君が隠した鍵って、テレビの裏とかから出てくるんだ。買ってあげたスーパーボールとか、いつのまにか遊ばなくなってたおもちゃとか、ペットボトルのフタとか、食べこぼしたカリカリとか、食べ残して遊んだニボシと一緒に。
紅というと、「紅をさす」という綺麗な表現があって、これは「口紅を塗る」という意味なんだけど、この「さす」のところは、きっと「紅を指す」なんだろう、そのまま情景が見えそうだしと思っていたら、言海では、
「点す」点火の点ずる
「注す」注入のそそぐ、つぐ、加える
「生す」生ふ、生じる
「映す」光が入りいる
あたりの用例が出てる。けど、紅は具体的にどれなのかはわからない。
でも、これらは一括して「差す」のカテゴリーらしくて、現代辞書やネットでみても、紅を差す。
「差す」:ないものを加え入れる
だという記事が多い。
そんな、「差す」とか言われたら、減算とか差分を求めるとかのイメージだけどな...
それに、そもそも「べにをさす」ではなくて「こうをさす」と読むらしくて、しかも口紅を塗るだけではなく、赤みがさすという方の意味もあるらしく、この場合には「長す」なので、なおさら「さす」は分からない。標野にはどんな茜がさしてたんだろ。
(『言海』もkindle版があります、photo-print版なのでサイズがでかいけど便利)
高橋和巳の『邪宗門』ってご存じですか。
ある民間宗教団体の戦前から戦中の盛衰を描いてるんですが、この教団には実在のモデルがあって、それが「大本教」(正式には大本)とされています。
この大本教、それまで恵まれなかった普通の老婆に突然神下ろしが始まって教祖となり、その娘婿の出口王仁三郎が聖師になります。この大本教、戦前の勢力はものすごく、政界、軍人にも入信者が多数いて、例えばご存じ秋山昌之。海軍機関学校教員浅野和三郎(心霊学者でもあって主著が青空文庫にあります)、その兄の海軍少将浅野正恭。合気道の植芝盛平など煌びやかな人材だらけ。
現在のヨガ業者谷口雅春も、大本の系譜なんだそう。
この聖師の出口王仁三郎なんですが、いろいろ気になるところもあって、まず経歴としては審神者から始めている。もともとは出口喜三郎だったのが、開祖の出口なおに鬼三郎に改名されてしまって、これを王仁三郎に換えたそう。大本教信者は髪を切らなかったらしく、画像を検索すると、人懐っこい表情に烏帽子のような落花生の殻のような髪型をしている。政府から弾圧(第一次、第二次大本事件)を受けて投獄されているのですが、この時代の偉い人の逸話なら、獄吏を説教して信徒を増やしたりしそうなものなのに、彼は暇で手持ち無沙汰なので、獄中で陰嚢をびろーんとやって遊んでいたとか。
先日、この方の言葉とされるものを紹介する動画がYouTubeで出てきたんですけど、夢とか直感は霊界からの連絡であると言っている。
そんな、自分の夢とか支離滅裂で滅茶苦茶だし、直感で行動してたら破滅するだけでは、と思うんですが、自分の心から感情や雑念を取り除いて行くと、霊界からの連絡が研ぎ澄まされて夢や直感の精度が上がるらしい。
でもこの動画、そもそも出口王仁三郎の言葉って『霊界通信』とかしか残ってないはずだし、講演の記録とかなのか出典が分からない。
それに、彼自身が審神者出身なので神道系民間宗教になるらしいのだけど、教義はみんなで「みろく世」を作ることらしく、そこに今度は「霊界」...
まあそれでも、この動画では王仁三郎が「テレビ」とかにも触れていて、いやいやあの時代にテレビあったんかい、とも思うわけで、ソースもなく話題も不自然ではある。
ただし『邪宗門』の方は、著者の高橋和巳はあの当時の京大系の作家で、ものすごく緻密で論理的な文章を書く人です。まるでプログラミング言語のような、眩暈がするような、それでいて人間を深く、表も裏も美しく描く人です。
その高橋和巳が、王仁三郎と教団指導者たちには「霊能力があった」と何の躊躇もなく書いている。彼がそう言うなら、えっ、そういうものなのか、そういう人間に在らざる世界が、あるところには在るものなのか?と思ってしまう。
そういう意味で、実際にお会いしてみたかった人物なのです、出口王仁三郎。
(高橋和巳はたいがいの作品がkindleで読めます。『邪宗門』は超長編だし、他の作品には宗教要素はありませんが、当時の左翼系の論考もあるので要注意)
未来が、というか、サキが見えちゃったらもう詰んでるでしょ。
見えないうちがハナでっせ。
木漏れ日の跡??
木漏れ日なら灼けて跡が残るほど紫外線も蓄積しないし、眩しい光の網膜の残像なのかな。
もしくはあの日の木漏れ日に印象づけられた、記憶の痕跡なのかな。
わからないので、こんなところで。