「こんにちはー、アオイゆりかご訪問介護です」
芝の上に置いてある踏み台を踏んで窓をノックして開けた。
「ようこそ、入って入って」
77歳になる利用者のスミさんは暖かく迎えてくれた。
「失礼しまーす」
(よいしょっと)
靴を踏み台の上で脱いでから窓を跨ぎ入室した。
玄関はあるが一度も玄関から入ったことはない。
部屋に入るなり
「はい、これ、急いで」
と新聞とアルミホイルで作った兜を渡された。
それを頭に被る。
スミさんも同じ兜を被っている。
なんでもスミさんの部屋は宇宙人に監視されており、この兜を被っていると宇宙人に頭の中を覗かれる心配がないのだと言う。
初めてこの話を他のヘルパーから聞いたとき
「なんじゃ、そら」
「そんな物を被って働くなんて絶対に嫌だ」
と思ったが
実際にスミさんに会ってその考えは消えた。
ヘルパーさんもこの部屋に入ったら宇宙人に頭の中を覗かれてしまう、そんなことが起きたら大変だ。と本気で心配しスミさんがヘルパーのために手作りしてくれたのだ。
スミさんは優しい人なのだ、そんなスミさんの心を無下には出来ない。
私の頭に兜を被せ終わると、鼻を近づけて『くんくん』と私の匂いを嗅いだ。
(来た!!)
と身構えた。
「なんか塩の匂いがする…あなた大丈夫?今日は肉じゃが作ってもらいたいんだけど、塩の匂いなんかさせて…肉じゃが、しょっぱくならない?」
「えー?そうですかぁ?私はなんともないんで、きっと大丈夫ですよー」
と笑顔で答えると
「そう、それならいいんだけど…じゃあお願い」
台所に行くとシンクに肉じゃがの材料と調味料、フライパン、ピーラーとキッチンバサミが用意されていた。
ピーラーで野菜の皮を剥き
「ふんっ!!」
と力を込めてキッチンバサミで野菜を刻んでいく。
スミさんの部屋に包丁は1本も置いていない。
誰にも打ち明けることが出来ない、過去の恐ろしい事件が包丁に起因しているそうだ─
野菜を切り終えると次に豚肉をパックから取り出しポリ袋に素早く包みキッチンバサミで豚肉をポリ袋ごと切っていく。
生肉を出したままにしていると生肉の匂いアレルギーでスミさんの腕に湿疹が出てしまうらしい。これは本人談なので定かではない。
「切ったら早く炒めて!!」
とスミさんの指示で手早く炒めて調理していく。
刻まれて張り付いたポリ袋を除きながら豚肉を入れるのが面倒だ。
「余った野菜は冷蔵庫に戻して、ドアは優しく閉めして5秒以上は開けないでね、できる?」
「はい」
野菜室をサッと開けて空きスペースを確認し素早く野菜を戻す。
「早く閉めて!!5秒以上開けると冷蔵庫が壊れるんだから!壊れたら弁償してもらうからね!!」
とスミさんが隣で興奮している。
「これしきのことで、冷蔵庫は壊れませんっ!!」
と心でツッコむ。
が、決して口に出してはいけない。
肉じゃがが完成すると
「味見しますか?」
とスミさんに尋ねた。
「うん…なにかあったら、その時はお願いね」
と神妙な顔をして小皿に取り分けた肉じゃがに箸をつける。
調理している隙に、宇宙人に毒を盛られている可能性があるので私に味見はさせられないのだそうだ。
絶対にそんなことはないのだが、この時は思わずスミさんの身に何かあったらどうしようとドキドキしてしまう。
スミさんの面倒臭さなど許す、どうでもいいとさえ思えてしまう。
この瞬間、スミさんが地球上で誰よりも一番私を守ってくれているのだから。
肉じゃがを一口食べると
「うん、大丈夫!」
とスミさんは満面の笑顔で顔を上げた。
「良かったー」
と心からほっとし、和やかな空気に包まれた。
まぁ、絶対大丈夫なんだけど…。
サービスを終え、兜を頭から外しまた窓を跨ぐ。
「ありがとうございました、またよろしくお願いします!」
踏み台の上で転ばないように慎重に靴を履く。
「ありがとうー気をつけてね!」
「はいー!またアオイゆりかご訪問介護をよろしくお願いしますー!」
と窓を閉めて窓越しにいるスミさんに大袈裟に手を振り続ける。
窓から出てきたところを目撃者に通報されない為だ。
1度だけ、
「どうして玄関から入ってきてはいけないのですか?」
と聞いたことがある
スミさんは
「こればかりは言えないの。言ってしまえばあなたの身にも危険が迫る。誰にも言えない秘密なの…」
と真剣な顔で言った。
スミさんはとっても優しい人なのだ。
お題 「誰にも言えない秘密」
柚葉は夫の転勤によりそれまで勤めていた仕事を辞め昨年の秋からヘルパーのパートを始めた。
いつか役に立つかと初任者研修を取得していたしヘルパーは時間の融通が効くためだ。
「独居で困っている身寄りのない、か弱い高齢者の役に立ちたい」
という、どこかボランティア的な陶酔した気持ちもあった。
だが実際には家族の手を借りられない、全く身寄りのない独居老人は殆どいなかった。
家族が近くに住んでいるが介護まで手が回らない、県外に遠く離れているので介護できない、一緒に住んでいるがヘルパーの助けが必要だ、の順に利用者は多かった。
そういえば柚葉自身も核家族だな、と思った。
市内に暮らしている義両親と仲が悪いわけではないが同居なんて考えられない。
弱くて助けるべき立場であるはずの高齢者は柚葉を
「おい!!お前!!」
または
「あんた」
と呼びつけ横暴な態度で接した。
近くにいる家族はたまに様子を見に来て
「狭い部屋で掃除が大変なわけでもないのに、全然綺麗になってない!」
「痩せているがちゃんと食事はとらせているのか?」
とクレームをつける家族もいた。
「それなら自分で面倒見ろ」
と内心毒づいたりもした。
中には
「なんで若いのにこの仕事してるの?人の下の世話なんてよくやれるね?」
と嫌味なことを言う者までいる。
これも利用者とその家族のストレス発散という形で役に立ってるんだろうか…
けれど対象的に優しい利用者と家族もいた。
「あなたが来てくれて本当に良かった!」
「助かったよ!ありがとう」
といつも感謝の言葉をくれた。
そんな言葉には柚葉も嬉しくヘルパーの仕事にやりがいさえも感じた。
これを労働力に見合わない低賃金への嫌味も含めて
「やりがい搾取」
と呼び蔑む人もいるらしい。
けれど、やりがいのない仕事なんて続けられるだろうか?
接客業におけるカスハラが社会問題になっているように、どんな仕事だってきっと大変なんだ─
と考えていた柚葉の手がピタッと止まった。
だから仕方ないんだ、とこんなに毎日自分に言い聞かせながら無理して続けるような仕事だろうか?
24歳、まだまだ仕事は沢山あるのに?
「おいっ!お前なにしてる?!テレビのリモコン持ってこいって言ってるだろ!!」
「はい、今行きます」
寝室のベッドに転がっている利用者にリモコンを手渡す。
「台所のお掃除も終わりました、そろそろ退室しますね」
エプロンを外し記録を書き利用者からサインをもらい
「ありがとうございました、またよろしくお願いします」
と笑顔で一礼し退室する。
そして
─永遠に─
「失礼いたします」
と玄関のドアを静かに閉じた。
お題 「狭い部屋」
「世の中に二人きりの姉妹なのに、あなた達はどうしてそんなに仲が悪いの」
と言われるくらい姉とは仲が悪かったし嫌いだった
趣味も全く合わなかった
姉は少女漫画や恋愛ドラマが大好きで色はピンクを好みフリルいっぱいのシャツやスカートをいつも履いていた
私はその真逆だった
「姉妹なのにこんなに違うのね」
といつも言われていた
全く女の子らしくない私だったが思春期になり好きな人ができた
3つ歳上の近所のお兄さんだ
町内の夏祭りにお兄さんが夏祭りの出店を手伝うと聞いてその時ばかりは親に浴衣を着てせてもらった
姉と一緒に出店を回っていたとき、屋台の焼き鳥を手伝うお兄さんと目が合った
お兄さんは瞬時に顔を真っ赤にした
姉の方を見て
「お姉ちゃんが好きなんだ…」
と目の前が真っ暗になった
初めての失恋だったが、痛手はなかった
「女の趣味が悪すぎる」
初恋の人は駄目人間に成り果てた
お題「失恋」
待ち合わせの時間、5分前に双方が駐車場に着いた
就業している訪問介護事業所は小さな事業所で大事な話は狭い事業所では不向きなため、近くの喫茶店に場所を決めた
事前に
「お話があるのですが」
と伝えていたので大体の予想は付けていたのだろう
退職の申し出をすると手帳とメモを取り出した
私は3ヶ月前から退職を考えていて辞めるときは正直に理由を告げようと決めていた
それがどんな理由でも
「退職したいという理由を聞いても良いですか?」
と切り出してきたので
「はい、理由は主任です」
とはっきり応えてやった
社長の手がピタリと止まる
主任は社長の嫁である、この小さな訪問介護事業所は家族営業であった
その動きを気にする気配も出さずこれまでの主任のパワハラを述べた
「同行すると利用者の前で暴言、施設で他の職員の前で叱責、呼び方は『アンタ』なにかすると『あのさぁ!だから!』挙句の果に手が飛んでくる」
「以上です」
社長の反応は期待を上回るものだった
「職場なので主任と呼んでますが私の家族なので、この話は聞かなかったことにします」
「知ってましたけど?」
一瞬沈黙が去ったあと
「では退職日は今月末ということで…」
喫茶店を出た足取りは軽かった
正直にぶちまけてスカッとした
こんな相手に建前を作る労力が勿体無い
明日から転職活動が始まるが絶滅危惧種と呼ばれるヘルパーの仕事だ
すぐに決まるだろう
次は小さな事業所は避けよう
正直者が馬鹿を見る職場は御免だ
お題「正直」