月夜
飲み会の帰り、大きな公園の横を通ったとき不穏な影が目に入って二度見した。
ボート池の中心付近で動いているもの、あれは間違いなく人影だ。
酔っ払いがふざけて泳いでいるのか?
にしては仲間が囃し立てている様子もない。巨大な満月を映す水面を波を引いて泳いでいる。
大丈夫か?入水自殺だったりしない?
体形から中年男性のようだ。止まって頭を上げたとき、頭上にピンとなにかが立ち上がった。
あれはバニーガールが頭につける兎耳では?やっぱりふざけているんじゃないか。
池に映る満月とバニー。妙に合ってるな、と夜空を見上げるとどこにも月が出ていない。
あれ?と池の月を見たときコプンと男性が水に潜った。
溺れた、と思い私は柵を越え公園の敷地を走った。
池に近づくと謎の満月がさらに巨大さと輝きを増し、水面に細かく不穏な波が立った。
突然水中から「満月」が浮上し、押し上げた水を滝のように流しながら上空で静止した。
池にバニー男性の姿はない。彼は宇宙人であれに乗って飛び立ったということなのか。
輝く円盤はしばし静止したあと、人間のテクノロジーでは不可能な動きと速度で舞い上がり、夜空に嵌め込まれたかのように満月になった。
月の正体はUFOだったのか。
衝撃の事実を知ってしまった。
芝生の上で腰を抜かしたまま興奮して飲み仲間に報告したらお前は飲みすぎだと怒られた。
絆
父の死後、一人になった母の安否確認を毎晩している。
今日の出来事、会った人、体調、庭の草木、食べ物の話、だいたい母がひたすら喋るのを私が聞いているだけだが、思春期以降で母とこんなに話したことがあったかと思うくらい話している。
私と全然違う人間に育っちゃって、と言われたことがあったが、偶然隣りあった通行人同士と同じくらい私と母は性格も価値観も世界観も違う。思春期には軋轢があり私は早く実家を出た。
それでも私はあの家庭の記憶が失われることを恐れている。
弟がいるからまだましだが、母が亡くなったら私の幼い頃の記憶を共有できる相手はいなくなる。
夜に母と昔の話をした記憶をいつか懐かしく思い出すときが来るのだろうと思う。
絆という言葉から思い浮かぶ空想上の綱は、動物を繋ぎとめる綱の意味から太く頑丈で切っても切れない荒縄のようなものだ。土着的で血族血縁で金田一耕助という感じだ。
ひなまつり
映画『田園に死す』の大きな雛壇が川を流れてくるシーンは映像のインパクトばかり頭に残っていたが見返すととても痛ましいシーンで雛祭りの日に見るものではなかった。
ここでもお雛様は女の子の成長を祝う意味のものとして扱われていた。
私のも多分まだあるんだよな実家に。仕舞われっぱなしのお雛様が。
引き継ぐ娘や姪がいないのを悲しむ気持ちに一瞬なったけれど、いても新しいのをあげそうな気がする。
私の成長を祝うためのものだから私と一緒に滅んでもらおう。それで正しいのではないか。
欲望
四十にして惑わず五十にして天命を知る六十にして耳順う七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず
七十で少しゾッとするのだ。
心の欲する所に従っても人の道を超えない彼の欲望は本当に彼本来の欲望なんだろうか。
耳なし芳一のようにカフカの処刑機械のように何かが彼の身体に書き込まれていく。
それは年齢に従ってじわじわと広がり、彼の身体も魂さえもが覆い尽くされて社会的に適切な欲望しか出力しなくなった姿が七十で、それで人間的完成ということなのか。
社会的要請の徹底的な内面化。社会との合一。
これは孔子が自分の人生を語っている言葉だから、彼はそのように努力してきた生涯でそのようにあるのが彼の欲望だということなんだろうけど。
それに彼はむしろ彼の言葉で社会を覆い変化させた側だからな。書き込まれた言葉だって彼自身の言葉だ。
高く高く
24時間では書き終わらないのだった。
アイデアを出して大まかな話の形が決まってでもオチがつかない、とかそのくらいで次のお題が来てそっちでも中途半端に何か思いついてこっちの方が書きやすいかもと目移りしてごちゃごちゃになってる間に次のお題次のお題と来てだんだん無理な気がして諦めてしまう。
お題の中から一つ選んで三日から一週間で一作書くくらいのペースに乗れると良いのかもしれない。
書き上げてアップしても一週間前のお題なんて誰も覚えてなくて突然どうした?って感じかまたは流行に乗り遅れたような間抜けな印象になるかもしれないけどだからといって誰かの迷惑になるわけでもないだろう。
もっと早く書ける形を思いつけばそれに越したことはないんだけど。
形にならなかった話の断片が空に浮かんでは消えていく。