【踊りませんか?】
いつもの天井、鳴り響く介護士の足音に目を覚ます。
食堂にはもうみんな集まっているようで、少し急ぎながら歩行器を進ませる。
いつもの席に座ると、新聞を読んでいた貴方が
「おはよう」と挨拶してくれた。
「おはよう」と返事をして朝食を待つ。
しばらくの沈黙の後に、
神妙な面持ちで貴方はとある提案をしてきた。
「一緒に踊ってくれないか?出会った時のように。」
寝ぼけているのだろうかと疑う発言であったが、
彼のあまりに真剣な表情に、承諾してしまった。
踊るという言葉に、出会った時を思い出す。
私たちが初めて出会ったのは、社交パーティだった。
会社が主催の親睦を深めるためのパーティで、テーブルにはたくさんのオードブルやドリンクが並んでいた。
わたしは踊りが好きだったが、相手が見つからずに壁際をさまよっていた。
(このままじゃ壁の花だわ…)なんて思っていた時、ガチガチに緊張していた可愛い彼を見つけて、「良ければ、踊りませんか?」と思わず声をかけてしまったのだった。
それがきっかけでここまで幸せにずっと共に生きることになったのだから、あの時の勇気は間違いではなかったのだろうといまでも思うのだ。
夕暮れになり、ホールに音楽がかかる。
介護士が用意してくれていたらしい。
華やかな場所が苦手で、ダンスもそこまで上手くない貴方がいきなり誘ってくれた意味。
よく考えなくても分かっていた。
明日はきっとこの幸せが半分になる日なんだろう。
初めて出会った社交パーティで踊ったワルツを、
車椅子と歩行器の老人で踊る。
それは到底踊りとは言えない代物だったが。
それでもいつまでも老人は踊った。
【踊るように】と同日の物語。妻の視点
【巡り会えたら】
腕の中で冷たくなっていくあなたを感じている。
さっきまでの熱が嘘のように、冷えていくの感じる。
どれだけ健全に生きていようが、
生きとし生けるものには必ず死は訪れる。
当然それはあなたにも。
そもそもあなたにとって、
この人生は幸せだったのだろうか?
あなたの求めていた幸せって
こんなものだったのだろうか?
聞いても返答などできないあなたの口を閉じる。
光や色をもう感じることの出来ない目を閉じる。
そっと頬に手を添えて、美しいその顔に口付けをする。
そして、最後の最後にあなたの耳に囁いた。
「次こそ、正しく巡り会って幸せになろうね。」
【静寂に包まれた部屋】
今日は大切なあなたの誕生日。
張り切って部屋の飾り付けをして、ケーキを買って、プレゼントも用意して部屋のリビングで帰りを待ち侘びる。
夜8時、いつもならあなたが帰ってくる時間。
なのにあなたは帰ってこない。
どこかで道草をくっているのだろうか?
誰かにお祝いされてるとこだろうか?
やらなきゃならないことが終わらないのだろうか?
夜9時、まだ帰ってこない。連絡もない。
せっかくの料理も冷めてしまった。
一体どこで何をしてるのだろうか?
ふぅ、とため息をついたその時、電話が鳴った。
あなたからの着信。
全くもって遅すぎる連絡に、なんて言ってやろうかと悩みながら電話に出る。
聞こえた声に、遅れた本当のわけを知る。
ああ、そうなんだ。
だから帰ってこれなかったんだ。
静かな部屋の時は流れる。
一刻一刻と。あなたの帰りを待ちわびる。
静寂を打ち消すようにボーンボーンと鐘がなる。
どれだけゆっくりでもいいけど、
絶対に帰ってきてね、大切なあなた。
【声が聞こえる】
両親に怒られて、不貞腐れて海辺へ散歩をしていた。
海風が心地よく、ざぁざぁという波音が心を落ち着かせる。
大きな月が水面に揺れ、煌々と輝いている。
月をも飲み込む大きな海に悩みや、辛さも飲み込まれ、かき消されていった。
ふと、誰かの声が聞こえた。
遠くから聞こえる?いや、近くから聞こえる?
どこから響くのか、美しい歌声だ。
砂浜をしばらく歩き、ゴツゴツとした岩の影へと導かれる。そこに声の主は居た。
目が合う、見つめ合う、逸らせない。
逸らしてしまったら逃げられてしまいそうな気がした。
声の主は、こちらを見てにっこりと笑った。
その姿には、老若男女問わず皆が「美しい」と思わされるだろう。
この世のものとは思えぬ美しさに加え、明らかに人間と作りの違う“足”を持っていた。
「こんばんは。素敵な歌声ですね。」
歌声と言っていいのだろうか、言葉はわからない。
この声は伝わるのだろうか。
案の定困ったような表情を見せる声の主に、申し訳なく思った時。
『初めて言われた。ありがとう。』
そう、一言返事が返ってきた。
「言葉わかるんですね!」
『ええ、わかりますとも。』
柔らかい雰囲気と笑顔を見せる声の主は、こう続ける。
『また来年、ここに来る予定なんです。
美しい陸の夜景が好きで。』
自分が海を見るのが好きなのと同じ理由だ。
住む場所と正反対のものに人も人魚も惹かれるのだろうか。
「そうなんですね。自分も美しくて穏やかな夜の海が好きなんです。」
『じゃあ、来年もお会い出来るかもしれませんね。
楽しみが増えました。』
「来年、この場所でまた会えることを期待してます。」
そういい別れを告げると、
美しい声の主は綺麗な“足”をひらめかせ、本来いるべき世界へと帰って行った。
ああ、名前を聞くのを忘れてしまった。なんて思いながら、砂浜を声の主と作りの違う“尾びれ”で歩く。
【夜景】の前日談
【大事にしたい】
あなたが私のお腹を蹴った。
大事にしようと思った。
あなたが私のお腹を蹴った。
大事にしたいと思った。
あなたが私のお腹を殴った。
そんなに強くなかったけど、命を感じた。
あなたが私のお腹を蹴った。
大事な大事な私の赤ちゃん
今日、この子が生まれる。
何も無く元気に産まれてくるといいな。
大事な赤ちゃん。
ところで、あなたの中のあなたって誰でしたか?