「なんで、こんなふうにきみにはなんでも話せちゃうんたろうね」
隣を歩く先輩がちょっとはにかみ気味に言った。
「きみの前だと俺、素直になれるよ」
そんなこと言うくせに。私は先輩の1番にはなれない。なんてひどい言葉を言うんだ。でも、私の気持ちを知らないから、責められやしない。
「きっとそういうオーラが出てるんだろうな。ほら、神崎さんって気づくといつも誰かに囲まれてない?」
「そんなことないですよ」
「みんなきみに癒やされてるんだよ。セラピーみたいな?」
「いやいや……」
こんなにも褒めるんなら、私のことをもっと知ってくださいよ。声にならない私の声。表現できない私の気持ち。この人の前ではずっと透明なまま。誕生もしないから消滅もしないのかな。じゃあどうやってこんなモヤモヤから抜け出せばいいの?手放すには、どうしたらいいんだろう。透明な見えない鎖がずっと私の身体に巻き付いている。こうやって先輩と下校するたびに重たい鎖になる。後戻りできないぞって、言われてるような。
「お陰で前向きになったからさ、お礼に奢るよ。コンビニ寄ろう?」
「あ、はい。ありがとう、ございます」
言えない気持ちがまた、私の中で肥大してゆく。いつかは、成長しすぎて破裂して粉々になるんだろうか。分かっていてもどうにもできないのが苦しくて。今日も何も言えないまま、まるで恋人同士のように並んで歩く私達なのだ。
「理想はね、可愛くて頭が良くて気が利くような子」
「ふぅん」
「ちょっと。真面目な悩みなんだからもうちょっと真剣に聞いてよ」
「……聞いたところで解決するもんでもねーだろ。解決すんのはお前の努力次第だし」
「ひどっ」
「別に。そんなに躍起にならなくたっていいじゃんか」
「よくないっ」
「どうしてさ」
「だって、私がもっと今言ったふうになってれば、君だって嬉しいでしょ?」
「まぁ」
「もっと可愛くて頭が良くなれば君は助かるでしょ
?」
「助かる、っつーかなんつーか」
「だから真面目に考えてんの。これは君のためでもあるんだからね」
「へーへー」
「……はあ。理想の人間になるのって、むずかしいな」
「だからいーじゃん、そのまんまで」
「簡単に言うなっ」
「俺にとっては今のお前はじゅうぶん可愛すぎるし、そんなに馬鹿じゃねぇし、気も利く方だと思うけどな」
「…………そ、かな」
「まあもう少し泣き虫なのを直せば完璧なんじゃね?」
「それはいいの、性格だから」
「なんだそれ。よく分かんねぇ線引だな」
「ね、もっかい言ってさっきの。可愛いって、本当?」
「調子にのんな!」
もう何も考えられない。
最後見た笑顔だけがまだこの目に焼き付いてる。
あの時ちゃんと引き止めればよかったんだ。
僕のせいだ。
僕が君を殺したも同然だ。
神様、僕を代わりに連れてってくれよ。
それ以外はもう、何も望まないから。
人は別れる時には理由が必要だけど
好きになる時にはなんの理由も要らないんだって。
誰かの受け売りを自分の言葉のよう言ってみたけど
確かにそうだよね。
私があの人に夢中になったきっかけとか理由を考えてみてもすぐ言えないし。
でもこの気持ちを手放そうと決めたことには理由がある。
“恋”は終わった。“愛”にはなれなかった。
恋は1人でできるけど、愛は1人じゃ進められないから。
私の恋の物語はこれでおしまい。
めでたしめでたしとはならなかった。
そんなにうまく、いかないもんだな。
珍しいこともあるもんだなと思った。
“元気?”。メールはその一言のみだった。相手は地元の幼馴染から。物心ついたころからずっと一緒にいて、同じ小中高に進み、その後は互いに進学と就職の道を選んでからはぱったりと会わなくなってしまった。僕が上京してしまったからというのもある。まぁ、あっちはあっちで忙しいみたいなのでなかなか時間が取れないのも無理はない。“みたい”、というのはたまたま別の地元の友達と連絡を取り合った時に聞いたからだ。そしてそいつからは散々問い詰められた。“なんであの子と付き合わなかったんだ”って。そんなこと言われても。向こうにその気が無いのに付き合うなんて無理な話だ。
そう、僕は幼馴染のその彼女に恋をしていた。それももうずっと長い間。思いを告げるチャンスなんて、これまでに何千回とあったけど1度たりともそういう類の話題はしなかった。それは、彼女は僕のことを異性として意識していないから。彼女と一緒にいると分かる。僕はただの、気前のいい“近所のお兄ちゃん”みたいな位置づけだったんだと思う。ならば、そういう振る舞いをしなければ。何もわざわざ今の関係を崩すような真似をする必要なんかない。
やがて高校卒業と同時に疎遠になって、僕の彼女に対する想いも薄れていたという、まさにそんな時だった。
“元気だよ”。あえて長文にせずこれだけ返した。余計な話を広げず、こうすれば向こうも返しづらいと思ったからだ。
なぜなら、僕は彼女からの連絡を嬉しく思えなかった。また未練がましく想いを抱きそうで、怖かった。でも、送ってから少し後悔もした。ただの近況報告のつもりだったのなら、もうすこし砕けた会話を入れ込めば良かったんじゃないか。難しく考えずに日常会話を振ってやれば良かったと思った。
そしたら直後、携帯が鳴ったのだ。画面には彼女の名前。嘘だろ、と思ったけれど僕はその電話をとった。
「もしもし?」
『あ……ごめんね。いきなりかけたりして』
「いや、びっくりしたけど大丈夫だよ」
『そっか、良かった』
かけてきたのは彼女のほうなのに、それきりで黙り込んでしまった。何がしたいんだと思った。でも、久しぶりに聞く声がすごく懐かしいと感じた。懐かしくて優しいその声が、僕は好きだった。
「……泣いてるの?」
そう言ったのは電話の向こうで鼻を啜る音が聞こえたからだ。口数が少ない理由もそのせいか。
『……ごめん。色々疲れちゃって、思い浮かんだのがリョウちゃんの顔だったの』
久しぶりに聞いたその呼び名。彼女が僕を呼ぶ時の響きが懐かしくて、思わず目を細めてしまう。ごめんなさい、と謝りながら彼女は静かに泣いている。
「落ち着いて。話聞くからもう泣かないで」
『うん、ありがとう』
「その代わり、僕も話したいことあるんだ。だから聞いてくれる?」
何千回もあったチャンスを棒に振ってきたこと、ついこないだまで後悔してた。でも神様がラストチャンスをくれた。これを逃したらもう、2度と、君には思いを告げられない。
深呼吸しながら、僕は部屋の窓際に立った。外はもうひっそりとしていて暗い空に月だけが輝いている。
なんて言おうか。どうやって伝えようか。色々考えてしまったけれど、やっぱり素直に話すのが1番だと思った。息を吸い、彼女に思いを告げる瞬間壁の時計が視界に入った。時刻はジャスト0時。今から、真夜中の告白をするから。だからどうか聞いてくれないか。僕の、数年越しの思いを。