珍しいこともあるもんだなと思った。
“元気?”。メールはその一言のみだった。相手は地元の幼馴染から。物心ついたころからずっと一緒にいて、同じ小中高に進み、その後は互いに進学と就職の道を選んでからはぱったりと会わなくなってしまった。僕が上京してしまったからというのもある。まぁ、あっちはあっちで忙しいみたいなのでなかなか時間が取れないのも無理はない。“みたい”、というのはたまたま別の地元の友達と連絡を取り合った時に聞いたからだ。そしてそいつからは散々問い詰められた。“なんであの子と付き合わなかったんだ”って。そんなこと言われても。向こうにその気が無いのに付き合うなんて無理な話だ。
そう、僕は幼馴染のその彼女に恋をしていた。それももうずっと長い間。思いを告げるチャンスなんて、これまでに何千回とあったけど1度たりともそういう類の話題はしなかった。それは、彼女は僕のことを異性として意識していないから。彼女と一緒にいると分かる。僕はただの、気前のいい“近所のお兄ちゃん”みたいな位置づけだったんだと思う。ならば、そういう振る舞いをしなければ。何もわざわざ今の関係を崩すような真似をする必要なんかない。
やがて高校卒業と同時に疎遠になって、僕の彼女に対する想いも薄れていたという、まさにそんな時だった。
“元気だよ”。あえて長文にせずこれだけ返した。余計な話を広げず、こうすれば向こうも返しづらいと思ったからだ。
なぜなら、僕は彼女からの連絡を嬉しく思えなかった。また未練がましく想いを抱きそうで、怖かった。でも、送ってから少し後悔もした。ただの近況報告のつもりだったのなら、もうすこし砕けた会話を入れ込めば良かったんじゃないか。難しく考えずに日常会話を振ってやれば良かったと思った。
そしたら直後、携帯が鳴ったのだ。画面には彼女の名前。嘘だろ、と思ったけれど僕はその電話をとった。
「もしもし?」
『あ……ごめんね。いきなりかけたりして』
「いや、びっくりしたけど大丈夫だよ」
『そっか、良かった』
かけてきたのは彼女のほうなのに、それきりで黙り込んでしまった。何がしたいんだと思った。でも、久しぶりに聞く声がすごく懐かしいと感じた。懐かしくて優しいその声が、僕は好きだった。
「……泣いてるの?」
そう言ったのは電話の向こうで鼻を啜る音が聞こえたからだ。口数が少ない理由もそのせいか。
『……ごめん。色々疲れちゃって、思い浮かんだのがリョウちゃんの顔だったの』
久しぶりに聞いたその呼び名。彼女が僕を呼ぶ時の響きが懐かしくて、思わず目を細めてしまう。ごめんなさい、と謝りながら彼女は静かに泣いている。
「落ち着いて。話聞くからもう泣かないで」
『うん、ありがとう』
「その代わり、僕も話したいことあるんだ。だから聞いてくれる?」
何千回もあったチャンスを棒に振ってきたこと、ついこないだまで後悔してた。でも神様がラストチャンスをくれた。これを逃したらもう、2度と、君には思いを告げられない。
深呼吸しながら、僕は部屋の窓際に立った。外はもうひっそりとしていて暗い空に月だけが輝いている。
なんて言おうか。どうやって伝えようか。色々考えてしまったけれど、やっぱり素直に話すのが1番だと思った。息を吸い、彼女に思いを告げる瞬間壁の時計が視界に入った。時刻はジャスト0時。今から、真夜中の告白をするから。だからどうか聞いてくれないか。僕の、数年越しの思いを。
あたしはたぁくんが好きでたぁくんもあたしが好き。だからお互いの言うことは何でも聞くべきだと思うの。
なのに今日、あたしのお願いにたぁくんは「無理だよ」と言った。なんで、って聞いたらたぁくんはすごく困った顔をした。呆れてるふうにも見えた。そんなことも分からないのかって顔で、あたしのこと見下してた。たぁくんの全部が大好きだけど、その顔はあんまり好きじゃなかった。
それでもあたしは食い下がる。なんで言うこと聞いてくれないのって、しつこいくらいに問い詰めた。あたしのこと好きでしょ?愛してるでしょ?なら、あたしの言うこと聞いてってば。
「そんなの愛じゃない」
それだけ言って、たぁくんはあたしのもとから離れてった。何それ、どーゆう意味?愛じゃないって、何?あたしのお願い、どうして聞けないの?隣りのクラスの子がたぁくんのこと色目使って見てたから、“その女にブスって言ってよ”ってお願いしたの。なんでそれができないの?あたしのほうがあの子よりかわいいでしょ?もしかして、あの子のことかわいいとか思ってたりするの?
まさか、そんな、やだよ。絶対許さないからね。あたしのこと愛してるでしょ?愛してるって言ってよ、ねぇたぁくん。
バカみたいに叫んで、周りの視線浴びるくらい喚いたのに、たぁくんは戻ってきてはくれなかった。バカ。さみしいよ。
……もしかして、あたしのこと試してるの?これで愛想尽かさないかって考えてる?
そんなわけないじゃん。あたしはいつまでもたぁくんのもの。いつまででも待つからね。だから早く迎えにきてよ。あたしのこと置いてっちゃってから、もう丸一日ここにいるの。勝手に動いてもし入れ違いにたぁくんが来たら悪いかなって思って、ずっとここに座ってるの。みんなが見てくるけど、全然気にならない。まだかなまだかなって、ずっと待ってる。待ってるからね、あたしの王子様。
あんな顔させるつもりじゃなかったの。
本当に今さらだけど、
もう何言っても許されないかもだけど。
ごめん。
本当は大好きだったよ。
あんなの嘘だよ。
心にもないこと言ったって自分でも分かってる。
反省してる。
悪かったと思ってる。
やっぱりもう、私たち無理かな。
もとに戻ろうだなんて虫が良すぎるよね。
ごめんね、最後まで迷惑ばっかりかけて。
もう何も言わないから。
あなたのこと、思い出にするから。
だからどうか、幸せになってね。
1日でも早くこの後悔の気持ちが、あなたへの感謝に変わるようにするからね。
今までありがとう。
さようなら。
「なら、今なんじゃない?」
彼女は言った。まるで息を吐くように、さも簡単に、当たり前のように。
正直、そんな軽々しく言うなよ、と思った。これはオレだけの問題じゃない。周りのこととか、他にも都合云々が関わってくると言うのに。
「そんなの言い訳だよ。始める、って決めたんなら、あとはなんにも考えずにやってみればいいんだよ」
ほらまた、そんなふうに。生憎オレはそんな楽観的に考えられる質じゃないんだ。物事を決める時は、慎重に、確実に。石橋を叩いて渡るような生き方のほうが良いんだから。
「でもそれだとあなたは、石橋を叩いて壊してるよ」
あれこれ余計なこと考えすぎて、せっかくの橋を自分で壊しちゃってるんだよ。これまた彼女はひょうひょうと言った。そんなこと初めて言われたから、何も返せなかった。同時に納得もしてしまう。時には大胆になりなよ。まるでオレの心にとどめを刺すかのようにそうつけ加えた。
「明日のことは明日の自分がなんとかしてくれるんだから。あれこれ考えたってしょうがないでしょ」
羽のように軽い声と笑顔だった。きっとオレは、この何百倍の頭の重さをしているんだろう。たしかにこんな鉛みたいな考え方じゃ、いつまでたっても変われないよな。
さっきから彼女の言葉はまるで魔法の呪文のようにオレの心に響いてくる。聞いてるうちに何でもできそうな気がしてくる。
そして、次の言葉がとうとうオレを突き動かした。
「たまには委ねてみなよ。風に身を任せたら、案外遠くに飛べちゃったりして」
風に任せる、か。うまく乗りこなせたら、予想外な場所へ連れて行ってくれるかもしれないな。だからもう文句を垂れるのはやめよう。オレは黙って頷いた。彼女はにっこり笑ってくれた。
有難うよ、オレよりずっと若い魔法使いさん。
なんで。
こうなるの。
好きになんかならなきゃよかった。