「なら、今なんじゃない?」
彼女は言った。まるで息を吐くように、さも簡単に、当たり前のように。
正直、そんな軽々しく言うなよ、と思った。これはオレだけの問題じゃない。周りのこととか、他にも都合云々が関わってくると言うのに。
「そんなの言い訳だよ。始める、って決めたんなら、あとはなんにも考えずにやってみればいいんだよ」
ほらまた、そんなふうに。生憎オレはそんな楽観的に考えられる質じゃないんだ。物事を決める時は、慎重に、確実に。石橋を叩いて渡るような生き方のほうが良いんだから。
「でもそれだとあなたは、石橋を叩いて壊してるよ」
あれこれ余計なこと考えすぎて、せっかくの橋を自分で壊しちゃってるんだよ。これまた彼女はひょうひょうと言った。そんなこと初めて言われたから、何も返せなかった。同時に納得もしてしまう。時には大胆になりなよ。まるでオレの心にとどめを刺すかのようにそうつけ加えた。
「明日のことは明日の自分がなんとかしてくれるんだから。あれこれ考えたってしょうがないでしょ」
羽のように軽い声と笑顔だった。きっとオレは、この何百倍の頭の重さをしているんだろう。たしかにこんな鉛みたいな考え方じゃ、いつまでたっても変われないよな。
さっきから彼女の言葉はまるで魔法の呪文のようにオレの心に響いてくる。聞いてるうちに何でもできそうな気がしてくる。
そして、次の言葉がとうとうオレを突き動かした。
「たまには委ねてみなよ。風に身を任せたら、案外遠くに飛べちゃったりして」
風に任せる、か。うまく乗りこなせたら、予想外な場所へ連れて行ってくれるかもしれないな。だからもう文句を垂れるのはやめよう。オレは黙って頷いた。彼女はにっこり笑ってくれた。
有難うよ、オレよりずっと若い魔法使いさん。
5/15/2024, 1:19:00 AM