誰かのために、何かをする。
それによって、誰かが喜んでくれる。
これほど、「ココロオドル」ことはないだろう。
人間ってそう出来てるんだと思う。
かなり自己中な人もいるけど、たとえ自分ファーストでも、誰かに喜んでもらいたい気持ちは生まれ持ってると思うし、自分だけが幸せで周りの皆が不幸な状況なら、その幸せを分け与えることで、感謝されて自分がもっと幸せになることを知ってる。
代償に自分が不幸になるのは回避するとしても。
「あんのこと」という映画をサブスクで観た。
大絶賛されてた映画なので、期待値もかなり高かった。
結果、自分の期待する方向性とは違っていたせいか、個人的な評価の難しい作品となった。
他人のために身を削れるような人が罪を犯していたり、他人の迷惑など顧みないような人が感謝の気持ちに溢れていたり。
実話ベースの映画なので、これがリアルなのかもしれない。
決して「ココロオドル」ような映画ではなかったが、「ココロニノコル」作品ではあったなと。
我々の人間性は複雑で、きっといろんな側面を持っているんだ。
だから、自己中だったり、献身的だったり、そのどちらもが共存していたり。
そうであれば、もっと人間に期待していいんじゃないかと思うのは…浅はかすぎるだろうか。
…いや、人は誰かと関わり心通わせることで、生きる意味を見出せるんだと思う。
あの映画のヒロインのように。
悲しい結末だったが、描かれていたのは救いのない世界ではなかった。
きっと明日も、誰かのために何かをするだろう。
その人が喜んでくれる顔を見て、心躍らせるために。
うん。
今日は何も考えずに、お題通り。
「束の間の休息」
戦いは続く。
人と人が殺し合う。
罪のない人々も。平和を願う人々も。
巻き込まれ、瓦礫の下に身を潜める。
ミサイルなんて何故作ったんだろう。
人々の暮らしを、少しでも豊かにしてくれるというのか。
豊かな暮らしのために一生懸命作り上げた街を一瞬で破壊する兵器など、いったい誰が必要とするのか。
向こうが先に作ったからこっちも作らないとやられる?
アメリカの銃社会と一緒。
人類の英知で変えていくべきは、この疑心暗鬼に満ちた世界の在りようではないのか。
夜空にミサイルの閃光が流れ、美しい星達の輝きを切り裂いてゆく。
世界同時中継で、憎しみ合う人々の姿が配信される。
どんな思いでこの映像を見ればいい?
何の不安もないこの部屋で、温かいコーヒーを飲みながら、それでも、気付けば眉間に力を込めて。
本当に見たい映像はこんなんじゃない。
夜空にきらめく星達のデザインアートが見たい。
戦いは続く。
人と人が殺し合う。
願いを込めて、この静かな夜空を仰ぎ見れば、生きるために生まれてきたはずの同じ星に暮らす人々が、きっと同じ空を見上げてる。
いくつもの弾道ミサイルが降り注ぐ夜空を。
ありがとうと、さよなら。
もう会えない君に、伝えたい言葉はそれだけ。
一緒に暮らした日々にたくさん話をしたから、もう他に何も言うことはない。
ありがとうと、さよなら。
このふたつだけは、うまく伝えられた自信がない。
ありがとうは照れくさくて、さよならは遠く思えて。
でも、言わなければならない時は、思いのほか近くにあった。
ありがとう。
僕が自分らしく生きられたのは、君が僕らしさを教えてくれたから。
自分らしく生きることに、何の疑問も持たなくていいと教えてくれたから。
過ぎた日を想う今、僕には君が必要だったんだと気付く。
さよなら。
君を失うはずはなかったのに、何ひとつ間違ってはいなかったのに、君はその言葉を僕に告げた。
どうして?としか言えなかった僕に、ごめんね、とだけ残して。
君からのさよならに、ちゃんと答えられなかったな。
過ぎた日を想う時、そんな後悔ばかりが心を満たす。
ありがとうと、さよなら。
伝えたい言葉は、それだけ。
もう、伝えられる日はきっと来ないけど、この言葉を伝えたいと思えるようになったことが、僕が前を向いて歩き出そうとしている証なんだ。
過ぎた日への想いを乗り越えて。
雨の日はプラネタリウム。
現実の空には見えない星達を、シートに身を沈めてひとつひとつ数える。
そのひとつひとつが何らかの姿を形作り、太古の昔より、人々はそこに宇宙の物語を読み解いてきた。
それは、星達が織りなすデザインアート。
どこかの席の子供が泣き出した。
現実に引き戻される。
「ケンタウルス座は、ギリシャ神話に登場する上半身が人間で、下半身が馬の姿をしたケンタウルスをモチーフにした星座です」
美しい声音のナレーションが降ってきた。
照明が消え、一瞬の暗闇。
星達の輝きも消え失せる瞬間。
この街の夜空のように。雨の日の夜空のように。
ケンタウロスの咆哮が遠く聞こえ、雨は激しさを増す。
窓の外には、暗く立ち込める雲。
まだ、帰れそうにない。
館内のベンチに腰を下ろし、目を閉じて、まぶたの裏に先ほどの星達を思い描いた。
何かが問いかけてくる。
「ほんとうのさいわいは、いったいなんだろう」
そんなこと、分からない。
考えたって、分からない。
今はただ、この雨が止んでくれることを、心から願う。
「魚座、見つけられるかな」
さっき、泣いていた子供だろうか。
母親の声が答える。
「この雨じゃね。夜になって雨が上がったら、見えるかもね」
「秋の星座だって言ってたよ。僕の誕生日の星座なんでしょ?」
「そうだね。家に帰って夕御飯を食べたら、ベランダに出て探してみようか」
「うん!今日の夕御飯、何?」
奇遇だね。僕も同じ魚座なんだ。
以前ネットで調べたら、魚座は、常に空想と現実を行き来する精神を表す「リボンで結ばれた魚」がシンボルマークになっている、とあった。
…空想、か。
空を想う、そんな時間を過ごした後で、人々は思い思いに家路を辿る。
そこに「さいわい」はあるのだろうか。
ベンチで目を開けると、自分の周りには誰もいない。
魚座の話をしていた親子の姿もない。
さっきまで声が聞こえていたのに。
雨は上がったようだ。僕ももう帰ろう。
待つ人のいない部屋だけど、そこには僕の物語がある。
「さいわい」を見つけられるのはまだ先かもしれないけど、きっと、願い星は今夜も夜空に輝くだろう。
「僕もう、あんな大きな暗の中だってこわくない」