なんなの、アイツ。
好きじゃないのに目に入る。だって私の前でやたら転んだりプリントぶちまけたり物落としたりしてんだもん。そんなに注目されたいわけ?
「あ……ごめん、ありがとう」
別に無視しても良かったけど、あまりにも派手なコケ方するから見て見ぬふりできなかっただけ。どんくさいったらありゃしない。
よくあれでいつも試験の順位上位取れてるよね。頭の良さと反射神経は比例しないってことか。
「助かったよ、ありがとね」
まき散らしたプリントを抱えてアイツはどこかへ歩いてゆく。あんな量1人で抱えてるから落とすんだ。もうひとりの学級委員に頼めばいいのに。……ていうか、あたしが持ってあげても良かったけど。頼まれたらそうしてたけど、いっか。もう行っちゃったし。せいぜいもう転ばないでくださいよって感じ。
はーあ。アイツのせいで昼休みの時間減っちゃったよ。アイツはご飯、食べたのかな。なんかまたパシられてそのまま食いそびれてそう。これから学食行くけど、パンでも買ってってあげようかな。もちろん金とるけど。
……気が向いたら、買ってあげよ。
今日は全国的に晴天に恵まれるでしょう。
『あ、もしもし?今日さ、予定無くなっちゃったから会えることになったんだ。どうする?会う?オッケー、そしたら2時過ぎに駅前でよろしく。また連絡すんね』
ですが、場所に寄っては雲の多い気候となりそうです。
『ごめーん、なんかバイトの先輩が熱出たっぽくてヘルプで呼ばれちゃった。今から来れる?って店長から電話きて断れなくて行くことになった。だから行ってくんね。ほんとごめん。もし、早く上がれそうなら電話するから』
また、沿岸部のみところにより雨でしょう。
『やば。なんかあたしの乗ってた電車が人身事故起こしたっぽい。げー、マジでこれじゃ遅刻だよ。そうなると多分最後まで出るようかも……今日会えないかも』
ですが雨は一時的で次第に天気は回復するでしょう。
『今店長から連絡来たんだけどさ、今日はそんな混んでないから残りの人でまわせるって。だから来なくていーよーだって。なんなん、最初からそう言えし。ま、いっか。おかげで行かなくて良くなったんだし。てことでめでたくあたしフリーになりました。今どこにいんの?あ、そうなの、ならあたしがそっち向かうよ。どっか適当に店入って時間潰してて。なるべくいそぐね!』
気づいたら目で追ってる。そんな存在。
向こうは僕のこと名前すら知らないかもだけど。
僕は、君が優しくしてくれたあの日からずっとあの笑顔が忘れられないんだ。
行動しなきゃ距離は縮まらない。僕のこと認識すらしてもらえない。
だからいい加減こんなふうにコソコソしてないで話しかけなきゃいけないんだけど、勇気が、なあ。
でもそんなことしてたら君は誰かにとられちゃう。それも嫌だ。だから意を決して話しかけるよ。めちゃくちゃ緊張する。どんな顔向けられるんだろう。不安ばっかり頭によぎる。
でも、それでも君のこともっと知りたいから。僕の一匙にも満たないような勇気を振り絞って。今から君の名前を呼ぶから。だからどうか、受け入れて。
「ねぇ、あのさ――」
プレゼントをくれるし、おはようのメールも送ってくれるから自然と期待しちゃったの。ある日勇気を出してこっちからメールしてみた。“今度いつ会える?”って。そしたら、“君が会いたいと思った時”なんて返ってきたから飛び上がるほど嬉しくなったんだ。知らないうちに好きになってた。もうこの気持ちは止められない。あなたのこともっといっぱい知りたいなって心の底から思ったよ。
でも、待てど暮らせどあなたは私の前に姿を見せてくれない。あの日と同じように会いたい気持ちをメールしても、適当な返事が来る時もあれば既読スルーの日もあった。おかしいな、なんでかな。会いたいのって、もしかして私だけ?変な違和感を覚え始めつつ駅までの道を歩いてる。今日はバイトの日だから、向かうためにこれから電車に乗る。
いつもの、3番ホームで電車を待ってる時。向かい側のホームにあなたを見つけた。すごい偶然。私のことに気づくかな。ちょっと期待をしながら数十メートル先のあなたを見つめる。届け、私の思い。
でも、次の瞬間あれって思った。後ろから知らない女の子がやってきて、あなたの右腕に抱きついた。あなたは笑いかけながらその子の頭を撫でる。誰なんだろう。すごく仲が良さそうに見える。妹とかいうオチじゃないことくらいは分かる。妹でも姉でも従姉妹でもないのに腕を組める存在。答えは1つしかなかった。
「……なぁんだ」
私の独り言を呑み込むように電車が滑り込んでくる。あなたとその子は見えなくなった。それで良かったと思った。これ以上見ていたくなかった。
「バカみたい」
小さく呟く私の前で電車の扉が開く。暖房と人ごみのもわっとした嫌な熱気を感じた。どこまでも生温く、肌当たりは良くない。
今まであなたが私に向けた優しさも多分、こんな感じのものだったんだな。
尚更思った。バカみたい。
「今日からここがあなたの部屋よ」
お母さんがそう言いながら僕を案内した。新しい家の新しい部屋。お母さんも新しい人。全てが今までのものとまるっきり違うから、僕だけが古い人間のような気がした。
案内された部屋はベッドと机と椅子以外は何もなかった。窓が1つ。カーテンもまだない。殺風景な部屋の隅に座り込む。真ん中に座らなかったのは、どうにも隅っこじゃないと落ち着かないからだ。
じっと、膝を抱えて俯いていた。何分何十分そうしていたか分からない。膝小僧に水がぽたぽた落ちてきて服の袖で拭った。僕の涙だった。
その時突然ドアのノックの音がする。この部屋のドアを外から叩いている誰かがいる。こんな時に誰だ。さっきの、新しいお母さんかな。できるなら今日はもう1人にしてほしかった。だけど僕は“聞き分けのいい子”を演じないとお父さんに叱られるから。深呼吸を軽くしたあと扉を開けた。立っていたのは1人の女の子だった。僕よりずっと歳下に見える。ひと回り以上違うかもしれない。誰だろうと思っていたら、
「だぁれ?」
向こうから質問をされた。僕は名前と歳を教えて、今日からここでお世話になる旨を伝えた。こんな小さな子に親の再婚の話をしても果たして通じるかどうか分からなかったからやめておいた。ついでに、“きみのお兄ちゃんになるんだよ”ということもひとまずは伝えなかった。だっていきなり現れた僕が兄になるだなんて、そんな重要なことを簡単に言っていいわけがない。こういうのは親が一緒にいる時じゃないと駄目だと思ったから。
「ふぅん」
その子は適当な返事をしてそのまま僕の部屋に入り込んできた。僕の存在をあんまり深くは考えていないらしい。かと思ったらワンピースのポケットをまさぐり、取り出した何かを僕に見せる。
「きれいでしょ」
「……これは、何?」
「なんかのホウセキのカケラだよ」
あげる、と言って僕に向かって差し出してくる。綺麗なエメラルド色の小石みたいなものが、その子の手の中できらきら光っていた。だがどうみても紛い物である。
「どうして僕に?大切なものなんじゃないの?」
「タイセツだけど、おにいちゃんにあげたら、きっとタイセツにしてくれるきがするから」
今彼女が言った“お兄ちゃん”は、そういう意味は持ち合わせていないのに、呼ばれた瞬間なんだか心がふわっとした。嬉しさなのか恥ずかしさなのか分からない不思議な感覚。くすぐったい、が1番近いかもしれない。
「あたしずっとひとりだったの。ヒトリボッチあきちゃった」
「そうなんだ」
「でもきょうからはフタリボッチだからうれしいな」
笑った顔がとても可愛らしかった。守ってあげたいと思った。親の都合で嫌々に受け入れた再婚だったけど、ずっと潜んでいたその呪いの気持ちのような感情が、この子の笑顔を見たらどこかへ消えてしまった。今日から僕は、この子の兄になるんだ。
「これからよろしくね」
「うん。どういたしまして」
「それを言うなら、“こちらこそ”だよ」
新たな生活は絶望ばかりじゃないかもしれない。根拠もないのにそう思えた。手のひらのエメラルドの石がきらりと光った気がした。