あいつが危篤だという知らせをもらったのは一昨日の晩だった。それから急いで最低限の物を持ち、列車に飛び乗り国を出た。何せ、私の住んでいるところからあいつの国まではまる二日はかかる。向かっている途中でも嫌な考えは常に頭の中を駆け巡っていた。間に合ってくれ。ただひたすらそれだけを祈って、列車に揺られ、馬車を使い、目的の病院に辿り着いたのは夜もふけた頃だった。
「やぁ」
私の登場に彼は驚くことなく話し掛けてきた。まるで昨日ぶりかと言うように。そんなわけはなく、会話を交わすのは実に20年ぶり以上だ。
「ずいぶん小さくなったなぁ」
「……その言葉、そっくりお前に返すさ」
彼はベッドに寝かされ、頭だけこちらに向けてきた。髪は真っ白になり、肌の色は健康体とは言えない色。骨と血管の浮き出た腕には幾つもの注射の跡があった。おそらくもう、自分の力で動けないのだろう。
「酷いザマだろ?」
力なく彼が笑った。でもどこか穏やかさも感じる。自分の最期を確信しているのだ。その証拠に、
「最後にお前に会えて良かったよ」
「何を言ってる。折角会いに来たのだから早く良くなれ」
「無茶言うなよ。もう充分さ」
充分楽しんださ、と言って彼は目を閉じた。
そして二度と開くことはなかった。
あまりにもあっけない最期だった。この後昔の話に花を咲かせようと思っていたのに、そんな暇さえ無かった。あっさりと、軽い挨拶だけで終わってしまった。
「きっと安心したんでしょうね。貴方様が来てくれて」
主治医は静かに私に言った。聞けば、もういつ容態が悪化してもおかしくない日々をここ数年送っていたらしい。死と隣り合わせの毎日をこの部屋で一人きりで送っていたなんて。初耳だった。もっと早く彼に会いに来てやってれば。私は強く後悔した。
「それは違いますよ。最期の最期に、貴方のお顔を見ることが出来て感謝してるはずです。眠りにつく前に旧友に会えて、さぞ嬉しかったことでしょう」
だからなのか。
あいつは眠ったように息を引き取った。
口元が微かに弧を描いていた。
それが私のお陰だと言うのなら後悔なんてしてられないな。
友よ、また会おう。
私もいずれ、そっちに行く。
いつもの帰り道、いつもの交差点。
いつもの信号につかまる。隣を見ると夕陽に照らされたキミがいつものように穏やかな顔して立っている。
全て、いつも通りの日常。
なのに突然不安になった。
いつもと変わらずキミが隣りにいること。
果たしてそれはこの先も約束されてることなのだろうか。
信号はまだ変わらない。僕は隣のキミの肩を抱いた。歩行者は他にも沢山いるというのに。構うことなくキミの体を引き寄せた。
「わっ。どしたの」
「何でもないよ」
「何でもなきゃ、こんなこといきなりしないでしょ」
「……別に。何でもないんだ、ただちょっと考え事してて嫌になっちゃっただけ」
「どんな?」
「キミがこうして僕の隣にいることは、当たり前じゃないから」
「……なにそれ」
訝しげな顔をされた。彼女はしっかりと僕に向き直って、僕の額に手を当てる。別に熱なんかない。
「じゃ、変な宗教にでもつかまった?」
「そんなんじゃ、ないよ」
そんなんじゃないけど、不意に不安に襲われる時ってあるでしょ。そう言ったけど、彼女はいまいち分からないという反応を見せる。キミは生きてる上で悩むことがないのか。羨ましいな。
「この瞬間は、永遠じゃない。言い換えるならば、この幸せな時間は永遠に戻らない」
何を詩人みたいなことを言ってるんだと自分でも思った。けど彼女は笑わなかった。真剣な目で僕を見つめ返してくる。もうとっくに信号は青になっていて、立ち止まっているのは僕らだけだった。
「永遠じゃないから、幸せなのよ」
「……どういう意味?」
「楽しいことがずっとずっと続いたらそれは当たり前になるの。嬉しいことが突然起こったら幸せ。何回か連続したらラッキー。それ以上続いちゃったら、感動しなくなっちゃうでしょ?」
だからいーの、永遠に続かなくて。
彼女の持論を聞いたけど、僕はあまり納得できなかった。
「じゃあ、キミと一緒にいられることは幸せなことだから長く続かない、って言うの?」
「……あのさ、ほんとに何かあった?幸せって、あたしたちのこと、考えてたの?」
「そうだよ」
「なんで?なんか嫌な思いさせた?あたし」
「違うよそういうんじゃない。ただ不意に思っただけだよ、幸せなことっていつまで続くのかなぁって」
「ハアァァァーーー……。えいっ」
「んぐっ」
大きな大きな溜息を吐いたかと思うと、彼女は僕の首根っこに抱きついてきた。それはなかなかの勢いで首が締まるかと思った。
「もーそんなこと考えてたの?くだらない。そんなことに脳みそ使わないの。禿げるよ」
「くだらないなんて……そんなふうに思わないでよ」
「あたしはね、今が楽しければそれで良いの。いつまでも、とか永遠に、とか考えない。未来ばっか想像したってどうせ見えないんだから無駄でしょが。だったら今を楽しむのっ」
「あいだっ」
最後に強めのデコピンをお見舞いされる。彼女は僕から離れて1人で先に横断歩道を渡りだした。
「ほらっ、置いてっちゃうよー」
「待って――――」
信号は点滅しかけていた。僕は慌てて走り出す。彼女が向こうで両手を広げて待っている。人目も気にせず、その小さな体に抱きついた。
夕陽が綺麗だ。
いつもどおりの景色。
いつもどおりの彼女からする柔軟剤の匂い。
今日も1日が平和だった。
それは明日も約束されているのか。
明日も彼女は僕に笑ってくれるのか。
時々そうやって不安になるけど、そんなことを考えるのはもうやめた。
今が楽しい。今日が幸せ。
なら、明日だって絶対幸せに決まってるんだ。
災害もなく動物と人が共存し自然に愛される。
花が咲き乱れ同じ刻を過ごし人々が手を取り合う。
皆平等に衣食住が与えられ戦も嘘も生まれない。
果たしてそんな世界は存在するのだろうか。
今息を吸って吐いたこの一瞬でさえ、きっと僕の知らないところで、誰かが泣いたり命を落としてるんだろうな。
理想郷は綺麗事の塊だ。
考えるだけで気持ちが沈む。
そもそも“理想”ってなんだろうか。それは僕の?皆の?
僕だけのだったら、ただ好き勝手喋るだけで済む。聞きたい奴だけが耳を貸せば良い。
けれど基準が皆のための理想だったのなら。それはこの上なく難しいと思う。この世の人達全員が右向け右をするのは不可能だと思う。同じ理想を掲げるのは無理な話だと思う。だから、“皆が必要とする理想”の正解は無いと思う。
それを踏まえたらやっぱり、理想をあれこれ考えて述べる行為って意味ないのかな。
よく聞く言葉だけど、理想と現実は違うから。
だから僕は理想を追求しない。
今日の月を眺め、明日の朝日を浴びるだけ。
さて、そろそろ寝るか。
おやすみなさい。
まだ、今みたいにこんなに家が立ち並ぶ前に。
近所にそれなりに大きい公園があったんだよね。
で、日が暮れるまでキミと遊んだ。
1番楽しかったの、何だった?
僕はシーソーかな。
だって1人じゃできない遊びだもん。
でもさ、キミがあまりに軽くて全然意味なかったんだよ。
で、キミったら僕になんて言ったか覚えてる?
「もう少しダイエットしてよ」って言ったんだよ。
衝撃すぎてまだ覚えてるよ。
多分これはずっと忘れられないな。
キミとシーソーしたこと、これは僕の中でいつまでも残る思い出さ。
もちろんそれ以外にも沢山あるけどね。
でも、なんでだろうね、楽しい思い出もあるけど悲しい思い出も覚えてるんだ。
例えば、キミの引越しが決まって真っ先に僕に会いに来た日のこと。
離れたくないよ、って言ってた時のキミの涙。
そしてこの街から去った日のこと。
どれもこれも覚えてるよ。
思い出すたびに、キミの存在は僕にとって特別だったんだと思い知らされる。
あの頃が懐かしいな。
キミは今何してる?
幸せなら、それでいいけど。
僕みたいに、たまにはあの頃を思い出したりするのかな。
そうだったら、いいな。
いつかまた一緒に話せる日が来るといいな。
あの頃楽しかったね、懐かしいね、って。
そんな日が来るといいな。
勇者は魔王を退治し、世界に再び平和が訪れたのでした。
めでたしめでたし。
しかし、本当は魔王は勇者を愛していたのです。
女戦士として、何度も自分の命を取りに向かってくる彼女の相手をしているうちに、いつの間にか恋い焦がれていたのでした。
何度も自分と彼女の地位身分を恨みました。自分が“魔王”でなかったら。彼女が“勇者”でなかったら。きっと違う未来が待っていたであろうに。お互いに敵対する関係に生まれてなければきっと、自分は彼女とひとつになれたかもしれないのに。
でもそんな思いは最後まで彼女に届くことはありませんでした。実際に愛していた気持ちを伝えることさえ阻まれたからです。彼女は魔王である自分を倒すことで、国王の第一子息と婚約することが約束されていました。それは彼女自身も望んでいたことでした。最初から自分のつけ入る隙なんか無かった。そのことを思い知った魔王は素直に彼女にトドメを刺されることを選びました。最期の一撃を喰らう直前、懐に入り込んできた彼女の頬に少しだけ触れました。数多の戦を経験しているとは思えないほど滑らかな白い肌でした。本当は、この身体を自分のものにしたかった。決して叶うことのない願いを抱えながら魔王は彼女の手によって滅ぼされたのでした。彼女が幸せになれるのなら自分が消えることを選ぼう。本当は心の優しい魔王でした。でも誰もそんなことを知る人はいませんでした。魔王は最期まで誰にも思われることなく、ひとり寂しく死んだのでした。