『旅』
旅行の前日。何度経験しても眠れない夜。明日の旅行への期待は嫌というほどに胸を高鳴らせる。
明日の旅行の行き先は今までに何度も行った場所。記憶を辿れば、行く先々の情景はまるで目の前にあるかのように脳裏に浮かぶ。
幾度となく通った道。
幾度となく乗った電車。
幾度となく降り立った空港。
その全てに記憶に残る思い出があり、そしてまだ見たことのない景色がある。
眼を閉じても瞼の裏に映る旅の情景は、私をまだ眠らせてくれそうにない。
──お題:眠れぬほどに──
『ヒーロー』
私には夢がある。いや、あった。関わる人たちを皆幸せにできる、ヒーローのような人間になりたかった。
だけれども現実というのは非情なもので、この両腕で抱え込もうとしたものはするすると零れ落ちていく。
全ては私が未熟だったが故に招いたこと。たった一人幸せにする力も持たないのに、まるで自分が全知全能の神にでもなったかのような錯覚をした。そんな人間が抱えきれないほどの関わりを持てば端から瓦解していくのは自明の理だった。
取りこぼしてしまった人たちの私に対する軽蔑。失望。相手はそう思っていないだろうことは安易に想像が付くが、それでもやはりふとした時にこんな考えが頭を過ぎる。
そして、まるで自分を被害者の立場に置くような、そんな考えをしてしまう自分に嫌気がさす。そんな自己嫌悪になる思考の循環を繰り返していた。
そんな私に残ったのはたった一人。幸せに出来るかは分からない。むしろ不幸にしかねないだろう。
でも、こんな私を見捨てずに側に居てくれる貴方を手放すことはできなかった。本当に私がヒーローなら、ここで貴方から離れる決断をしなければいけないのに。
しかし、人を救うヒーローになりたかった私は、いつの間にかヒーローに救いを求める弱い人間に成り下がっていたようで。だから私は、ヒーローらしからぬことを思い願う。
私 を 捨 て な い で
絶対に貴方だけは、この手から取りこぼさない、と。
──お題:夢と現実──
──余談──
思ったよりも風邪を拗らせてお休みが続きました。皆様も体調には十分お気を付け下さい。
『伝えたい言葉』
幼馴染の彼女と籍を入れてから、もう幾年か経った。夫婦同士だと言葉足らずでも分かり合えると言うことがあるが、幼い頃からの付き合いだからか私たちは特にそれが強いと思う。
食事中にあれ取ってと言えば醤油が差し出される。寛いでいる時にあれやってくれた?と言われたら、洗濯なら済ませたよと返す。
一心同体と言うべきか、あるいは以心伝心と言うべきか。お互いのことはまるで手に取るように分かり、彼女との間にはえも言われぬ信頼感があった。
しかし、あらゆる言葉を省略して話している中でも、絶対に必ず言葉にして伝える気持ちがある。こればかりは、そう思っていると彼女が分かっていてくれていても、どうしても口にして伝えなければ気が済まなかった。
「愛してる」
「えぇ、私も愛してるわ」
──お題:夫婦──
『優等生』
私はみんなから優等生と言われる。
成績は学年トップ。大人びてるねと言われ、よく色々な悩みの相談を受けることもある。
みんなの期待に応えられるように勉強を頑張った。お悩み相談も親身になってたくさん聴いた。
でも、だからこそ、人前で弱音を吐けない。吐くことができない。
体調が悪い、怪我をした。そんな肉体的な弱みはいくらでも晒せるが、精神的な弱みは曝け出せない。
だってみんな完璧な私を望んでいるから。大人びていて、頼りになる私が必要で、子供のように弱音を吐いて、人を頼りたいと思うような私は必要とされていないから。
あなたは何事も卒なくこなすから悩みがなさそうで良いね、と言われた時はショックだった。あぁ、私は悩みを持ってはいけないんだと、そう思うようになったのはその言葉を聴いてからだった。
実際のところあまり継続的な悩みはなかった。でも、ふとした瞬間に湧いてくる不安や悩みを誰かに言うことはできなくて、その度にそんな感情を押し殺してきた。
でも、それでも、どうしようもない時があるのも確かで。
あぁ、この行き場のない感情はどうすればいいの?
──お題:どうすればいいの?──
『宝箱』
宝箱とはなんだろうか。RPGゲームなどによく出てくる、豪華な装飾が施された大きな箱を思い浮かべる人も多いだろう。
私にとっての宝箱は、今目の前にある、装飾も何もないただの白い箱だ。
この中には私の宝物が入っている。彼からプロポーズされた時に貰った花、お揃いの指輪、お気に入りだからと薦められて読んだ漫画。
そして何より、小さな頃から今に至るまで、ずっと私と想い出を作り続けてきた大切なもの。
どんなに辛い時でも、この宝物に元気を貰った。ある日はなればなれになった時は、あまりの不安に泣き出したこともあった。
宝物とはかけがえのないものと表現する人が居るが、私とってはまさにかけがえがなく、代わりのない大切なものだった。
そんな唯一無二の宝物が入ったこの箱は、どんなに質素な見た目をしていても、私にとってはこの世のどんな宝石よりも光り輝いて見える宝箱だった。
そんな宝箱の蓋が閉められ、私の前から運び出されて行く。持っていかないで、とどんなに縋り付きたくても縋り付けなくて、涙を堪えて行く末を見守る。宝箱は遂に車に乗せられた。
──ありがとう......さようなら。車のホーンにかき消されるほどのか細い声で呟いたその言葉は、まるで青い青い空に立つ煙のように散っていった。
──お題:宝物──