鳥のように自由に生きたいよな。
と、妻に話したら、
その日の晩飯は鶏肉の焼き鳥だった。
美味かった。
鳥のように自然の中で暮らしたいよな。
と、妻に話したら、
その日の晩飯はダチョウの卵焼きだった。
美味かった。
鳥のように自由に空を飛びたいよな。
と、妻に話したら、
その日の晩飯はスズメの丸焼きだった。
キモかった。
鳥のように何者にも縛られず、世界を巡りたいよな。
と、妻に話したら。
その日の晩飯は鴨南蛮蕎麦だった。
美味かった。
やっぱり人間らしく生きるのが一番だよな。
と、妻に話したら、
その日の晩飯はーーーーーーーーー
美味かった。
//鳥のように
『さよなら』の語源はご存知ですか?
……………
そうですね。正解です。
接続詞の『然様ならば』が語源と言われています。
元々別れの挨拶に『然様ならば、是にて御免』『然様ならば、いざ別れん』等と使われていたのですが、江戸時代後期頃から徐々に後半の言葉が省略され『さようなら』が独立して使われ始めたようです。
……………
はい、そうです。そうなんですよ。
本来、伝えるべきはずの言葉が省略され、接続詞が別れの挨拶として残ったんですね。
これは不思議ですよね。
しかし日本語は、こういった不思議な変化がよく見られる言語と言われております。
現代の略語でも不思議な変化をしたものは多く見られますよね。
例えば最近よく目にする『草』『萌』『映え』なんて略語達も本来の言葉の意味からするとーー
……………
え、古かったですか?
つい最近使われ始めたばかりの言葉だった気がするのですが……おっと、そろそろ時間のようですね。
では最後となりますが、
皆さんもさよならを言う前に『さようならば』の後にどんな言葉を相手に送りたいのか思い描いてから、別れの挨拶をしてみるのはいかがでしょう。
自分でも気づいていなかった気持ちを見つけられるかもしれませんよ。
それではみなさん。
さようなら、またお会いしましょう。
// さよならを言う前に
川の背に
落ち葉踊りて
夜の海
浮世に沈み
何を夢見る
// 夜の海
花よ蝶よ
「花よ」
「いーや、蝶だね」
狭い居酒屋の狭い席。
そこで言い争う酔っ払い二人は、非常に残念なことに俺の幼馴染だ。
俺たちの共通の友人が旅先から送ってきた絵葉書。この一枚の写真が騒動の原因だった。
「これはどこからどう見てもナージャカランカの花冠よ。それくらいも見分けられないなんて、眼科に行った方がいいわよ」
「冗談だろ? アイツが絵葉書を送ってきた国の名前を覚えてないのか? 健忘症か? これはドミール共和国の国蝶。キリルレサーナンで間違いないね」
さっきからこの調子で、花よ蝶よと喧々諤々だ。
狭い店内で人目も気になりだしたので、そろそろ話に蹴りをつけるべく俺は口を挟むことにした。
「まぁまぁ、二人とも落ち着けよ。
ところで、学術名シュナイダー・シーオリコスって鳥を知ってるか? この絵葉書の写真はその鳥の尾羽にそっくりなんだが」
「はぁ!?」
「おいおい鳥とか正気かよ……」
俺たちの熱い夜はまだまだ続くようだ。
// 花よ蝶よ
心に壁を作って生きてきた
何者からも私を守ってくれる城壁
これで心の健康は守られる
心に壁を作って生きてきた
何者も寄せ付けず私を閉じ込める鉄の檻
これで心の健康は守られる?
心に壁を作って生きてきた
何者も興味を持たないように幾重にも
何者にも興味を持たないように幾重にも
なのにあなたは数多の壁を
乗り越え
打ち壊し
潜り抜け
私の前までやってきた
そして私の心は護られた
// 心の健康