彩奈々

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8/31/2024, 11:04:03 AM

 「不完全な僕」

 人間、みな不完全なものだと誰かが言った。
僕だって、それには同意する。でも僕は、周りと比べて、あまりに不完全すぎるようだった。
物心ついたときから、自分は人と違っているという意識があった。毎日毎日、周りの人間がなにを考えているのか、想像もつかなくて。親でさえ、完全に安心できる相手ではなかった。孤独というのだとも、知らなかった。
 「なあ、廉は好きなひといる?」
小学五年生の頃だっただろうか。下校中、不意に友達の雄太が聞いてきた。
「好きな人?お母さんとか?」
僕がそう答えると、彼は声をおおきくして言った。
「ちげーよ!!女子だよ女子!絶対いんだろ!?」
「いないよ」
本当だった。
「はあ?嘘つくなよ!好きな人教えねーならもう遊んでやんねーぞ!」
そう言うと彼は走っていってしまった。
結局、彼は翌日にはケロッと忘れていたようで、いつものようにドッジボールに誘ってきたのだが。
僕の心には大きなモヤモヤが残ったままだった。
 好きな人がいることが普通で、そうでないことは信じてもらえない……。あまつさえ、嘘つきと呼ばれる……。
小学五年生という年齢は、まだ幼く、同時に性を意識しだすタイミングで、彼の発言もそのための若気の至りなのかもしれなかった。しかし、そのときの僕はそれがきっと常識で、普通なのだと受け取ってしまった。
 好きな人……。そもそも僕には人を愛するという気持ちがわからなかった。親だって、友達だって、どうせいつか死ぬ、それが当たり前で、悲しむ理由もなくて、それまでの期間を一緒に過ごすだけ……。
これを昔、うっかり親に言ってしまったことがある。親は血相を変えて、なんてこと言うの、人の心はないのとまくし立てた。
 それを聞いて、自分のことも、親のことも怖くなった。僕は、一生普通の心は持てないのかもしれない、それを知られてしまったから、親はバケモノでも見るような気持ちで僕に接するようになるかもしれない……。
親は幸い翌日には忘れたようだった。人の忘れるという機能にこれほど感謝したことはない。
 これをきっかけに決めた。一生、普通を演じて生きることを。
本音が言えないのは辛い。でも、周りに差別されるのは怖い。もう、決めたことだ。
 年月がたち、中学二年生になった。僕はもう、息をするように嘘をつけるようになっていた。それは、幼なじみの葵に対しても、例外ではなかった。
 なのにあの日、本音が溢れてしまった。まるで縁ギリギリまで水の入ったコップから一滴の水が垂れるように、自然に。
「俺、人の心がないんだ」
金曜日、学校からの帰り道。深いオレンジに染まった、午後5時の空にポツリと呟いた。
隣を歩いていた葵が振り向く。
「え、どうしたの急に。これがウワサの中二病?」
茶化された。まあ、そんなもんだよな。
「なんてね、廉が上むいてちっちゃい声で話すときは、たいてい本気って知ってるよ。なんで、そう思ったの?」
柔らかい笑みをたたえて、優しく言われた。まるで聖なる光のような西日が彼女をつつんでいた。夕日が目に染みる。
「れ、廉?」
差し出された手にはハンカチ。あれ、泣いてた……?
そう自覚すると、せきを切ったように言葉が溢れ出してきた。
「俺、好きな人とか、わかんねえし、みんなみんな、どうせ死ぬっていったら、人の心がないって、いわれて、、相手へのおもいやりとかも、わかったことねえし、だいいち、ひとを、愛せない、かもしれない……こんな、バケモノ、みてーな、やつっ、嫌だよな……」
後半はもう、しゃくりあげるみたいで、自分でも何を言ってるかわからなくて、ただひとつわかったのは、葵が、真剣な目で、うんうんと、うなずいてくれたことだけだった。
 だいぶ落ち着いてから、葵は言った。
「廉が好きな人とか、恋愛とかできないっていうの、おかしくないよ。ほら、同性愛者とか、いろんな恋愛する人がいるじゃん、そんな事言ってきた人がばかなだけだよ、廉は、そのままでいいよ、そのままの廉と、一緒にいたい」
葵の言葉が、ゆるゆると心に入ってくる。一気に喋りすぎて、何も言えなくなった僕の代わりに、葵は話を続けた。
「廉は自分のこと思いやりがないっていうけど……私は廉は優しいと思う。いつか、私が愛犬のたろーを亡くしてずっと泣いてたとき、ずっと隣にいてくれた。その後、いつもみたいに遊ぼうって言ってくれた。今でも覚えてる、大事な思い出」
「それはっ……それは、葵しか遊び相手がいなくて、つまらなかったからで……慰めたいとか、思えてなかったんだよ?そんなやつなんだよ、俺は」
「それでもいい。私は、嬉しかったよ、廉。普通じゃなくても私は好きだよ。私のこんな言葉じゃ、慰めにはならないかもしれないけど」
自信なさげに語尾を濁らせる彼女に思わず食い気味で言った。
「そんなことない!俺も、嬉しかった」
「よかった」
その後は、いつものように、並んで帰った。
ふと気付いた。
人前で泣いたのは、初めてだな……。
普通でなくても、どこか欠けていても。彼女のような人がいるなら、堂々と生きていていいのかもしれない。
夕日がどこか暖かく見えた。

8/30/2024, 1:29:19 PM

 「香水」

 香水というものに、苦手意識を持っていたのはいつからだろうか。私は昔から、香りに敏感だった。デパートの化粧品コーナーの横を通るとき、魚市場の中を歩くとき、さらにはバスで近くの人の香りのきつさに頭が痛くなることさえあった。
そんな私も年月がたち、だんだんと鈍くなった。
そして私の香水嫌いを徹底的に変えたのはいうまでもなく、やはり、あの人であった。
 あの人とは、初恋の人、廉のことだ。
廉と私は、いわゆる幼なじみというやつだろう。しかし、マンガやアニメでよくみる、幼なじみの男女のどこか恥ずかしいような恋愛の香りは、私達には汎ってはくれなかった。私がどんなに望んでいても。
私は廉のことが恋愛として好きだ。だから、どうにか意識させようと、大好きだとそれとなく言ってみたり、夏は暑いねと言いながら扇風機の風に二人であたったり、冬は寒いのを口実に近くに寄って話したりと、さりげないアプローチを続けた。
その結果がこれだ。
 「葵ってほんと、優しいよな。俺、葵と出会えて良かったよ。俺たち、一生親友でいような!」
この言葉に笑顔でうんと答えた私を、だれか賞でも与えてくれないだろうか。
彼には恋愛感情というものがないらしい。
それでもいいと思った。親友としてでも、彼の隣に立てるなら。
高校生になって、廉とは違う学校に行って。
それでも廉は私のことを親友だと思ってくれているようだった。
「今度二人で駅前行かねえか?俺、こないだ葵が好きそうな店見かけたんだよ」
高校生の男女が出かける。これをデートと言わずになんというのか?だが廉がデートではないと思うならこれはデートではないのだ。
わかっていても勝手に上がる口角が疎ましかった。
 「葵!久しぶり!」
「廉!うわあ、見ない間におっきくなって。」
たった3ヶ月ぶりに会った廉は背が伸びていて、服もなんだか大人っぽい。
ん、なんだろう、この違和感は。
「廉、なにか香水とかつけてるの?」
「おっ、気付いたー?」
これ、珍しい香りの香水なんだぜ、と自慢げに話してくる。香水は苦手だと思っていた。でも……。
(なんか、どきどきする……。大人の男性ってこんなかんじなのかな……。)
私が黙っていると、
「あ、もしかして葵も香水興味ある?」
唐突な質問につい、う、うんと返事をしてしまった。
「じゃあ、いいとこがあるよ!行こう葵!」
「まっ、待ってよ廉!」
 ついたのは香りの玉手箱だった。
(うわ……おとなの世界だ……。)
あまりのお洒落さにけおされてしまう。今日してきた自分の精一杯のおしゃれが滑稽に見えて恥ずかしかった。
そんな場違いみたいな世界に、廉はどんどん足を踏み入れていく。
(は、はぐれちゃう!)
廉を見失わないよう、あわててついていく。
廉は奥の方の棚の前で立ち止まっていた。
「ここは割と安めの香水のコーナーだよ。いいよね、この安さで香水が買えるの」
「ふ、ふーん……。」
香水の相場などわからない私は、適当に相槌を打った。
「葵はどんな香りが好き?」
「うーん……。お花の香りはだいたい好きだけど……。花の香りってありふれてる感じはするなあ……。廉みたいに、珍しいのが付けてみたい」
「珍しい香り、か……。へえ、俺のおすすめでいいなら……」
こっち来て、と手招きされた。
「これとか、葵の雰囲気にぴったりかなって、思う」
「マヌカハニーの香り……?はちみつ?」
「うん、甘くてかわいい感じで、葵にぴったりだろ。しかも……」
「わあ、容器がクマの形だ!」
テディベアをかたどった、ころんとした形をしている。
「気に入った?」
「うん!これにしようっと」
ちょっと高いけど、せっかく廉と来てるし。買えないことないしね。
そう思ったけど、廉は私の想像を超えるセリフを言った。
「じゃあこれは俺からのプレゼントな」
「ええっ!?も、もらっちゃ悪いよ」
「気にしないでいいって!久しぶりにあったら、葵めっちゃおしゃれな格好してきてるし、でも中身はやっぱり葵のままで楽しかった。だからそのお礼、的な?今日会えた記念な」
「もう……廉の口説き上手……他の女子に言ったら絶対勘違いされるからね!私は廉が恋愛しないってわかってるけどさあ。照れるなあもう。ありがと!」
本当に廉はこれだから困る。
(香水、ずっと大事にしよう)
(今日のことを、ずっと忘れないために)
これが私の香水への評価が180度変わった日だった。