〝声が枯れるまで〟
今日のテーマもなかなかに難しい。
声が枯れるまで何を訴えようか。
私は数日前まで入院していた。
私の投稿を見たことない方々のために説明しておこう。
私は精神疾患を患っている。
そしてゲーム依存症、ゲーム行動障害というオマケまでついている。
ギャンブラーのようにゲームやスマホに課金をして欲しいものが手に入るまで給料のほとんどをソレに費やす。
あなたがたには到底理解できまい。
あなたがたは〝たかが〟ゲームなのだから。
私にとってはゲームをしなければ生きる理由も意味もない。
課金して最新の武器やキャラを引いたことがステータスで、現実を忘れる唯一の方法だった。
現実ではパワハラとモラハラ。
主任や上司に相談しても「仕事を完璧にすれば何も言われない」と取り合ってもらえず
ゲームにどんどん依存した末に同居してる親に
「スマホ捨てろ」と言われる始末。
私にとってスマホはこんなくだらない命より大切なもので
私にとってこんな生きてて意味の無い人間なんかより一番に守らなければならないものだった。
外来のときにドクターに
「もう全てから逃げたい」と一言だけ告げて緊急入院に至る。
アルコール、ギャンブルに薬(オーバードーズ)依存に囲まれて生活してる方がよっぽど気楽だった。
私がもし声が枯れるまで叫ぶとしたら
〝何も知らないのなら踏み込んで来ないで〟
と言いたかったのかもしれない。
言えるわけもないのに。
〝my heart 〟
面白いお題が来たものだ。
my heart 日本語訳は 私の心。
淀み、身体すら思うように動かせなかったあの頃、
どうもできずテレビの情報は1ミリ足りとも脳に記憶されず。
治りかけてきたと思えば依存症になり
それを分からない人から
とやかく野次が飛ぶ。
マリブナイトという洋楽が好きだ。
あまりに暗い歌なので見ることを推奨はできないが、
気になった方はYouTubeで検索してみるといい。
What do you do with a broken heart?
傷ついた心で何ができるのか
:
:
Way too much whiskey in my blood
ウィスキーを飲みすぎた
I feel my body giving up
もう身体は限界なんだ
1部の歌詞を抜粋している。
傷ついた心で何も出来ず、血はキャパオーバーするレベルのウィスキーに浸り、身体はボロボロということが分かるだろうか。
この歌の登場人物は酒に溺れているが
私はインターネットとゲームに溺れている。
常にYouTubeをつけて常にゲームしてないと気が休まらない。
私はとっくの昔に
my heart broken
〝私の心は壊れている〟
今日のお題は〝海の底〟だという。
海が好きだ。
特に泳げもしないし遊びたいわけじゃない。
水の音、そこに生きる生命が好きなだけだ。
深く深く
太陽の光さえも届かぬ場所で生きてるいる者たちは
とても尊い。
私は地上で立って歩ける足を思うように動かせず
陸で溺れているというのに。
懸命に命を繋げて後世に残そうとするものが価値ないわけなかろう。
ゆっくりゆっくり沈み
その命が尽きても
他の生命体の糧になり海に還る
そういう風に
この命が尽きたときに他の子らの糧になりたかった。
けれど、そう上手くいく子らは立派に生きている子らなのだろう。
歴史にも人の記憶にも残らぬ私など
この世に存在してる者の中で1番価値のない生き物ではなかろうか。
ふとたまに鬱がひどかった頃に精神が戻る。
私は立って歩ける足を持ち、前を向いて歩けているのに、
もう足ばかりを見て太陽の光を嫌って外に出れない事などないのに
鬱というわだかまりは時折私を無価値な生き物というレッテルを貼ろうとする。
海の深い深いところでは1秒も無駄にせず懸命に生きているもの達がいるというのに。
〝どうすればいいの?〟
面白いお題が来たものだ。
生きる意味
将来への不安
自分が生まれた理由
将来とは言わず、すぐ明日が見えない状況
不安と葛藤に押しつぶされて心を蝕んでいた鬱病という病は
私の未来への不安を徐々に拡大していった。
元々が消極否定型のためネガティブ思考である。
自分は何も出来ない。出来損ない。愚図。ノロマ。
そういうネガティブなことで自分を否定してはどんどん肥大化していく何かに心は蝕まれていった。
常に未来の不安は拭えない。
皆が出来ているのに自分は出来ない。
自己嫌悪に陥った挙句、鬱病になり、良くなってきたと思えば、今度はゲーム障害。
お先真っ暗な人生だ。
けれど私は過去の鬱病よりは悲観になっていない。
〝どうしたいの?〟
精神科のドクターは皆口を揃えてこう尋ねる。
〝どうすればいいの?〟
これに私なりの答えはこうだ。
〝とりあえず生きてみる〟
生きてみたら鬱病より酷いゲーム障害になるし
職場はかなりブラックだし
先輩からいびられる日常ではあるものの
まあ、いいか。
止まない雨はないし
嫌でも明日は来るんだから。
〝冬になったら〟
久しぶりの投稿は季節にちなんだものらしい。
私は生まれつき体弱い。
外で遊べる日は月にあるかないかだった。
私の生まれ故郷は雪が降る地域だ。
と言っても豪雪地帯に比べてしまえばそこまで降らないが…
雪遊びは少し思い出がある。
まだ兄たちが大学に進学する前。
兄たちは2人とも大学が都内だったので高校を卒業を機にひとり暮らししている。
私は4〜5歳だった。当時兄たちは高3と中3だった。
雪だるまとかまくらを庭で作った。
私の小さな手は本当に小さな雪玉しか作れないが、それでも私は外で遊べることにはしゃいでいた。
それを兄たちに見せようとしたら
長兄は私の下半身にまでなる大きな雪玉を転がしてきたのだ。
幼いながらに私よりやる気になってる兄に少し引いた笑
次兄は長兄と私が雪だるまを作ってる傍らでかまくらを作り始める。
なんとか完成した雪だるまはかなり歪で、
かまくらは3人で作ったのに小さな妹ともう1人しか入らない設計だった。
それでも私は楽しかった。
両親はぎゅうぎゅうに入る次兄と私をみて笑っていた。
冬になったら思い出す家族団欒な思い出。
歳の離れた兄たちと遊んだ数少ない思い出が。