花の香りと共に
彼女としだれ梅を見に行く。
そんな幸せはないだろう。
何百本の梅にそこから香る梅の香り。
その香りと共に、梅の下を彼女と歩く幸せ。
それはまるで、お花畑を歩く天国のよう。
なぜなら君と自分の2人の世界に入っており
他の世界は遮断されているみたい。
花は咲いては枯れという繰り返しであるが
何度もたくさんの人々の感動を与える。
それは人間でも同じことが言える。
何かに失敗した時、彼女の一言でそれはなかったかの
ような魔法の言葉。そして何度も咲く。
人は大切な人がそばにいる時はとても輝かしい存在に
なれる。そして花のように、たくさんの人から見られて
良い影響を受ける。
終わり、また始まる
それはまるで伝統技能のようだ。
奈良時代から続く槍鉋等の伝統技能は滅び、いつしか台鉋が主流となっている。
その時代の技術が優れていても、新たな便利な道具、そして後継者がいなくなっていくと自ずとその道具は終わりを迎える。
今の技術者だって同じことが言えるのではないだろうか。今ではプレカットが主流となっており、安全に効率的に作業ができる。そのため手加工技術を学ぶ場もほとんどない。あったとしても、就職する会社ではプレカットが多く、実際に手加工できる会社は宮大工くらいだ。図面を書くこともCADを使用すればコピペで簡単に書くことができる。ただ審査する立場が必要だか、図面を書けないのに審査など到底難しい。一つのアイデア技術が、いくつもの既存技術を滅ぼしている。それは生産性向上等良いところもあるが、歴史を守れないという観点では良くもない。つまり技術は取捨選択が必要になる。
星
ひときわ輝く星。
周りも星であるのにかかわらず、一つの輝く星に目がいく。
それは人間に当てはめても同じ。
たくさんの人間がいるけど輝いてみえるのはごく少数。
恋する人は一人。
全ては比較で成り立っているのだろうか。
比較がなきゃそれが凄いということが分かりづらい。
星というものは美しくそれを見るだけ。
手には届かない。
つまり輝く人には追いつくことができず、それを見ているだけ。
ただ他の星からみる地球も星であるから輝くことはできる。
嗚呼
嗚呼なんて彼女はかわいいのだろう。
待ち合わせ時でのおはよう。
電話でのおやすみの声。
美味しいグルメを目の前にした笑み。
すきって言ってくれる表情。
切りがないくらいにその時を感じる
自分が愛する人の行動は何をしていてもかわいく感じる。
人の想いによってこんなにも見え方が違う。
人は視野が狭くなりがちで、当たり前のことに感情を持たないが、それに感情を持たせる人は必ず現れる。その人は大切にしないといけない。
風が運ぶもの
噂というものは運ばれてくる。
例えばあるコミュニティの中で、突然ある人があなたに対して、こんなことを言っていたよ。と言われたことがある人は多いのではないだろうか。良い噂であればこんな嬉しいことはないし、意地悪を言っていれば嫌な気持ちになる。つまり、自分の言った言葉には責任を持たないといけない。その人の前で言えない言葉を軽はずみに発してはならない。その言葉がどこからか流れてしまい、本人の耳に入る可能性が十分にある。人の気持ちとは簡単に左右に振ることができる。それほど言葉というのは助けにもなるが凶器にもなる。たしかに、言葉は武器になりかねないが、使いようによっては人の助けとなることができる。自分が信頼している人が、他のコミュニティでもこんな良い話をしていた。褒めていた。とか、話す相手によって異なるが、自分の行動が活性化するきっかけになったりすることもある。それほど言葉というものは人間にとって大切なものである。