『華麗なる円舞曲』
彼女と出会ったのは放課後の音楽室だった。教師から音楽室の鍵を借り、ピアノを弾いていると彼女がやってきた。
素敵な音色だね、と小柄な君はそう言って微笑んだ。急に現れた人物に驚き、その表情に可愛らしさを覚え、そして遅れてピアノを褒められた照れがやってきて私の顔はまるで百面相のように切り替わっていただろう。
それから彼女は放課後になると時々音楽室に足を運んできてくれた。彼女が来てくれる度に私はピアノを聴いてもらったり、他愛のない世間話に花を咲かせた。
彼女は子猫のような人だった。小柄な身体で活発に動き回り、コロコロと変わる愛らしい表情に気まぐれな性格。子猫のようだね、と彼女に言えば、照れながらそんなに可愛くはないと思うけどな、と返された。元々猫好きだったのもあるのだろうか、そんな彼女と交流を続けるうちに段々と心惹かれていった。
ある日、教師に今度開催される学生ピアノコンクールに出てみたらどうか、と誘われた。課題曲は無く自由な曲でエントリーが出来るらしい。それを聴いて迷いなく曲を選んでエントリーした。
そして迎えた本番の日。明るく照らされた舞台の上で、観客席に向かって一礼をする。観客の中には彼女も居た。
椅子に腰掛けると緊張をほぐすように静かに息を吐く。鍵盤に指を置くともう一度息を吐き、一拍置いて動き出した指先は軽やかな音を奏で始めた。
──ショパン ワルツ4番 ヘ長調 Op.34-3
あぁ、君には気付かれているだろうか。この曲を、誰に向けて弾いているのかを。
──お題:子猫──
『色なき風』
人は秋風を色なきと云う
然れど吹く風実に柔らかく
尾花を揺らし紅葉撫でる
色なき風が色取る月よ
あゝ秋風よ色なき風よ
──お題:秋風──
『また会いたいが言えなくて』
「ねぇ、この漫画借りてもいい?」
幼い頃から幼馴染の君に何度も言っていた言葉。私の親は厳しい人で漫画やゲームを買い与えてくれることはなかった。だけど、君はそんな私に色んな世界を見せてくれた。剣を持って勇気を奮い冒険をする物語、甘酸っぱく切ない恋をする物語、連続殺人事件の犯人を追う手に汗握る物語。
色々な世界に触れて、私は成長してきた。そしてその傍にはいつも君が居た。だから、私は君のことが好きになった。
だけど、幼馴染という安定した関係を崩すのが嫌で、一線を越えることはしなかった。
ある日、君には彼女が出来た。私から見ても凄くお似合いのカップルだった。
君の隣にいるのはずっと私だけだと思っていた。幼馴染という関係性に満足して、それより先に進もうとしなかった私が悪いのだけれど、どうして私じゃないのと醜い気持ちを吐露しそうになった。
君は彼女が出来てからも、流石に頻度は減ったとは言え私と遊ぶことはやめなかった。彼女も私たちの関係はよく知っているようで文句を言うことはなかった。
それが彼女に嫉妬の感情を向ける私には辛かった。むしろ彼と会わないでと言われた方が幾分か良かったと思える程の自己嫌悪に陥ったこともあった。
そんな思いも露知らず、君は今日も私を家に招く。心の中はどうあれ、君と一緒に居られる時間は楽しいもので今日も私は君の家に上がる。いつまで家に誘ってくれるのか、いつか誘ってくれなくなるのなら、私から次の約束を取り付けようか。
でも、直接また会いたいなんて絶対に言えなくて。だから借りた本を返すと言う口実を作って会えるようにしているだけ。借りた本の内容なんてほとんど頭に入っていなかった。
あぁ、どうか、この気持ちが君にバレませんように。
──お題:また会いましょう──
『犯人の独白』
スリル。それ自体に不快感のない不安感や恐怖感と、それに付帯する緊張のことだ。そして私はそんなスリルが好きだ。
ある日、私は山奥の別荘に人々を集めて殺人事件を起こした。集めた人の中には探偵も居る。スリルを追い求めるためとは言え人を殺すという行為への恐怖、探偵に犯人が私といつ見抜かれるのかという一種の不安。様々な感情が混じって最高のスリルを感じていた。
そして今、別荘の居間には私に招かれていた全員──私に殺された人物を除くが──が集められている。
そんな人々の前に一人立つのは探偵の彼。今から推理ショーが始まると言うわけだ。恐怖からか少し震えている人や緊張の面持ちをしている人が居る中で、私は期待から来る笑みを堪えられていただろうか。
「犯人はあなたです!」
探偵が私に向き直ってそう言う。あぁ、その顔だ。私を犯人だと断定し切っている顔。その自信満々の顔を崩す瞬間が堪らないのだ。
仮に敗れたとしてもそれはスリルを追い求めた末の破滅。そしてその破滅に身を投じるのもまた一興。つまり、これはどちらに転んでも快感を得られる最高のシチュエーションなのだ。
あぁ、探偵さん。貴方はどのように私を楽しませてくれるんです?
「おやおや、彼が殺された時間にアリバイのある私が一体どうやって彼を殺したと言うのですか?」
さぁ、運命を賭けた舌戦の始まりだ。
──お題:スリル──
『おかえり』
─もし、自由に飛べる翼があったとしたらどこに行く?
かつて君が投げかけてきた問いだ。僕は沖縄か、あるいは北海道なんて良いかもね、とありきたりな答えを返した。君はそんな僕の返答を聴いて、旅行が好きな君らしい答えだねとふわりと微笑んだ。
じゃあ君はどこに?と訊けば、私は君のそばに行くよ、と返された。あまりにもまっすぐな答えに、言われたこちらが顔を赤くする羽目になった。
それから数ヶ月、君は僕より先に旅立ってしまった。旅行が好きな僕でも決して追いかけられないところに、たった一人で。
旅立つ前に君は言った。先に一人で行ってくるね、と。そんな君に、僕は笑って行ってらっしゃいが言えただろうか。きっと涙でくしゃくしゃの顔だっただろう。
君が居なくなってから、僕は君の写真を持って北海道に行った。沖縄に行った。でも、どこに行くにも飛行機だった。僕には翼が無い。だから行く先は限られている。
でも、君はきっと綺麗な翼をもった天使になっているだろう。その翼を羽ばたかせれば僕が飛行機に長い時間揺られて向かった北海道だって、沖縄だってひとっ飛びだろう。だから、その翼で、僕のそばに飛んできてくれないか。
いつか、あの時に言った行ってらっしゃいに返す、おかえりを言える日が来ますように。
──お題:飛べない翼──