6.あじさい
それはもう梅雨にふさわしい花の一種とも言えるものだろう。私の家の近くにも毎年綺麗なあじさいを遊歩道を彩ってくれている。それがしかし、今年はニュースでも言っているとおり、梅雨入りがなかなかしなくてまだ家の近くの遊歩道はあじさいで彩っていない。むしろ、何故か今年の夏は暑い。いや、毎年言っている気がするな。今年もの方が正しかったろう。にしても、日本いや、世界の気候はどうなっちまったんだ。私が子供の頃なんて30℃を越えただけでテレビ番組や世間では大騒ぎだった。今で言う35℃の猛暑日なんて熊谷や鳩山の方の話だと思っていた。それがどうだ。今は関東で35℃の猛暑日なんて当たり前になりつつある。自分の世代からすると信じられない異常気象だ。やっぱ原因は地球温暖化などがあげられるのだろう。でも、だからって電気や石油を使うなって言われても我々はそれがないと冷房もつけられないし、車にも乗ることができない。生きるためにはやっぱり使うしかないのだ。でも、そんなことをしていると地球温暖化はいつまで経っても解決しない。難しい問題だ。どんなことでもそうだが、一度起きたことを悪化させるのは簡単だ。でも、それを立て直して良くするのは非常に大変なことだ。そういうことは1人では解決しない。だから人はよく言う。
"事態が悪化したら1人ではなくみんなの協力が必要だ!"
2024.6.14 Fri.
5.やりたいこと
約1ヶ月半ぶりほどの投稿になる。別にこのアプリが嫌になったわけではない。ただただ書く気がなかっただけ(笑)
やりたいことか。そんなことならたくさんある。大きなやりたいことを書くとすれば"作家"と"芸人"になる道だ。
芸人になりたい理由については前述の投稿にも何回か語ったが、"作家"になりたい理由についてはまだここには語ったことがないのでここに記そう。
まず1つのきっかけはただ単に作文や文章を書くのが好きだったからだ。たぶんどんな作家でもそうだろう。作家の誰もは書くことから好きにならないとこの世界には踏み込めないと思う。とくに小説家なんてものは"言葉"というものだけでストーリーを作り、人の心を揺さぶられるような世界観を作らなければならない。いわゆる文系向きな人が多い。僕が尊敬する作家であれば"石原慎太郎"さんや"太田光"さんは二人共通して数学や算数が苦手である。でも、文学はこんなに才能がある。自分もそっちタイプの人間だろう。
それでもう1つはある作家の影響である。先に名前をあげてしまったが、"太田光"さんの小説が本格的に作家を目指すきっかけとなった。去年3月に発行された太田さんの長編小説"笑って人類!"を買って読んだのだが、これが壮大過ぎた。壮大さだけでなく、ユーモアもあり、何より描写が細かく、なのに頭の中で映像が浮かびやすくとても面白い小説だった。誰でもそうだが、小説と聞くとなんか"内容が固い"とか"頭が良くないと読めない"とか"難しい"とかを思い浮かべがちだが、この作品は違った。小説であんな面白い世界を描けるなら自分もあんな小説を書きたいと思い、芸人+作家の道を進みたくなった。
この話の後に言うことでもないが、もう1つ今後やりたいことがある。
それは、、独り暮らしだ。。
2024.6.11
4. 初恋の日
私の初恋の日。そんなものはハッキリと言って覚えていない。まぁ、僕の人生18年、自分より年上の人からすればたった18年と思うかもしれないが、私は今でもだが、恋なんてもんは星の数以上、まぁ、オリオン座が描けるくらいの数だろうか。それくらいはしてきた。ちょっとお題と逸れるかもしれないが、"恋"というものはどんな"恋"でも最初は鼓動が激しくなるものだ。とくに初恋なんてそうなんじゃないかな。だってこんなに何回も"恋"を経験してる俺だって緊張するし、お腹は下すし、思い通りの言葉をかけてやれないしもうどうしようもなくなってしまう。それなのに初恋なんてもんをしてしまったらそれはもう経験というものがないから尚緊張するだろう。
高2の時に私が半年間だけ付き合っていた彼女だって、最初で最後の恋愛と言ってもいいくらい愛し合ってもうずっとこの人と思っていたが、お互いの価値観や思想などに変化が互いに出てきたなどを理由に別れてしまい、そこから3、4ヶ月はその心を引きずっていた。それで思い出したことだが、僕の大好きな小説家の石原慎太郎さんの本人が最後に出版した自伝に書いてあった言葉で"女の失恋は3日で忘れるらしいが、男の失恋は半年はかかる"という言葉を思い出した。まさにその状態にあっただろう。そこから槇原敬之さんじゃないけど、もう恋なんてしないなんて決めてたのにそこから今も懲りずに自分なりに恋という"自分の欲求"を探し続けている。
その時、私は思ったのだ。"出会いって 別離(わかれ)のために存在する"のだと。
2024.5.7
3. カラフル
私にとっての"カラフル"はおそらく"多趣味"なところだろう。前にも言ったが、私はお笑いが大好きだ。その時、志村けんさんが大好きでお笑いが好きになったと言ったが、それ以外にもビートたけし、爆笑問題、明石家さんま、くりぃむしちゅー、ブラックマヨネーズなどたくさんの憧れと好きな芸人がいる。その中でも、とくに自分と生き方や思想、価値観が一番近い芸人がいる。それは爆笑問題の太田光さんだ。別にただ好きだからそうなったとかではなく、逆に自分が太田さんのことを好きになってから彼の小説を読んだり、ラジオを聴いたり、テレビを観たりとしているうちに次第になんか自分と似ているというか、自分を観ているような感覚になってきたのだ。一番そう思ったのが、太田さんがテレビの生放送で暴れる時だ。自分も高校2年生の時の修学旅行でお笑いライブというものがあり、もちろん名前のとおりお笑い芸人さんが来てくれるライブだったのだが、自分はとにかく無類のお笑い好きなので芸人さんが来てくれることがとにかく嬉しすぎてゲロを吐くぐらいの緊張とワクワク感がありすぎて、お笑いライブ本番で席に座っていたクラスの友達と目があったのでその友達を立たせ、太田さんのようにタックルをしたのを覚えてる。もちろん途中で先生に止められたが笑 その時は別に太田さん意識はなく、とにかく楽しさと緊張の反動でやってしまった。そう考えると太田さんが生放送であんな感じで暴れたくなるのも無理はないと思った。
この文章を見るとお笑いしか本当に興味しかないように思われるかもしれないが、これ以外にも好きなことはたくさんある。
僕のもう1つの好きなものは"音楽"だ。高校1年生の時、Mr.Childrenが大好きでとくにボーカルの桜井和寿さんが大好きで、その一心でギターを始めた。そこから音楽の良さに気づき、福山雅治さんやチューリップ、CHAGE and ASKA、長渕剛さんなどたくさんの音楽を好むようになった。
それ以外にも、これはさっきの話に戻るけど、爆笑問題の太田さんの影響だが、本が大好きだ。とくに小説や、芸能人のエッセイはたくさん読むようになった。元々読書は大嫌いだったのだが笑
でも、彼がいたから変われた。
後はサイクリングが大好きで、片道20キロのところまで出かけたこともあったし、カラオケも大好きで必ず週に1回は行くし、プロレスとかも好きでたまにYouTubeとかで観たりもするし、ラジオも聴くし、少しだが政治や歴史にも少し興味もある。
そんな感じで私には色んな顔を持つ自分がいる。昔は、1つのことを好きになったらずっとそれに夢中になっちゃう一色に染まるようなタイプだったが、今は多趣味で好きなこともいっぱいあって彩りある"カラフル"な自分に変われた。
さぁ、今度は何色をつけていこう?
2024.5.1
2. 生きる意味
今日は"生きる意味"についてか。これもまた興味深いお題だ。まぁ、人によってこれは違うが、私は"自分にとっての生きがいを見つける時間"だと思う。私にとっての生きがいは"人を笑わせること"だ。まぁ、いわゆるお笑い芸人のことを指す。自分は昔からお笑いが大好きだ。もちろん人を笑わせるだけでなく自分自身が笑うことも大好きだ。なぜ私はこんなにお笑いが好きなったのか。これには様々なきっかけがある。
まず1つは"弱い自分を隠す"ためだ。私は小学生の頃かなりの泣き虫だった。誰かに怒られたらすぐ泣いたし、感動物の映画やアニメなどを観てもすぐに泣いていたくらいだ。その時に友人や親にその事を向こうもちょっとふざけ半分だとは思うが、いじられるのがスゴい嫌だった。そこからどうしたら泣き虫を改善して強き者になれるのか考えついたことが"笑う"ことだった。
あともう1つは"自分の最後"のためだ。僕はさっきも言ったように小さい頃は泣き虫であった。それと相手が泣いてるのを見るのも嫌いだった。とくにその瞬間を目にしたのは"人が亡くなった時"だ。人を亡くすのはもちろん辛いことだ。でも、泣かせることも泣くことも嫌いな私が亡くなった時に同じような扱いをされるのは嫌だと思い、どうすればといいかと考えていた時、リビングにテレビがついていた。その時にやっていたのが"志村けんのバカ殿様"だった。なんとなく観ていただけだったのだが、次第に面白くてずっと見続けていた記憶があった。そこから"志村けんみたいになれば自分も死んだ時人から笑われて死ねる"と思ったのだ。だから僕が最初に好きになったお笑い芸人は志村けんさんだった。とは言えども彼のようにはいかず、なかなか思いどおりにウケることが最初の頃はできなかった。逆に友達から惹かれる一方でむしろ不快な気持ちにさせてしまったのを今でも覚えてる。やっぱり彼のような笑いのとり方はできないのかと諦めつつもあった。
でも、いつか彼とコントをやりたいという強い気持ちもあった。
そうこう考えているうちに2020年3月29日。彼は新型コロナウイルスによる肺炎でこの世を去った。70歳だった..。 自分があんだけ目標にしていた人がこの世を去ってしまった悲しさそして悔しさに僕は動いた。志村けんさんが亡くなった分、それ以上のお笑いをやろうと!
そこから自分の人生は一気に変わり、高校時代は"大のお笑い好き"、"面白い奴"というイメージになっていった。今からおよそ10年と少し前、あんなに泣き虫で弱かった自分が、10年後こんなに人を笑わせ、こんなにも一生涯人を笑わせ続けようと思うようになるなんて自分でもびっくりだし、当時の僕しか知らない人達はなおさら驚いてるだろう。
いかにもお笑い芸人をやってそうな語り口でこの文章を書いているが、自分はまだちゃんとお笑い芸人にはなっていない。あくまでも、自分の経験をここに記してるだけだ。まだまだ世間には名も知られてないし、笑わせてもいない。今は純粋な社会人として生きているが、いつかここに書いてあることを本当にいつか実現してみたい。
長文になってしまったが、言ってしまえばこれが私の全てだ。なんか若干エンディングノートというか、生前のエッセイの文章みたいになってしまったが、今後もこのPRIDEをかけて自分の"生きる意味"として人生を楽しもうと思う。
2024. 4.27