水蓮

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7/27/2023, 2:30:22 PM

〝神様は舞い降りて、こう言った。〟

今日は1文のテーマらしい。

幼い頃に誰かに言われた。

〝悪いことしていると自分の中にいる神様が出て行っちゃうよ〟

私はカトリック保育園に通っていた。

だからといってキリシタンではない。

神様も仏様も同じように拝んでいる。

日本は多神教だ。八百万の神様がいらっしゃる。

国造りをされた伊邪那美命(イザナミノミコト)と伊邪那岐命(イザナギノミコト)。

太陽神 天照大神(アマテラスオオミカミ)

夜を統べる神 月読命(ツクヨミノミコト)

その弟神 暴風の神 須佐之男命(スサノヲノミコト)

この三柱は聞いた事あるだろうか。

日本武尊(ヤマトタケルノミコト)

大国主命(オオクニヌシノミコト)

瓊瓊杵尊(ニニギのミコト)👈太陽神 天照大神の孫

など、古事記に出てくる有名な神様は聞いたことあるだろうか。

神様は至る所にいる。

自然の中に溶け込んでる神様もいらっしゃることだろう。

神様は舞い降りたところで私に何か言うだろうか。

私の中に鎮座されている神様は私が道を外さぬよう見守っている。

ずっと一緒過ごし、神様は私を見ている。


そう思っていると同時に、

ふと思うことがある。

この投稿を見てくれた貴方は音楽は好きだろうか。

ボーカロイドとか聞くだろうか。

↑人生ゲーム↓ という曲がある。

人生ゲームは僕らを縛る
見えない糸で操られる
神様はそれを眺めながら
サイコロ転がすの

というフレーズがある。

私が選択したものは実は神様がこうと仰ったもので、

私が意図してるものは神様が操った思考なのではなかろうか。

そうだとしても私には、何かを為す術ない。


仮に神様が私に舞い降りて何か告げるとしたら、

その神様は恐らく

死神様だろうな。

いつも一緒に過ごしている神様は恐らく何も言わないのだから。

7/26/2023, 12:51:54 PM

今日のテーマは

〝誰かのためになるのならば〟

つまり良く言えば献身的、あえて悪く言うのならば恐らく 自己犠牲もいとわない。

この投稿をみた貴方はどうだろうか。

人のため、世のため となにか奮起するタイプだろうか。

それとも、自分のために生きる利己主義だろうか。

私はたぶん、昔は献身的だったのだろう。

よくしてくれたらなにかお礼として

なにかあれば相談に乗る。

まあ、私はそんな私も居たのだろうくらいに記憶が曖昧だ。

この投稿をみた貴方は私の投稿が初めてなのかな?

私は鬱になったことがある。

今も尚、療養している最中だ。

鬱なったら人のため 世のため なんて出来やしない。

自分のために生きることすら危ぶまれるのだ。

大学の授業も出れず、ただ目を開けている。
何も考えられず、情報を脳が処理できず
ただ呼吸する、ただただそこに居る。

なんて生産性のない生活で、なんて自堕落なことだろう。

そう思った。

こんな役に立たないのが生きてたって意味が無い。

こんな生活してたって変わらない。

無駄な時間、無駄な努力、全てにおいて無駄。

そう感じていた。

自分のために生きることすら出来なかった。

ただただ存在している。

それがどんなに苦しかったか。


〝誰かのためになるのならば〟

まあ、率直な感想として言うのであれば

なんて利己主義な考えなのだろうと思う。

もちろん、献身的な人もいるだろう。

徳が高い人はそう思わないだろうが、

お生憎様、私はたぶん底辺な人類だ。

エゴイズムに聞こえてならないのだ。

利己主義とは様々な種類がある。

①心理的利己主義

「人間の行為は自分自身の利害に現に常に動機付けられている」

「人間の本性(心理)は快楽主義(幸福主義)であろう」

「自己の利益のみに常に関心を持つ "合理的" 経済人」


②倫理的利己主義

「人の行為は自分自身の利害に動機付けられるべきである」

"行為の善悪や正否のよりどころは「自分自身の最大幸福」であり(原則上は)他人に被害があってもかまわない"


私は世のため 人のため に生きていくのは到底出来やしないのだ。

7/25/2023, 8:55:10 PM

今日は〝鳥かご〟ときた。

さぁさぁ、この〝鳥かご〟はどんなものを指しているだろうか。

小鳥を飼うためのモノか。

そこに囚われた鳥を指すのか。

それとも囚われたのは自分なのか。

囚われた自分からみた世界なのか。

さあ、困った。

1つの単語に様々な印象を受けるのは

善事か禍事か。

鳥かごを外から見るか内から見るか。

おっと、どこかの広告の言葉を模倣したような言い回しになってしまった。

失敬、失敬。


本来、そのケージは飼っている動物を守る為。

しかし、個体や性格によって窮屈極まりないもの。

暴れたり、ストレスで病気になることだってあるだろう。

外敵から守る為、怪我をしない為にあるものを破ろうとするのは

本能か好奇心か。




人は、その鳥かごを覗く時、何を思うのだろう。

7/25/2023, 1:52:15 AM

“友情”

私は友達少ない。

少ないというより友達というほど心許してる人が少ない。

私がまだ5歳にも満たない頃、亡き祖母は言った。

「友達は数じゃない。生涯で1人くらいでいい。ずっと一緒にいれる人を友達というんだよ。」

私はあまり気にしてなかったが、

祖母が亡くなったのは小学校に上がる前。

それほどまでに印象が強かったのだろう。

小学校入って、児童館に通い出し

気づいたらずっと一緒にいる子がいた。

どうやって仲良くなったのかも覚えてないくらいにずっと一緒に遊んでいた。

平日は児童館、休日はお互いどちらかの家に来て遊ぶ。

児童館をお互い通わなくなっても

休みだったら一緒に居た。

私の小学校はそこそこなマンモス校で4~5クラスほどが1学年だった。

毎年、クラス替えが発表された日には家の固定電話を握り、お互い何組かを言い合う。

彼女と一緒のクラスになったのは5年が最初だった。

5年生でやっと同じクラスになれたのだ。

しかし、5年に上がった頃、

私の病気が牙を出した。

学校に通えない日々が続き、入院もした。

彼女は家も近くないのにプリントを持っていくと名乗り出し、私が授業についていけなくならないようにとノートも細かく書いていた。

そして入院した事実を知った時に、彼女だけが見舞いをしに来た。手紙とチョコレートを手作りして来たのだ。

彼女はとても優しい。優しくて素直だ。

私と友達なってくれたのが奇跡という他ないくらい性格も価値観も好きなものすら違う。

けれど、彼女は遊んでいてふと言ったのだ。

“私と水蓮(本来は本名)はずっと親友だよ”

と。


私が彼女にしてもらったことを返すのは時間かかる。

それでも、時間をかけて“ありがとう”と伝えたい。

それをするには1生涯、親友として笑い合えることだ。


これを私は友情と呼ぶ。

7/23/2023, 3:10:13 PM

今日のテーマは“花咲いて”と来た。

この次の文を考えろ。そういう事なのか。

さあ、今日は“花”について少し喋ってみようか。

この投稿を見てくれた貴方は花と言えば何を思い浮かべるのだろう。

私はあまり花を好かない。

理由は簡単。

匂いが苦手なのだ。

私は3月8日生まれだ。

調べて頂ければ幸いだが、

この日は国際女性デーという。

ミモザという黄色い花が飾られる日なのだ。

私は花を好かない理由はこれだ。

誕生日が近くなると決まって母はミモザのリースやミモザを入れた花瓶をところ構わず置く。

ミモザという花の匂いがどうも好きになれない。

匂いというものは意識せずとも香り、季節を感じるものだ。

そして皮肉なことに、私の母は花が好きで庭や家中に花をあしらっている。

私の部屋だけが何も無い世界。

庭から始まり玄関前にリースを作ったり玄関入ってすぐには毎月通ってるフラワーアレンジメントの作品飾ったり…

至る所に花は咲いてる。


話を変えてしまって申し訳ないが、

夏といえば花火が風物詩なところあるだろう。

何も“花”と言われて植物に固執しなくていい気がした。

花火は好きだろうか。

私は打ち上げ花火は割と苦手だ。

音が大きいのが苦手だ。

線香花火は儚く刹那的で良い。

“花咲いて 映るその火は 儚げに 散りゆく時は 夏の空しさ ”

現代文は苦手だ。

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