今日のお題は〝見えない未来へ〟だと言う。
さて、読者諸君。
私の投稿を初めて見るのか、昔に見たことがあるかは分からない君にいきなり重い話をして申し訳ないが
少しの時間付き合ってくれないだろうか。
私はもう何年も前から精神疾患を患っている。
そして3年ほど前からゲーム行動障害としてゲーム依存症とも言うがそれの治療もしている。
精神疾患を患ってからでも
ゲーム依存症になってからでも
私の未来は明るくない。
なんなら保育園の頃から未来に絶望を持っていた、
絶望なんて大事のような言葉を使ってすまない。
まず、私は生まれつき体はだいぶ弱かった。
呼吸器の病気を持って生まれたせいと
体が小さく生まれたことが理由だと思われる。
自慢ではないが私は記憶力はまあまあある方だ。
3歳からハッキリと記憶を今になっても思い出せる。
だからだろうか、窓から同じ学年の子が楽しそうに走る姿に目に焼き付けながら、自分の後ろにいるのは自分よりも小さくか弱い子たちと何も出来ずに過ごすことを悔しく思っていた。
小学生になる前に保育園とは言え少しの勉強をした。
ひらがなの練習と数の数え方くらいだったが…
クラスで1番できが悪く、それに加え通える日数が段違いなためかなり出遅れていた。
保育園以外でもピアノを習っていたが少人数のクラスとは言え、そこでも出来は遅かった。
だから既に「みんなができるのに」と打ちひしがれていた。
小学生になるとそれが顕著だった。
そもそも保育園の頃から体調を崩しがちなので小学校自体が毎日通えるわけではなかった。
そして小学生は幼いながらに社会性を築いている。
その輪に通えてないかつ出来の悪い生徒がいる。
そう「いじめ」のカッコウの的になるのもたやすい。
まあ私がされたのはクラス全員から省かれる程度のものだったが。
保育園の頃は、「みんなはできるのに」「みんなは外で遊べるのに」
小学生の頃は「出来ない自分が悪い」「体が弱いのが悪い」
そんなこんなで精神疾患を患う前からずっと暗かった。
これは大人になってから知ったことだが
私は学習、特に数が関わるものが特段に苦手だ。
電話番号を聞くとして
これを読んでる君は仮に「○○○-283」
と言われてすぐに「にーはちさん、283」となるだろう。
極端な話、私はこれすら咄嗟の理解ができない。
はち とはどんなカタチであったか
はち はなんだったか
と咄嗟にパニックになる。
そして小学生レベルの計算すらできない。
買い物する時はスマホで電卓を使う。
税抜きで書かれるとそれがどのくらい(消費税をどう足せばいいのかが分からない)かかるか分からない。
理解できないと思う。
昔から私はずっとできない子だった。
そんな私がどんなに周りに「未来は明るいから」と励ましてもらったところで
小さい頃からずっと、
未来に到達して生きてるかも分からない
仮に生きたとしてこの暗闇に一人取り残されていると思っている。
私はずっと暗い場所でずっと自分の足跡だけがわかる場所に取り残されている。
せめてもの救いは私が自害する勇気がないことだ。
〝声が枯れるまで〟
今日のテーマもなかなかに難しい。
声が枯れるまで何を訴えようか。
私は数日前まで入院していた。
私の投稿を見たことない方々のために説明しておこう。
私は精神疾患を患っている。
そしてゲーム依存症、ゲーム行動障害というオマケまでついている。
ギャンブラーのようにゲームやスマホに課金をして欲しいものが手に入るまで給料のほとんどをソレに費やす。
あなたがたには到底理解できまい。
あなたがたは〝たかが〟ゲームなのだから。
私にとってはゲームをしなければ生きる理由も意味もない。
課金して最新の武器やキャラを引いたことがステータスで、現実を忘れる唯一の方法だった。
現実ではパワハラとモラハラ。
主任や上司に相談しても「仕事を完璧にすれば何も言われない」と取り合ってもらえず
ゲームにどんどん依存した末に同居してる親に
「スマホ捨てろ」と言われる始末。
私にとってスマホはこんなくだらない命より大切なもので
私にとってこんな生きてて意味の無い人間なんかより一番に守らなければならないものだった。
外来のときにドクターに
「もう全てから逃げたい」と一言だけ告げて緊急入院に至る。
アルコール、ギャンブルに薬(オーバードーズ)依存に囲まれて生活してる方がよっぽど気楽だった。
私がもし声が枯れるまで叫ぶとしたら
〝何も知らないのなら踏み込んで来ないで〟
と言いたかったのかもしれない。
言えるわけもないのに。
〝my heart 〟
面白いお題が来たものだ。
my heart 日本語訳は 私の心。
淀み、身体すら思うように動かせなかったあの頃、
どうもできずテレビの情報は1ミリ足りとも脳に記憶されず。
治りかけてきたと思えば依存症になり
それを分からない人から
とやかく野次が飛ぶ。
マリブナイトという洋楽が好きだ。
あまりに暗い歌なので見ることを推奨はできないが、
気になった方はYouTubeで検索してみるといい。
What do you do with a broken heart?
傷ついた心で何ができるのか
:
:
Way too much whiskey in my blood
ウィスキーを飲みすぎた
I feel my body giving up
もう身体は限界なんだ
1部の歌詞を抜粋している。
傷ついた心で何も出来ず、血はキャパオーバーするレベルのウィスキーに浸り、身体はボロボロということが分かるだろうか。
この歌の登場人物は酒に溺れているが
私はインターネットとゲームに溺れている。
常にYouTubeをつけて常にゲームしてないと気が休まらない。
私はとっくの昔に
my heart broken
〝私の心は壊れている〟
今日のお題は〝海の底〟だという。
海が好きだ。
特に泳げもしないし遊びたいわけじゃない。
水の音、そこに生きる生命が好きなだけだ。
深く深く
太陽の光さえも届かぬ場所で生きてるいる者たちは
とても尊い。
私は地上で立って歩ける足を思うように動かせず
陸で溺れているというのに。
懸命に命を繋げて後世に残そうとするものが価値ないわけなかろう。
ゆっくりゆっくり沈み
その命が尽きても
他の生命体の糧になり海に還る
そういう風に
この命が尽きたときに他の子らの糧になりたかった。
けれど、そう上手くいく子らは立派に生きている子らなのだろう。
歴史にも人の記憶にも残らぬ私など
この世に存在してる者の中で1番価値のない生き物ではなかろうか。
ふとたまに鬱がひどかった頃に精神が戻る。
私は立って歩ける足を持ち、前を向いて歩けているのに、
もう足ばかりを見て太陽の光を嫌って外に出れない事などないのに
鬱というわだかまりは時折私を無価値な生き物というレッテルを貼ろうとする。
海の深い深いところでは1秒も無駄にせず懸命に生きているもの達がいるというのに。
〝どうすればいいの?〟
面白いお題が来たものだ。
生きる意味
将来への不安
自分が生まれた理由
将来とは言わず、すぐ明日が見えない状況
不安と葛藤に押しつぶされて心を蝕んでいた鬱病という病は
私の未来への不安を徐々に拡大していった。
元々が消極否定型のためネガティブ思考である。
自分は何も出来ない。出来損ない。愚図。ノロマ。
そういうネガティブなことで自分を否定してはどんどん肥大化していく何かに心は蝕まれていった。
常に未来の不安は拭えない。
皆が出来ているのに自分は出来ない。
自己嫌悪に陥った挙句、鬱病になり、良くなってきたと思えば、今度はゲーム障害。
お先真っ暗な人生だ。
けれど私は過去の鬱病よりは悲観になっていない。
〝どうしたいの?〟
精神科のドクターは皆口を揃えてこう尋ねる。
〝どうすればいいの?〟
これに私なりの答えはこうだ。
〝とりあえず生きてみる〟
生きてみたら鬱病より酷いゲーム障害になるし
職場はかなりブラックだし
先輩からいびられる日常ではあるものの
まあ、いいか。
止まない雨はないし
嫌でも明日は来るんだから。