この時間。この教室。いつもは賑やかでうるさいと感じるほど。居ずらいと感じ早く出て行きたい、帰りたい。そう思う教室。
でも放課後、この時間。自分はこの教室が好きになる。
居場所になる。静まり返った放課後の教室。
そんな教室でいつもの席に座り、いつものように黒板を眺めその次には窓ごしの外を眺める。
窓を開けると風と一緒になって死ぬほど頑張る人の声が聞こえてくる。それが嫌い。憎い。努力。頑張る。
意味の無い事をする人の声が。放課後、教室に飛び込んでくる。放課後の教室は好きだ。この声を除いて。
でも窓を閉めてドアも閉めて自分だけの世界を作るともっと好きになる。意味の無い声を聞かなくていい。
何も考えずボーッとしてるだけで時間は過ぎてこの時だけ現実世界から逃げることが出来る。自分が嫌いだ。でも現実世界から逃げられるのなら自分を好きになることが出来る。
理由?ないよ。
でもね、現実じゃないから自分を好きな形に変えることができるんだ。それなら自分の最高で素敵な自分を作り上げる。完璧な自分を作り上げるんだ。それなら誰だって自分を好きになれるだろ?放課後の教室にはメリットしか残らないんじゃないか。自分はそう思うな。だから。自分を救いたい、頭を整理したい、現実から逃げたいそう思う時、自分は放課後の教室を好む。
これを読んでるそこの君も、大人なら自分の部屋で学生なら教室に残って考えてみたらどうだ?落ち着いて考えることができるよ。頭を整理するにはいい機会になるだろ。やって見なよ。
題材 放課後の教室
- ̗̀⏰𓈒 𓂂𓏸ピピピピ
カチッ✋🔘
鬱陶しい朝。毎日寝る前に明日は来ないよう祈るのに、目が覚めたら天国にでも行けてますようにって祈るのに。
目を開けて広がるのはいつも明るい自分の部屋なんだカーテンから差し込んで来る光が鬱陶しい。
そのカーテンから差し込まれる鬱陶しい光が「朝」ということを自分に認識させる。それがいつもいつもウザくて嫌でどうしようも無いほどの感情が押し寄せてくる。
でも目を覚ませば×んでいる。なんて夢みたいな話あるわけがなくて。結局目を覚ませば朝は来ていて、カーテンからは見たくもない鬱陶しい光が見えてくるんだ。その鬱陶しさを感じながらでもカーテンを開けてみるともっと強く、暗い自分を照らしてくる。自分には似合わない光なんだ。この光まで鬱陶しく感じてまたカーテンを閉める。つまんない人生を生きているそんなことを思いながらまた目を閉じ、また願い、また目を覚ますそれを繰り返しているだけの人生がカーテンを開けたり閉めたりするのと似ていると感じた。人生もカーテンみたいなものなのか。そんなことを思いながらまた自分は目を閉じた。
これを読んでいる君も、もしかしたらこの話の中の人物と同じことを思ってたりする?
題材 カーテンと人間