さっき、確かに見た。
この白いカーテンの向こうに、彼女が入っていくのを。
ここは保健室。
僕は体育の授業中に足を挫いて、湿布を貼られた後に、保健の先生から「少し休んでいけ」と言われた。
そしてベッドに横になったところで、僕がずっと恋心を抱いているあのコが、隣のベッドを使おうとしているのを見た、という訳だ。
さて、どーしよう。
意を決して声を掛ける。
だって、こんなチャンスそうはないじゃないか。
保健の先生は、職員会議とやらで席を外してる。
「あー、ねえ、体調でも悪いの?」
返事は無し。
自分に話しかけられているとは思ってないのかも。
「えーと、まだ体育の授業中だよね?僕、跳び箱の着地ミスって足グネっちゃってさ、しばらく安静にしとけって保健の先生が」
「知ってるよ。見てた」
「ホントに?恥ずかしいとこ見られたな。あれくらい簡単に飛べるはずだったんだけど」
「いつもは飛んでるよね。今日も飛べてたじゃん。着地に失敗しただけで」
僕のこと、よく見てくれてる。
これはもしかして、脈アリってやつかも。
「君はどーして保健室に?体調でも悪いの?」
「うん。なんかずっと調子悪い。目の前が霞むの」
「それは辛そうだね。病院へは行ったの?」
「行った…気がする」
なんだ、それ。眠くなっちゃったのかな。
こーなったら、さりげなく想いを伝えちゃおう。
「あのさ、実はずっと君のこと、気になってたんだけど、今日の放課後、一緒に帰れないかな?話したいことがいろいろあってさ」
…沈黙。ここで無言はやめてくれ。
もしかして、眠っちゃった?
「あ、あの、都合が悪ければ別の日でも…」
「一緒に帰るのは無理」
やけにきっぱりと断られた。清々しいほどに。
「じゃ、じゃあさ、授業が終わったら、校舎裏で会えないかな?誰にも見られないような場所、知ってるから」
「学校でなら…いいよ」
よし!すべてはここからだ。
「それじゃ、第二校舎の裏に小さな祠があるの、知ってる?あの辺はあんまり人が来ないんだ。女の子の幽霊が出るとか噂されててさ、もちろん嘘に決まってるけど」
「どうして…嘘だと思うの?」
「え…だってそんなん…」
「存在まで否定された人の気持ち、分かる?」
「いや…ちょっと待って…」
…なんか、おかしいぞ。この白いカーテンの向こうにいるのは、本当に僕の憧れのあのコなのか?
そーいえば、隣からは身じろぎの音ひとつ聞こえない。
さっきからずっと。
ガラガラと音がして、保健の先生が戻ってきた。
「おーい、そろそろ教室に戻っていいぞ」
まだ足は痛むが、歩けないほどじゃない。
そして、早くここを離れろと本能が叫んでいる。
その時、カーテンの向こうから、囁くような彼女の声が聞こえてきた。
「約束したからね。絶対に会いに来てね。いつまででも待ってるから。私もあなたが好きだから」
「おい、どうした?」
保健の先生が僕のベッドを覗き込んでくる。
僕はもう、今ここで話したすべてのことを後悔していた。
きっと隣のベッドには誰もいない。
いや、僕の想像を超える存在がいるのかもしれない。
放課後の校舎裏なんか行けるはずもない。
もしかすると、どこまでも追いかけられて、僕の人生オワコンかも。
恐怖と痛みでなかなか動かない足で何とか立ち上がり、出来るだけ静かに歩いて、逃げるようにその場を離れようとした。
だが、僕は見てしまった。
好奇心に駆られ、あの白いカーテンの向こう側を。
…そこには、悪戯っぽく笑いながら息を潜める、僕の愛しのあのコがいた。
僕に見られて小さく舌を出す。
やられた。完全にからかわれた。
…でも、確かさっき、「私もあなたが好きだから」とか、言わなかった?
人は、悲しくて泣いて嬉しくても泣く。
まったく正反対の感情なのに。
要は、感極まることで涙が流れるんだろうけど、出来れば嬉し涙の多い人生がいいな。
この歳になって、間違いなく涙脆くなった。
そーゆー映画の予告でボロボロ泣いてしまう。
YouTubeの短い動画でも、色覚異常の人が特殊な眼鏡をかけて初めて色にあふれた世界を見る、とか、帰還兵の父親が内緒で帰国してサプライズで家族の前に姿を現す、とか、ものの数分で泣けてしまう。
涙の理由なんて様々だけど、思えば、子供の頃は自分のことで泣いて、大人になったら、他人事で泣くようになった気がする。
さすがにもう、自分の思い通りにいかなくて泣いたり、痛くて怖くて泣いたりはしない。当たり前だけど。
そして上に書いたように、他人の喜怒哀楽に共感して泣くことが多くなった。
それがフィクションでも、リアルでも。
人のために泣ける、そんな自分に酔いしれてるとこもあんのかな。
もっと言えば、自分の今が安泰だから、他人の事情に同情する余裕を持てるのかもしれない。
まっすぐに自分のことで泣いていた幼少期と比べたら、なんかコスい人間に成り果てた感がある。
同情して涙を流すのが優しさではなく、そこで行動を起こすのがホントの優しさなんだろう。
まあ、そんなことは分かっちゃいるが、感極まって涙が溢れるのはどうしようもないよな。
今から娘の結婚式が不安で仕方がない。
号泣して引かれるんじゃないかと。
…でも、ま、いっか。
涙の理由は人それぞれで、涙の量だって人それぞれだ。
人は、悲しくて泣いて嬉しくても泣くんだから、涙は自由自在、神出鬼没。
目から水が流れ出すだけだ。
心の汗みたいなもんだしな。
誰かのために、何かをする。
それによって、誰かが喜んでくれる。
これほど、「ココロオドル」ことはないだろう。
人間ってそう出来てるんだと思う。
かなり自己中な人もいるけど、たとえ自分ファーストでも、誰かに喜んでもらいたい気持ちは生まれ持ってると思うし、自分だけが幸せで周りの皆が不幸な状況なら、その幸せを分け与えることで、感謝されて自分がもっと幸せになることを知ってる。
代償に自分が不幸になるのは回避するとしても。
「あんのこと」という映画をサブスクで観た。
大絶賛されてた映画なので、期待値もかなり高かった。
結果、自分の期待する方向性とは違っていたせいか、個人的な評価の難しい作品となった。
他人のために身を削れるような人が罪を犯していたり、他人の迷惑など顧みないような人が感謝の気持ちに溢れていたり。
実話ベースの映画なので、これがリアルなのかもしれない。
決して「ココロオドル」ような映画ではなかったが、「ココロニノコル」作品ではあったなと。
我々の人間性は複雑で、きっといろんな側面を持っているんだ。
だから、自己中だったり、献身的だったり、そのどちらもが共存していたり。
そうであれば、もっと人間に期待していいんじゃないかと思うのは…浅はかすぎるだろうか。
…いや、人は誰かと関わり心通わせることで、生きる意味を見出せるんだと思う。
あの映画のヒロインのように。
悲しい結末だったが、描かれていたのは救いのない世界ではなかった。
きっと明日も、誰かのために何かをするだろう。
その人が喜んでくれる顔を見て、心躍らせるために。
うん。
今日は何も考えずに、お題通り。
「束の間の休息」
戦いは続く。
人と人が殺し合う。
罪のない人々も。平和を願う人々も。
巻き込まれ、瓦礫の下に身を潜める。
ミサイルなんて何故作ったんだろう。
人々の暮らしを、少しでも豊かにしてくれるというのか。
豊かな暮らしのために一生懸命作り上げた街を一瞬で破壊する兵器など、いったい誰が必要とするのか。
向こうが先に作ったからこっちも作らないとやられる?
アメリカの銃社会と一緒。
人類の英知で変えていくべきは、この疑心暗鬼に満ちた世界の在りようではないのか。
夜空にミサイルの閃光が流れ、美しい星達の輝きを切り裂いてゆく。
世界同時中継で、憎しみ合う人々の姿が配信される。
どんな思いでこの映像を見ればいい?
何の不安もないこの部屋で、温かいコーヒーを飲みながら、それでも、気付けば眉間に力を込めて。
本当に見たい映像はこんなんじゃない。
夜空にきらめく星達のデザインアートが見たい。
戦いは続く。
人と人が殺し合う。
願いを込めて、この静かな夜空を仰ぎ見れば、生きるために生まれてきたはずの同じ星に暮らす人々が、きっと同じ空を見上げてる。
いくつもの弾道ミサイルが降り注ぐ夜空を。