夏は終わり、電車の中は、白いサラリーマンが黒いサラリーマンにコスチェンジしていく。
人の命まで奪いかねなかった灼熱地獄はどこへやら。
肌寒い風が吹き抜け、職場までの道のりがすでに冬めいている。
これからもっともっと、空を高く高く感じることだろう。
高気圧の影響で空気が澄みきっているからだろうけど、それにつられて心まで澄みきる季節がやってくる。
まさにちょっとココロオドル季節。
たぶん私は、人一倍暑がりで、人一倍寒さには強いから。
あとは、気温とともに懐が寒くならないことを願う。
そのためにも、今後も株価は高く高く、天井知らずで上がっていってほしい。
給料はまあ、限界が見えてるし。
これから、新しいスマホやPCや車が欲しいから、世界情勢も我が暮らしも、安定した状態を求む。
そんなどーでもいい個人事情でお茶を濁しつつ、欲しいものを手に入れるための志しだけは高く高く、その高みを目指して日々努力していこう。
いや…株価頼みだったりするが。
それでも、ギャンブルにドハマっていた頃を思えば、よっぽど生産性のある行為だと…信じている。
気持ちのイイ季節の話に戻そう。
清々しく澄みきった高い高い空を感じる秋を過ぎれば、その後は冷たい冬の時代が来る。
凍えるような物価高。
すべてのものが高く高く、身体を冷やし肝を冷やして、我々の生活はどうなっていくんだろう。
あれ…?話が戻ってない…。
仕事が終わったら、子供のように自由に過ごしたい。
飲み会なんか大っ嫌いだ。
上司の相手しながら飲む酒なんてクソ不味い。
酔っ払って、くだらない話でバカみたいに笑うおっさんや、ここぞとばかりに女の子にちょっかいを出すおっさんや、道路で吐いて動けなくなって寝転がるおっさんや、道行く人に喧嘩ふっかけて返り討ちされるおっさんにはなりたくない。
都内にはそんなおっさんがあふれてる。
俺もおっさんだが、お酒の力で自由を手に入れたと勘違いするような大人にはなりたくない。
あんなもの飲まなくたって、俺は俺らしく楽しく生きてるし、我を忘れて他人に迷惑をかけているつもりもない。
子供は、お酒を飲まなくても周りの人に迷惑をかけることがあるが、それを嗜める両親や先生がいる。
大人は自己判断でやりたい放題じゃないか。
たちが悪い。
何でも知ったような顔して、他人の気持ちも思いやれない大人の振る舞い。
なまじ長く生きてるから、このくらい許されるだろうと傍若無人な振る舞い。
そして、咎められても謝り方を知らないおっさん達。
子供の方がまだ素直に謝ってくれる。
体だけ年老いても、心の成長は追いついてくれないんだな。
そんなおっさんの俺だが、気が付いたらおっさんだった訳で、なりたくてなった訳じゃないんだよ。
どんなイケメンだっておっさんになる。
頭ん中は純真無垢ならぬ純真無知のまま、衰えて老いさらばえて、子供のように無邪気に笑うことも出来なくなって、お酒を飲むくらいしか楽しみがなくなって。
おっさんはおっさんで大変なんだよな。
おっさんならではの悲哀に満ちたドラマ。
それは、おっさんがおっさんたる所以で、おっさんにしか開けないパンドラの箱ってのがあるんだろう。
さて、ラストスパートで頑張ってみたが、「おっさん」を何回使えただろう。
「おっさん」だらけの文章を作ってみたかった、ただそれだけ。
子供のように、無邪気な心で。
物語は前回より続く。
放課後、結局愛しのあのコとは、校舎裏で会うことになった。
いきなり二人で肩を並べて帰るのには、本当に抵抗があったらしい。
まあ確かに、それは僕も異論が無かったので、第二校舎裏の祠の前であのコを待つ。
夕暮れ時。秋になって日が落ちるのも早くなった。
薄暗い校舎裏。ひっそりと佇む小さな祠。
不意に、背後から声をかけられた。
「誰かと待ち合わせ?」
振り返ると、同い年くらいの女の子が立っている。
いつからそこに?これは…もしかしてあれか?
女の子の幽霊の噂を思い出す。
いや…でも…こんなに可愛いコだとは…。
「君は…こんなところで何してるの?」
「質問に質問で返さないでよ。私はここが好きなの。だからよくここに来る。それだけ」
…どーとでも取れる回答。
とはいえ、彼女は生身の人間にしか見えない。
「僕は友達を待ってる。だけどここ、幽霊の噂があるの知ってる?」
「知ってるよ。皆でしてるよね、私の噂」
「え…!」
答えは出た。いや待て、このコも僕をからかってるんじゃ…。
もう、何を信じていいのか分からない。
女の子は男をからかって生きる生き物なのか?
幽霊になってもその性質は変わらないのか?
それにしても彼女、可愛すぎる。
「き、君は、あの、彼氏とかいるの?」
混乱している。それを理由に聞きたいことを聞く。
「どーしてそうなるの?幽霊に彼氏なんている訳ないじゃない」
もっと混乱する。でも、心のどこかでチャンスだと叫ぶ自分がいる。
「ゆ、幽霊だって、恋はしたっていいんじゃない?いや、するべきだよ」
いよいよ混乱を極めてきて、僕の頭の中には、母に勧められて観た「ゴースト」という映画のワンシーンが浮かんだ。
二人重なってろくろを回す、あのシーンだ。
僕はもう、幽霊に恋してる。
「何やってんの?」
背後から声をかけられて、慌てて振り向く。
愛しのあのコが立っていた。
「あ、いやあの、この人に道を尋ねられて…」
訳の分からない言い訳をしながら幽霊女子を振り返ると、すでにその姿はなかった。
「この人って?」
「えーと、見えないよね。見えるはずないよ、霊感なんてないんだから。あの映画、ゴーストの二人は、もとから恋人同士だったから触れ合えたんだ。僕には無理だ。きっと君とは付き合えない。残念だけど、君と僕とでは住む世界が違うんだ」
もはや、何が言いたいのかも分からない。
恋は盲目とはよく言ったもんだ。
「あ、そう。別にいいけど。からかいついでに寄っただけだから。じゃあ私、帰るね」
そう言って、あのコが僕に背中を向けて去っていった。
引き止める気持ちも起きない。
僕はどうしてしまったんだろう。
夕暮れの校舎裏。静まり返った祠の前にポツンと取り残されて、僕はあの幽霊少女の笑顔を思い出していた。
…笑顔?笑顔なんて見たっけ?すでに過剰妄想が始まっているのか。
もう、家に帰ろう。
…一週間後、学校の写生大会で表彰された絵の中に、「祠と少年」というタイトルの作品があった。
絵の中の少年は祠に背を向けて、その背中はどこか希望に満ちている。
廊下の壁に貼られたその絵の右下に、クラスと女の子の名前が書いてあった。
女の子は男をからかって生きる生き物らしい。
今の僕の背中は、この絵よりも一層希望に満ちているはずだ。
さっき、確かに見た。
この白いカーテンの向こうに、彼女が入っていくのを。
ここは保健室。
僕は体育の授業中に足を挫いて、湿布を貼られた後に、保健の先生から「少し休んでいけ」と言われた。
そしてベッドに横になったところで、僕がずっと恋心を抱いているあのコが、隣のベッドを使おうとしているのを見た、という訳だ。
さて、どーしよう。
意を決して声を掛ける。
だって、こんなチャンスそうはないじゃないか。
保健の先生は、職員会議とやらで席を外してる。
「あー、ねえ、体調でも悪いの?」
返事は無し。
自分に話しかけられているとは思ってないのかも。
「えーと、まだ体育の授業中だよね?僕、跳び箱の着地ミスって足グネっちゃってさ、しばらく安静にしとけって保健の先生が」
「知ってるよ。見てた」
「ホントに?恥ずかしいとこ見られたな。あれくらい簡単に飛べるはずだったんだけど」
「いつもは飛んでるよね。今日も飛べてたじゃん。着地に失敗しただけで」
僕のこと、よく見てくれてる。
これはもしかして、脈アリってやつかも。
「君はどーして保健室に?体調でも悪いの?」
「うん。なんかずっと調子悪い。目の前が霞むの」
「それは辛そうだね。病院へは行ったの?」
「行った…気がする」
なんだ、それ。眠くなっちゃったのかな。
こーなったら、さりげなく想いを伝えちゃおう。
「あのさ、実はずっと君のこと、気になってたんだけど、今日の放課後、一緒に帰れないかな?話したいことがいろいろあってさ」
…沈黙。ここで無言はやめてくれ。
もしかして、眠っちゃった?
「あ、あの、都合が悪ければ別の日でも…」
「一緒に帰るのは無理」
やけにきっぱりと断られた。清々しいほどに。
「じゃ、じゃあさ、授業が終わったら、校舎裏で会えないかな?誰にも見られないような場所、知ってるから」
「学校でなら…いいよ」
よし!すべてはここからだ。
「それじゃ、第二校舎の裏に小さな祠があるの、知ってる?あの辺はあんまり人が来ないんだ。女の子の幽霊が出るとか噂されててさ、もちろん嘘に決まってるけど」
「どうして…嘘だと思うの?」
「え…だってそんなん…」
「存在まで否定された人の気持ち、分かる?」
「いや…ちょっと待って…」
…なんか、おかしいぞ。この白いカーテンの向こうにいるのは、本当に僕の憧れのあのコなのか?
そーいえば、隣からは身じろぎの音ひとつ聞こえない。
さっきからずっと。
ガラガラと音がして、保健の先生が戻ってきた。
「おーい、そろそろ教室に戻っていいぞ」
まだ足は痛むが、歩けないほどじゃない。
そして、早くここを離れろと本能が叫んでいる。
その時、カーテンの向こうから、囁くような彼女の声が聞こえてきた。
「約束したからね。絶対に会いに来てね。いつまででも待ってるから。私もあなたが好きだから」
「おい、どうした?」
保健の先生が僕のベッドを覗き込んでくる。
僕はもう、今ここで話したすべてのことを後悔していた。
きっと隣のベッドには誰もいない。
いや、僕の想像を超える存在がいるのかもしれない。
放課後の校舎裏なんか行けるはずもない。
もしかすると、どこまでも追いかけられて、僕の人生オワコンかも。
恐怖と痛みでなかなか動かない足で何とか立ち上がり、出来るだけ静かに歩いて、逃げるようにその場を離れようとした。
だが、僕は見てしまった。
好奇心に駆られ、あの白いカーテンの向こう側を。
…そこには、悪戯っぽく笑いながら息を潜める、僕の愛しのあのコがいた。
僕に見られて小さく舌を出す。
やられた。完全にからかわれた。
…でも、確かさっき、「私もあなたが好きだから」とか、言わなかった?
人は、悲しくて泣いて嬉しくても泣く。
まったく正反対の感情なのに。
要は、感極まることで涙が流れるんだろうけど、出来れば嬉し涙の多い人生がいいな。
この歳になって、間違いなく涙脆くなった。
そーゆー映画の予告でボロボロ泣いてしまう。
YouTubeの短い動画でも、色覚異常の人が特殊な眼鏡をかけて初めて色にあふれた世界を見る、とか、帰還兵の父親が内緒で帰国してサプライズで家族の前に姿を現す、とか、ものの数分で泣けてしまう。
涙の理由なんて様々だけど、思えば、子供の頃は自分のことで泣いて、大人になったら、他人事で泣くようになった気がする。
さすがにもう、自分の思い通りにいかなくて泣いたり、痛くて怖くて泣いたりはしない。当たり前だけど。
そして上に書いたように、他人の喜怒哀楽に共感して泣くことが多くなった。
それがフィクションでも、リアルでも。
人のために泣ける、そんな自分に酔いしれてるとこもあんのかな。
もっと言えば、自分の今が安泰だから、他人の事情に同情する余裕を持てるのかもしれない。
まっすぐに自分のことで泣いていた幼少期と比べたら、なんかコスい人間に成り果てた感がある。
同情して涙を流すのが優しさではなく、そこで行動を起こすのがホントの優しさなんだろう。
まあ、そんなことは分かっちゃいるが、感極まって涙が溢れるのはどうしようもないよな。
今から娘の結婚式が不安で仕方がない。
号泣して引かれるんじゃないかと。
…でも、ま、いっか。
涙の理由は人それぞれで、涙の量だって人それぞれだ。
人は、悲しくて泣いて嬉しくても泣くんだから、涙は自由自在、神出鬼没。
目から水が流れ出すだけだ。
心の汗みたいなもんだしな。