やるせない気持ち
祖父が亡くなった。なぜ私より先に祖父が旅立つのだろう、なんて、60歳もの年齢差を考えれば問うまでもないことなのだけれど。
しかし、片や30を過ぎても職につかずフラフラしている怠け者、片や70過ぎまで業界の最前線で活躍し90になっても皆に慕われた働き者となれば、この寿命という不条理にやるせない気持ちを抱くのも自然なことではなかろうか。
こんな無益な思慮を他人に話すわけにもいかず、私は表向き淡々と火葬される祖父を見送った。
「ねぇ絵美、遺言書に変なこと書いてあったらしいんだけど。あんた向けに」
姉にそう言われたのは火葬から2日経った日のことだった。
遺言書に書かれていたのは私宛ての暗号のような文章だった。
内容を理解するのにそう時間はかからなかった。幼い頃祖父と私で描いた絵本の内容に沿って一部が伏せ字にされていた。20年以上前のことを覚えている私も私だが、90になっても記憶がここまでハッキリしている祖父も祖父である。
遺言書に示された場所は、祖父の家の裏にある何が入ってるんだか分からない倉庫だった。中に入るのは初めてだ。おそるおそる扉を開けると、鍵はかかっていなかった。
中は薄暗く埃っぽい。しかし、思いの外整頓はされている。
木製の棚の上に、大きな茶封筒が一つと便箋が置かれていた。
「おじいちゃんは、絵美ちゃんには才能があると思います。2人で考えたこの絵本が大好きです。そんな絵美ちゃんがいつも『私には何もできない』と言っていて、おじいちゃんはとてもやるせない気持ちになります。」
私宛ての手紙だ。すごく申し訳ない、という気持ちは次の一文を読んで消し飛んでしまった。
「だから、絵美ちゃんと作った絵本、賞に出す準備を整えておきました。あとはポストに入れるだけです。ファイティン!」
「え!?」
まさかこの茶封筒。慌てて宛先を確認すると、何やら有名な出版社の名前が書いてある。
待って、勝手なことしないでよ。そう思うと同時に浮かんできたのは、「出すならもっといいものを描くよ!」という気持ちだった。
あぁ。もう。早く手直ししよう。締切はいつまで?
急いで持ち帰ろうとする、そのときにはもうやるせなさなど抱く余裕もなかった。
太陽
太陽のように笑う人だ、と彼女は言われていた。
彼女は笑顔が好きだった。人を笑わせるのが好きで、笑顔を広める活動をして、「日本で最も人を笑顔にした人」などという信憑性のかけらもない肩書きさえも我が物にしていた。
ただ、「太陽のように」という形容が、彼女には長い間理解できなかった。
「でも、いいよね。みんなが笑顔になるなら」
気象庁の係員に彼女は話しかけた。それはまるで独り言のようで、なにより勤務時間だし、係の人は戸惑うばかりだった。
「そう思った時期が私にもありました」
彼女は遠い目をしていた。ビルの外は光の粉がまぶされたように眩しく、暑さのあまり空気が揺れている。
「『太陽のように』がまさか温度のこととは思わないよね」
彼女が笑顔を広めたせいで、世界の温度は急激に上昇している。はぁーあ、と彼女はわざとらしくため息をついて、ようやく係員の方を向いた。
「お偉いさんに謝っといて。予測乱しちゃってごめん、って」
彼女はそう言って舌を出して笑った。そして混乱する係の人を置いてビルの外に出ていった。今日はこのあともまだ仕事が残っている。人々に笑顔を届ける仕事が。
もしもタイムマシンがあったなら
タイムマシン。懐かしいな。
たしか、このアプリに登録して2日目のお題が「タイムマシン」だった。
そのときは「タイムマシンができるほどの未来では人々の価値観も変わり、タイムマシンは要らない技術として扱われる」と考えて物語を書いた。今なら違う答えを出せるだろうか。
もしもタイムマシンがあったなら、私は「昨日」を永遠に繰り返すだろう。要らない技術だなんて言わない。些細なことで深い後悔を抱えて眠り、朝起きても後悔が拭えず、耐えかねてタイムマシンに乗る。そうやって「昨日」を繰り返して正解を模索する。結局正解を出せないことに苦しんで、翌朝またタイムマシンに乗る。……うーん、やっぱり要らない技術かもしれない。
あるいは、特に楽しかった1日を繰り返しても良い。つい昨日「何をしていても純粋に楽しめない」だなんて言ったばかりだけど、それでもそこそこ楽しかった日は存在する。そもそも楽しめない理由の根本が「明日が来てしまうから」なので、タイムマシンによってこの問題が解決されるのであれば、永久に楽しい日々を過ごすだろう。うん、やっぱり必要な技術かもしれない。
しかし、もしもタイムマシンが実現したら、きっと争いの火種になるだろうな。以前の作品はそのアンチテーゼとして書いたけれど、あれは所詮ファンタジーだ。悪用されないわけがないんだから。そう思うと、やっぱりタイムマシンは要らない技術か。そう言い切った以前の作品は平和の究極系のような物語だったのだなぁと今さらながら思う。
今一番欲しいもの
今回は創作ではなくエッセイとしての投稿になりそうだ。今回のテーマを見て物語らしいものがまるで思いつかない。それだけ私の中で何か欠けているのか?
今一番欲しいもの。私は今、濁り気のない純粋すぎるくらいの「楽しい」が欲しい。
最近どんなに楽しいことがあっても漠然とした不安や自己嫌悪が心の内に巣食っている。私はここで何をしているのだろう?と思う。どうせこのワクワクも長く持ちやしないだろうと思う。社会の中で生きていることに申し訳無さがある。
好きなことをしているときも、テーマパークなんかに行っているときもいつもそうで、いつしか私は純粋な「楽しい」を信じられなくなった。小さな「楽しい」でさえも失われていく現状が恐ろしくて、気づけば「楽しい」という感情そのものを避けるようになった。
これが「大人になる」ということならば。受け入れろと言われるだろうか。だったら私は「過去の時間」を求めようか。何もかもが新鮮で楽しかった幼き日々に戻りたいと思う日々である。
星空
「はーい、今日は星空を作る授業です! 先生の空を真似して自由に作ってみてね!」
20人ほどの小さな神たちが集まった教室。まだ幼い彼らは目を輝かせながら空を紺や黒に塗り、白い点を散らす。
特別幼く好奇心の強い一人の神は、迷わすピンクと水色を選んで全面に塗りたくった。見回りをしていた先生が立ち止まり彼の作品を覗き込む。子供の神は続いて原色の赤や青でスパッタリングして星を描いていく。先生は慌てて呼び止めた。
「ねぇ、星空って、そんな色してるかな? 星空はね、暗い色なの。それに星は確かに近くで見ればいろいろな色があるけど、遠くから見ればほとんど白にしか見えないの。だからね、その色だと星空じゃなくなっちゃうよ」
子供は驚いて先生の顔を見た。自由に作っていいって言ったのに。そう言いたいけど言えなくて、子供は黒い絵の具で空を塗りつぶした。涙が空に落ちてピンクと水色が滲む。白でスパッタリングをすると先生は手を叩いて喜んだ。
「すごい! きれいな星空になりましたね!」
ピンクと水色の滲んだ幻想的な星空には最優秀賞の札が掛けられた。甲高く褒め称える声の中で、子供の心には唯の一つの光も見えない闇夜のような感情が渦巻いた。