嫁がね ... 女房がね、いなかったら、娘ふたりがいなかったら ... 俺は今すぐにでもいちばんラクな、痛みや苦しみの極めて少ない死に方で今すぐに死にたいよ。
立ち止まってると考えてしまうから仕事の量を増やして自分が主役にならない時間で埋めて塗り潰してそれである程度収入が安定して女房の話もうんうんて解ってるんだか解ってないんだか自分でもはっきりしなくてもそうやって相槌打ってると女房は笑みを浮かべてて。
美人だからさぁ ... 笑っててくれりゃある程度俺も幸せなんだけど ... でもこの世はこの世界はだめ。失格。俺にとってはこの世界は失格。世界全体からジャッジさせれば俺自体も失格だろうし。間違いなくぜろ点だろうし。
やっぱぁ〜ねぇ、
〝 アレ 〟だけ並んで人生が変わらなかったってことは ...
神様も含めて味方はぜろなんだと念うよ。
統合失調症なんかじゃねえよ。
雲は低かったゎ。
はぁ ばかくせ。
言葉というものは実に不思議なものである。
物知りではない自分でもそう思う事が多々ある。
例えば〝考える〟という言葉は〝勘が得る〟という分解が出来たりする。
〝ナルシズム〟は〝成る沈む〟
〝すずしい〟二枚目色男が嫌味を吐けば〝ズズしい〟顔に思えたりする。(※本当はズウズウしいなのだが。)
そうした言葉たちであるが其れ等は残念ながら神秘的ではありながらも神秘ではない。本物の神秘には気が遠くなるほど程遠い所謂 ... そうした神や仏の崇高な念から見れば言葉 ... 人間の言葉また理屈理論なんてものはサル知恵に等しいのであろうと自分は感じるのである。勘汁が垂れる。トホホ。
祈りとは意乗りであり意の理であり猪離でもあるのだと自分は自分勝手に認識していたりする。
〝猪〟は荒らすというような意味も含まれているのである。
言葉の話とは変わるが〝合掌〟という仕草はこれまた不思議な効果を齎してくれるのである。
仏教では左手が自分で右手が仏様ということであるらしいが素直に成れて黙りこくり人の話を敵意を持たずに ... (※所謂、反論準備を心に懐かずに) ... 耳を傾ける、聴く事が出来るように成れるのである。
猪 ... 離 ... 荒らす心から離れられるのである。
なんてね ... 20年くらい前まではこういうようなことをよく考えたりしてたけど、まぁもぅどぉでもいいよ。この世は俺はもうぜんぶあきらめてるから。うんそう。死ぬ迄のひまつぶしというか、砂丘にバス停を置いて決して来ないバスを待ちながら時間が止まるのを待ってるだけだから。
死んだってなんもかわらないことくらい俺だってわかってんだよ。
抗えたり問題をすり替えたり逃げる事を手段とせられる奴はいいよな。
気にし屋なんじゃない。気に、しようとしてるんだよ ... 敢えて。
なぜだかわかる?自ら以外一切は神であり仏だからだよ。
ばかにはできない。
無視なんかできるわけない。
背負い込んで汚れ尽くして枯れ果てていづれ死わる。
ただそれだけだよ。
ほしいものなんかもうひとつもねえよ。
自分は、臆病者?面倒臭がり屋?... 無責任 ... というつもりは無い ... かなぁ ... 。でもね ... って、でも ... っていう繋げ語で接続してみたりしでも ... また其れは ... という〝其れ〟とは ... まぁ有り体に ... だれひとり居ないほんとうのひとりになれる場所にいきたい ... そういう気持ち .. とか ..... 。
私は ... 自分は ... じつのところ、徹底して、決定的に、血液型で差別して来たし今後もその侭で死わりまでいますよ ....... 。
わたしは、全人類に ... なんていっちゃ大袈裟だが、巡り合ってきた人ならばすべてにまずみてくれというか外見から侮辱され嘲笑われはずされ者として常に扱われ国の法律が定めた教務職員である所謂教師には詰られ殴られ蔑まされ ... ただわたしは ... 残念乍ら本物の中の本物たる申し子なので ... 生まれてから死ぬまで、忍辱波羅蜜のみで被われた途をただひたすら小さな歩幅で倒れる日を待ち乍ら進み続けるだけの人生なのであります。
たくさんの、むすうの、社会から愛され崇敬される優秀な ... とされる実はゴンガン級すーぱーいかれぽんち&ぱぁ〜ぷりんを拝てきました。彼ら彼女らはみんな見抜くわたしを赦すというか保留するわけにはいかないと躍起になり侮辱、虐待、迫害、嘲笑、追放とロイヤルストレートフラッシュを繰り返しました ... だけどね ... わたしは生きながらにしての無力な亡霊なのでね ... 痛みを、激痛を感触し悶絶し喘いでも内心 ... 〝ずいぶん遅かったっすね。〟というもので .. .. ..... 。
たとえばね、この世のさいこうの美女とキメても、最高の美味、美酒に酔い痴れられたとしても ...
のどにつまらせてしまった魚の骨の吐き出せた一瞬如きにすら劣るということなのだ。
ばかは人を指差しまた自分を指差し跳んで躍って優劣に跨り ... 百億千億の砂丘に散りばめられた天秤の揺れるのが止まるのを風が沈むのを三礼し合掌し待つ私を腹を抱えながら嘲笑い続けるのであろう。
ひととは、だれもがそういうものである。
どうせ、だれもが、である。
期待を、しないで済む、ありがたきざんねんなこの世界にまあ皮肉というスパイスも込め感謝。
笑笑。
あいが .... しらけて ... しまわぬように .......
尾崎豊の I LOVE YOU なのだが .. ね。
自分もそうだが ... 1945年9月2日に戦争が終った25年後の1970年12月25日の金曜日の昼下がりに俺は四人姉妹兄弟の末っ子として生まれたのだが ... 『戦争を知らない子供たち』のモデル世代と謳われ ... 同時に ... ガキ大将ありきではない陰湿イジメの初まり世代とも謂れている。
自分もそうなのだが世の中の耳が静かに驚愕したのは ...
〝 悲しい歌に 〟 〝 愛が白けてしまわぬ ... 〟
戦後 ... 演歌が庶民を、大衆を、敗戦国を慰めた。
悲しい歌に ... 慰められてなんとか生きて来られた我々達の親また祖父母世代だった。
私の5,6歳上の尾崎豊自身の親ですらそうであったであろう。
- 愛などというそもそもシラけている妄信を盛り上げてしまう悲しい歌に乗せられて酔わされてしまったノリから酔いから覚めたあとのその時計の秒針の移動する音が聴こえて来てしまうほど解き放たれたその一瞬の恐怖 -
... それがどうしても嫌で ...
〝 目を閉じる ... 〟
尾崎豊は ... 26歳で ... 二度と開かない ...
目を閉じたのかも知れないね。
ちょっとね ... そんな事を念ったよ。