどだったのよ。
でもね、私は何が何でもあなたを産みたかった。
あなたが生まれてくる数年前、初めて新しい生命が宿ったの。無事、生まれてきていたらあなたのお兄ちゃんかお姉ちゃんになる子をね。でも、それは叶わなかった。おなかの中で順調に育っていたんだけど、ある日突然消えてしまったの。まるで、ろうそくの火がふっと吹き消されてしまったように。
だから、あなたのときにはただただ生まれてきてくれることを願っていたの。どんな形でもいいから、この世に生を受けてほしいってその一心だった。
巻きついていたへその緒を首から外してから、
あなたが産声をあげるまでの時間の長かったこと!
ようやくあなたの声が聞こえ、力んで真っ赤になったあなたの姿を見て、出産に立ち会ってくれたお父さんにこう言ったの。
「この子の名前『せつな』にしたいんだけどいい?」
極めて短い時間、瞬間を表す言葉である「刹那」。
困難を乗り越えて生まれてきたあなたに、この先も一瞬一瞬を大切にして生きていってほしい。そう思ったから、それまでに沢山挙げてきた候補を全部やめて「せつな」 という名前にしたかったの。
生まれるとき、そんなことがあったなんて初耳だった。父も母も担当のお医者さんも、みんなで私の未来を守ってくれたんだ。その想いが「せつな」という名前に込められていると知り、心があたたかくなった。
ちなみに、3歳下の弟の名は「英剛(えいごう)」という。こちらは、父が「刹那」とは逆の意味を持つ「永劫」からつけたのだという。末永く、丈夫で優れた者になってほしいという願いの下、弟は中・高ではかなりイキってたものの現在では手に職をつけ、2児の父となっている。
私もいつか家族を持ち、我が子にその名前の由来を話すときがくるのだろうか。そのときは、私の名前に込められた想いについても話をしよう。
「せつな」の未来は、まだまだ続いていく。
【生きる意味】
新曲が出るまでは
アルバムが出るまでは
ライブに行くまでは
DVDが出るまでは
雑誌のインタビュー記事を読むまでは
来週のラジオプログラムを聴くまでは
来月の「Covers」を観るまでは
「ウクレビ」(ウクレレ)が届くまでは
病気療養中のVOHさんが復帰するまでは
そして
常に最新の要さんに会うまでは…
「愛することが生きること」
私の生きる意味はこれからも変わらない
【善悪】
昨日、たまたま見つけたスーパー戦隊シリーズのタイトルの中に気になるものがあった。
快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー
え? 怪盗と警察?
フツー考えると、怪盗が悪で警察が善であるはず。
だけど、どちらに「レンジャー」ついてるし。
しかも、作品のキャッチコピーは
「正義のアウトロー VS 絶対のヒーロー」
…う〜ん、よくわからなくなってきた。
Wikipediaでこの作品について調べたところ、異世界から現れた犯罪集団という共通の敵がいながら、目的や信念の違いで互いに相容れることのない宿敵であるという設定なのだそうだ。ということは、その敵方が「悪」であるといえそうだが、この2組は果たしてどちらも「善」なのだろうか。
ちなみに、ルパンレンジャーは「義賊」として民衆から英雄視されていた」という設定とのことだ。義賊とは、権力者から犯罪者とされながらも大衆から支持される存在を指す。警察から見れば「悪」であっても、民衆からはそうではないが「善」であるとも言い切れない。
よくよく考えてみれば、一人の人間でも「善」の部分と「悪」の部分を併せ持っている。同じものをある方向から見れば「善」、また別の方向から見れば「悪」ということもある。善と悪は常に背中合わせなものなのかもしれない。
そういえば数年前、近所で「ゴレンジャー」の目撃情報があったなぁ。学校の裏門近くで、派手な覆面の5人組が何か話し合いしてたっていう…
あれは善悪どちらのゴレンジャーだったんだろうか?
【流れ星に願いを】
こんばんは。調子、どうですか?
こないだ送ってくれた空の写真、燃えるような夕焼けも穏やかな青空も、とてもとても綺麗ですね。
あなたのいる場所の景色は、いつも明るくて美しくて穏やかで、きっとあなたはいつもどおりの日常をその景色の中で送っているのでしょう。
そう信じています。
「心配しすぎて暗ぁ〜くなっちゃうより、何も心配せずに明るく過ごしていてくれたら、その方が僕にとって大きな力になると思うんだ」
旅立つ前の日、あなたはそう言いました。私がかなりの心配症だってわかっていながら「心配せずに過ごして」って…何て無茶なお願いなのかと最初は思ったけど、立場を逆にして考えてみたらわかりました。
もしもあなたが私の身を案じて心配していたら…そんなふうに思うだけで、私も心細くて不安な気持ちが大きくなってしまう。あなたがいつもどおり、明るく楽しく元気よく時にはビミョーな親父ギャグを織り交ぜつつ毎日笑って過ごしているのだと思うだけで、私も笑顔で楽しく日々を過ごせそうです。
それでも、いつか2人で見たあの時のように流れ星に願いを伝えたいと思うことがあります。あの時は突然現れた流れ星に動揺したあなたが願い事を3回唱えることで一杯一杯で「焼肉! 焼肉! 焼肉!」って大声で叫ぶから、私もう笑っちゃって笑っちゃって。自分の願い事なんて、どこかに吹っ飛んじゃいました。
だから、今度は私の番。
3回は唱えられそうにないから、1回だけ。
あなたも、私も、それぞれの場所で
笑顔溢れる楽しい毎日を過ごせますように
写真、また送ってくださいね。それでは。
【ルール】
我が家には、夕食に関するルールがある。名付けて「食べる人作る人洗う人」方式。要するに、家族内の分業制である。ただし、父と我が相方の2人は常に「食べる人」。私と母の2人が交互に調理と片付けを担当することになっている。
少し前までは、私が夕方まで仕事で出ている日は母が調理担当、それ以外の日は私が作るということにしていた。片付けの担当は決めずに「気が向いた人がやる」ということにしていた。が、なかなか2人とも気が向かず(そりゃそうですよね)、翌朝痺れを切らした母が朝食の準備とともに片付けを済ませてくれていた(ごめんね母ちゃん)。
これでは何とも不公平で、母のご機嫌も大層よろしくないので最近このルールが一部改訂された。私が仕事が休みの2日間は「母が調理で私が片付け」、それ以外の5日間は「私が調理で母が片付け」。これで今のところはなかなか上手くいっている。
ちなみに、今日は私がオムライスと春雨スープを作り、食後すぐに母が片付けてそれぞれの任務は完了さした。明日は担当が逆転する。家族みんなで美味しいものを美味しく食べるために、ルールを守って楽しい食卓にしたいものだ。
あ、たまに父や相方が作る「めっちゃ手の込んだカレー」はすごぉ〜く食べたいなぁ。もっとも、台所もめっちゃ手の込んだ散らかり方するんだけど…