彼女の瞳は澄んでいた。
全てを包み込む青。どこまでも昇っていける青。昔一度だけ行った南の海と同じ色をしていた。
艶のあるセミロングの金髪も、日焼けを経験したことがなさそうな白い肌も、ぷるんとした発色のいい真っ赤な唇も、彼女のどれをとっても美しいけれど、瞳の青を際立たせるパーツでしかない。
そんな彼女と私が出会ったのは廃れた市営プールで、確かその日は観測史上最高気温を更新した日だった。
テントで仮設された案内所のパイプ椅子に座りながら、こんな暑い日に誰が来るんだ。プールの監視員の仕事なんて引き受けるんじゃなかった、なんて文句を思い浮かべて氷の溶けたポカリを流し込んだ。
プールサイドは肉でも焼けそうなほど温度が上がり、涼しくしようと水を撒いてみてもすぐに空に還ってしまう。
「はぁ……」
隣の家に住むプールの管理人さんから頼まれた仕事だが、誰も来ない上に、このままでは私の健康状態に関わる。まだ午前中なのになんでこんなに暑いんだ。
「勝手に閉めたら怒られるかな」
ため息をついて立ち上がった瞬間、目の前に現れた一人の女の子と目が合った。そして私は呑み込まれた。あまりにも澄んだ青の瞳に。
「ここ、開いてる?」
リスが鳴くような可愛らしい声。
「あ、開いてます……」
「良かった。どこも開いてなくて。せっかく中に水着を着てきたのに台無しになっちゃうところだった」
そう言って彼女は、着ていたブラウスのボタンを2つ外して、水着の白い紐を見せてきた。
「だ、誰もいないので、ご自由にどうぞ。暑いので熱中症対策はきちんとお願いします」
「ねぇ、貴女は入らないの?」
「え、えっと、着替えしか持ってなくて」
「それじゃあ、少しくらい濡れても大丈夫ね」
彼女は微笑んだ。そして私の手を掴んで乾ききった灼熱のプールサイドを走った。早く水に入りたいからと、木と私を壁にして服を脱いだ。
今会ったばかりなのに、彼女の衣擦れの音に緊張してしまう。
「脱いだよ」
綺麗だったことは覚えている。けれど、直視できなかったせいか、その姿はあまり覚えていない。
彼女は膝くらいまでの深さの幼児用プールに入った。ここなら貴女も遊べるでしょう? そう言いたげな顔をしながら、手のひらに掬った水をかけてきた。
「うわっ!」
正直言ってぬるかった。むしろ、上から降り注ぐ太陽の熱が痛かった。
それでも彼女は嬉しそうに水をかけてきた。時には私もかけ返して。疲れたら自販機のジュースを飲みながら喋って。笑って。
「最初見たとき、お人形さんかと思ったよ」
「嬉しい」
「ねぇ、どこから来た……」
言い切る前に彼女は私の口に手を当てた。
「もう少しだけ遊ばない?」
空になったペットボトルを捨てて、私たちは深いプールに沈んだ。水を吸って重たくなっていく服が、私にいっそうの非日常を味わせた。
「ずっとこのままなら良いのに」
ただ浮かんでいた。海月になっていた。
「私たち、また会えるかな」
彼女に言ったつもりの言葉に返事はなかった。
急いで身体を起こすと、そこにはもう誰もいない。
「え?」
ぐわんとなる脳の揺れに目を瞑り、海に深く沈むような感覚に目を開くと、そこは元いた仮設テントだった。
「え?」
さっきまでプールにいたはずなのに服は湿り気を知らず、時計は午前中のまま。彼女といた記憶は確かにあるのに、全てがなかったことにされている。
「嘘……」
プールのどこを探しても彼女の姿はなく、私の胸には消えない一夏の痛みだけが残った。
#澄んだ瞳
冷たい視線が風となって私を包む。
私が何をしたと言うのか。貴方たちの不利益になるようなことをしたのだろうか。私はただ生きて、ここに存在しているだけ。それは何か悪いことか。
その嘲笑、聞こえないとでも思っているのか。
その悪口、自分に返ってくるのを知らないのか。
日に日に強くなっていく風、上がらない体温。いつか私は凍傷で死ぬのではないだろうか。自分では大丈夫だと思っていても、確実に風は私を弱めていくだろう。だが、冷たい嵐が来ようとも、私は生き抜く自信がある。好きなアーティストの活動記念集が10月に届くのだ。だからそれまでは、それまでは必ず……。
#嵐が来ようとも
先日、男友達に誘われて地元の祭りに行った。
親しい間柄であったので、何の気負いもなく楽しむことができた。
しかし、彼、仮にSとするが、Sのスマホのロック画面に同い年くらいの女性が写っていた。最初は好きなアーティストかな、くらいにしか思っていなかったが、少し茶化してみたくもあった。軽い気持ちで、「その人彼女?」と聞いてみると、「うん」と返ってきた。何よりも先に口から出てきたのは「は?」という呆れの声だった。
その女性は一つ上のSの彼女で、県外に住んでいるらしい。私と遊ぶことは事前に伝えてあり、それを了承してくれたそうだ。
「友達と遊ぶのは普通でしょ?」
そうSは言ったが、私はなかなか腑に落ちなかった。ぐちゃぐちゃになった感情を押しつぶそうと、「もう帰る」とだけ言い残して、花火が上がる前に祭りの喧騒を後にした。
男女の友情は成立する、なんて言う人もいるが、相手にパートナーがいたのなら、それは一種の罪悪感によって簡単に崩れてしまうだろう。
この日、私は「友達と祭りに行った人」ではなく、「彼女のいる男と祭りに行った女」になってしまった。彼女さんは許してくれたと言っていたが、私の心の中は罪悪感でいっぱいだ。
#夏祭り