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4/25/2026, 1:21:12 PM

流れ星に願いを

流れ星に願いを託すというのは、なんともロマンチックである。
昔、友達と流星群を見て実践したことがある。
消える前に3回願い事を唱えるというものだったが、流れるのが速すぎて1回すら言いきれなかった。
3回も唱えられるなら隕石レベルではないかと笑いあった記憶が思い起こされる。

結局その時は、流星群が流れている間なら良いという独自解釈で願い事をした。
何を願ったのかはもう忘れてしまった。
叶った実感もなければ、確認のしようもない。
忘れるような願いをしたつもりはなかったが、今の私にとってはその程度のことなのかもしれない。

最近はスマホばかり見ていて、空を見る機会が減っていた。
たまには夜空を眺めて、昔好きだった星座と神話の世界に思いを馳せてみようと思う。

4/24/2026, 12:13:10 PM

ルール

この言葉を見て、お題の更新時間というルールに縛られていると思った。
お題を自ら更新し縛られに行ったのは私なのだが。
ルールに従い、昨日書いていた途中のものを諦めて今日の文章を書いていく。
昨日は38度の風邪によって頭がふわっとしていた。
ゆえに書ききれなかった。
言い訳しても仕方がないし、誰に対してかも分からないが、とりあえずそれだけ書いておく。

ルールとは、人々が共生しつつ自由に生きるために、最低限守るべきものだと思った。
そうであって欲しいという希望もある。
定める人の道徳心や良心の度合によっては鬼畜なものが生まれる可能性もあるだろう。
校則もルールだし、ブラック校則なるもので理不尽な制約を受ける場合もある。
友達の学校では、靴下の色や長さが決まっているのに指定の物が無く、市販品の中で条件に合うものを見繕わなくてはならないらしい。
面倒くさいルールである。

これは連想ゲームみたいなものだな。
同じテーマではあるが、文章と文章が上手く繋がらないような感覚がある。
思い浮かべる事象を片っ端から書くと、少しおかしな感じがする。
もちろんそうは思わない方々もいるだろう。
この感覚も自分のルールなのかもしれない。
今回は修正しないでおこう。ルールに反していることを明記したことで、自分に許された気がする。

自分を許すとはなんだろう。
なぜ自分に許せない瞬間があるのか。
自分で行動した結果にその判断があるのは不思議だ。
自分のルールがあるのなら、なぜ許せないことをしてしまうのか。
それは自分が思ったより優秀でないからかもしれない。
実際より優秀な自分を元にルールが作られている。
だから違反してしまう。つまり完璧主義なのだ。

自分のルールは厳格すぎると思う。
この文章も書いたそばから違うと思って修正していく。
そんなにきちんとした文章が書けるわけでもないのに、ルールによって変えられていく。
始めにその言葉を発案した私が可哀想ではないか。
そんなことを言ったって、違うという違和感は正したくなってしまう。
試しに誤字以外何も修正せずに書いてみよう。

書こうと思っても文章が思いつかない。
当然だ。ルールの話をしているのに、ルール無しで書こうとしているのだから。
話したいことが話せない。
というか、修正なしなのが怖い。
普段どれだけ文章を途中で修正していたかが分かる。
読み返しながら文章を書く癖があるため、前の文章がルールに反していることに後から気づく。
今は修正できない。悔しい。

自分のルールに違反している、しそうなのが嫌なため、無法地帯はここで終わりだ。
一見なんの問題も無さそうな章だったが、これでもルール違反が複数箇所ある。
これでもいいが、こっちの言葉の方がずっと良いという感覚が、ルールとして定着しているみたいだ。
凝り性なのだろう。

風邪も治っていないのでこの辺にしておく。

私は日記を書くというより、1つのことを自分なりに考え続けるのが好きなのかもしれない。
夜にお題に答えると、次の日にも考え事をしてしまう。
お題がないのに昨日のお題以外のことを延々と考える。
考えている時間が楽しい。
お題以外の考えはメモアプリにでも残しておこうかと思う。
ここまで読んでくれた方がいらっしゃれば、ありがとうございました。

4/22/2026, 4:24:38 PM

たとえ間違いだったとしても

私は帰りの高速バスに揺られながら、初めてのお題の文字を読んだ。
「たとえ間違いだったとしても」
間違い?私の人生には、間違いだと思いつつも何かをした経験があっただろうか?
連日就活に悩まされている脳は、小説を書くより自分について考えてしまうようだった。

そもそも、なぜ私はこのアプリを入れている?
それは私が好きなことをおさらいするためだった。

就活の方向性が定まらず、1年間企業を探し続け、未だに職種すら絞れない日々。
自分に合う職は何か、もう考えすぎて疲れていた。
マイブームであるタロット占いが示すには、楽しかったことや夢中になったことが糸口になるらしい。
糸口ってなんだよ、仕事は遊びじゃないんだぞ。
ともかく、該当する記憶を引っ張り出す。

趣味…とか?
歌を歌う、ギターを弾く、曲を作る、絵を描く、小説を書く、詩を書く、ゲームを作る、アプリを作る。
歴代の趣味たちだ。どれも楽しかった。
私は創作活動が好き…なのかもしれない。
ここまで書き出して、最近はどれもしていないことに気づいた。
就活を始めた辺りから、研究も発展してきて忙しくなったからなぁ。
そこで、全部やり直すことにした。

まず今日の午前中に歌を歌ってみた。
本当に楽しい。
歌い出したら止まらなくなって、気づいたら大学へ行く時間になっていた。
そして用事を済ませた帰り道。つまり今、私は文字を書いている。
日記アプリで今日のことを書いて満足しようとしたが、なんか楽しくなかった。
このアプリで小説や詩を書こうと思いインストールしたが、今度は小説みたいな日記になっている気がする。
なんだか変な感じだが、こちらは楽しいみたいだ。
なぜ楽しい?文体を変えただけのようにしか見えないのに。
なぜ?

いや、考えすぎている。
歌は楽しい。小説もどき?を書くのも楽しい。心が弾んでいるという事実に明確な理由は無いだろう。
たとえ間違いだったとしても、この楽しいを享受できる仕事に就きたいと思う。

まだ続いてしまう。自分に関する稚拙な文章が出てくる。
自由に文字が書けるのが久しぶりで嬉しい。
頭の整理にも役立っている。
読んでくださっている方がもしいれば、これを許してほしい。

続きだが、締めにこんな結論を持ってきたものの、実のところ1度でも間違ったと後悔する人生を送ることは許せない。
本当にいいのか?間違っていそうな職に就こうとすること自体が間違いでは?
ずっと楽しいを享受したい私と、それを批判して堅実な道を勧める私が混在している。
創作が好きだ。しかし全てが独学で実績もない。大学の専攻も全く違う道である。
創造力で仕事をする企業が、あえて私を選ぶなんて考えづらい。

思えばこの大学を選んだのも偶然だ。教師に連れられて複数回遊びに行ったことがあり、滑り止めで受かったから入った。
教科的には好きでも嫌いでもなく、ただ悪くなかった。
正解でも間違いでもないところを選んだのだ。
もっと得意で好きな教科もあったのに。
第1志望に落ちたにしても、同じようなことができる学校を滑り止めにすれば良かったのに。
まぁ、ここでできる研究活動も今は少し楽しいし、正解だったと思う。ただこれは結果論だ。

私に「間違いだったとしても」と1歩踏み込む勇気はない。
最終的には専攻が活かせるか、創作活動には関係のない所に就き、趣味は趣味のままだろうと、堅実な方の私は考えている。
楽しさも重要ではあるが、後から楽しくなってくる研究活動のような例もある。ならば元から楽しいものはそのままでいいのではないか?
本当にそんな気がしてきた。だがそれでは今までの人生の二番煎じである。挑戦も大事だ。
しかし堅実な私の思う職業は本当に私に向いていて、後悔しないだろうか。
楽しそうな道こそが私に向いていて、後悔しない選択肢かもしれない。
しかし現実の生活を維持できるのか?だが本質的な楽しさが感じられなさそうな職業に就いて長続きするのか?
堂々巡りである。

結局今日も答えは出ないが、楽しいものはどう足掻いても楽しい。自由に考えを書くのは楽しい。これがわかったのは人生における収穫なのかもしれない。
たとえ間違いだったとしてもと言うが、間違いかどうかは未来の自分の評価次第である。
正解にしていく姿勢が大事なのかもしれない。


今日はこれくらいにしておこうかな。もう明日になっちゃったけど。
ド深夜だから考えたことがそのまま文章になっちゃう。
これを見る人がどれだけいるのか少し気になるなぁ。
冗長でまとまりのない文章な気もするけれど、本名が晒される訳ではないし、あまり恥ずかしくない…かも。

ここまで読んでくださった方々がいるなら、本当にありがとうございます。
私事でしかない情報を皆様に与えるだけの文章でした。
読んでくれた方がいなかったとしても、私の頭と心の整理ができて良かったです。
こんな文章をここに投稿していいんですかね?
たとえ間違いだったとしても、やってみることに意味があると思いたいです。