佐藤けんじ

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 2. 生きる意味


 今日は"生きる意味"についてか。これもまた興味深いお題だ。まぁ、人によってこれは違うが、私は"自分にとっての生きがいを見つける時間"だと思う。私にとっての生きがいは"人を笑わせること"だ。まぁ、いわゆるお笑い芸人のことを指す。自分は昔からお笑いが大好きだ。もちろん人を笑わせるだけでなく自分自身が笑うことも大好きだ。なぜ私はこんなにお笑いが好きなったのか。これには様々なきっかけがある。
 まず1つは"弱い自分を隠す"ためだ。私は小学生の頃かなりの泣き虫だった。誰かに怒られたらすぐ泣いたし、感動物の映画やアニメなどを観てもすぐに泣いていたくらいだ。その時に友人や親にその事を向こうもちょっとふざけ半分だとは思うが、いじられるのがスゴい嫌だった。そこからどうしたら泣き虫を改善して強き者になれるのか考えついたことが"笑う"ことだった。

 あともう1つは"自分の最後"のためだ。僕はさっきも言ったように小さい頃は泣き虫であった。それと相手が泣いてるのを見るのも嫌いだった。とくにその瞬間を目にしたのは"人が亡くなった時"だ。人を亡くすのはもちろん辛いことだ。でも、泣かせることも泣くことも嫌いな私が亡くなった時に同じような扱いをされるのは嫌だと思い、どうすればといいかと考えていた時、リビングにテレビがついていた。その時にやっていたのが"志村けんのバカ殿様"だった。なんとなく観ていただけだったのだが、次第に面白くてずっと見続けていた記憶があった。そこから"志村けんみたいになれば自分も死んだ時人から笑われて死ねる"と思ったのだ。だから僕が最初に好きになったお笑い芸人は志村けんさんだった。とは言えども彼のようにはいかず、なかなか思いどおりにウケることが最初の頃はできなかった。逆に友達から惹かれる一方でむしろ不快な気持ちにさせてしまったのを今でも覚えてる。やっぱり彼のような笑いのとり方はできないのかと諦めつつもあった。
でも、いつか彼とコントをやりたいという強い気持ちもあった。
 そうこう考えているうちに2020年3月29日。彼は新型コロナウイルスによる肺炎でこの世を去った。70歳だった..。 自分があんだけ目標にしていた人がこの世を去ってしまった悲しさそして悔しさに僕は動いた。志村けんさんが亡くなった分、それ以上のお笑いをやろうと!
 そこから自分の人生は一気に変わり、高校時代は"大のお笑い好き"、"面白い奴"というイメージになっていった。今からおよそ10年と少し前、あんなに泣き虫で弱かった自分が、10年後こんなに人を笑わせ、こんなにも一生涯人を笑わせ続けようと思うようになるなんて自分でもびっくりだし、当時の僕しか知らない人達はなおさら驚いてるだろう。
 いかにもお笑い芸人をやってそうな語り口でこの文章を書いているが、自分はまだちゃんとお笑い芸人にはなっていない。あくまでも、自分の経験をここに記してるだけだ。まだまだ世間には名も知られてないし、笑わせてもいない。今は純粋な社会人として生きているが、いつかここに書いてあることを本当にいつか実現してみたい。
 長文になってしまったが、言ってしまえばこれが私の全てだ。なんか若干エンディングノートというか、生前のエッセイの文章みたいになってしまったが、今後もこのPRIDEをかけて自分の"生きる意味"として人生を楽しもうと思う。



 2024. 4.27

4/27/2024, 1:24:40 PM