10年前の今日、俺は妻と大喧嘩をする。
きっかけは些細なことだ。
でも、少しずつヒートアップして、
最終的に、あのセリフを言ってしまう。
いいか、よく聞け。
あのセリフを言ったが最後、
10年後の今も、彼女は口を聞いてくれない。
家庭は地獄と化し、
仕事帰りの電車の時間がどんどん遅くなる。
食事なんて作ってもらえる訳もなく、
週末はずっと別々の部屋で、隣は何をする人ぞ、だ。
そりゃ、あんなことを言ってしまったらこーなるよな。
分かってたのに、止められなかった。
あのセリフには、言わずにいられないパワーがある。
でも、言ってしまったらおしまいだ。
今日一日、何とか耐えるんだ。
どれだけ喧嘩でヒートアップしても、
絶対にあのセリフだけは言わないでくれ。
頼む。俺から俺へのお願いだ。
俺のその後の人生がかかっている。
あのセリフだけは、何としてでも避けるんだ。
ついでに言っておくと、
実は10年後の俺から手紙が来たんだ。
今からさらに10年後、俺は完全に孤立してしまうらしい。
家にも居場所が無くなり、
平日は終電帰り、週末は公園で時間を潰しているとか。
悲惨だろ。
そーならないためにも、頼む。
あのセリフだけは言わないでくれ。
言いたくても、グッと堪えるんだ。
…うん。
そのセリフが何なのか、知りたいよな。
知っとけば、言わないで済むかもしれないもんな。
でもな…実は、まったく覚えてない。
なんたって10年も前のことだ。
どれがトリガーになったのか、今さら妻にも聞けないんだ。
とゆー訳で、健闘を祈る。
俺の現在と未来は、過去の俺にかかっている。
頼んだぞ。あのセリフだけは言わないでくれ。
言いたくても、グッと堪えるんだ。
…ん?
とゆーか、喧嘩をやめればいいんじゃないか…な?
毎年、浮足立ってたな。前年の惨敗も忘れて。
しなくてもいい期待を胸に、万が一の逆転ホームランを信じて。
そして踏みにじられるプライド。人生の厳しさを噛みしめる。
良くないよ、あーゆーイベント。(一部の)青少年の健全たる成長を妨げる。
バレンタインさんが尽力したのは、結ばれてるカップルの結婚を成就させることで、
別に「ねるとん」とか「あいのり」とか「テラスハウス」とか「バチェラー」を流行らせた訳じゃない。
なんでそれがいつの間にか、恋愛の成就に置き換えられたのか。
まあ、バレンタインさんには会ったこともないから、ホントのところは知らんけど。
それでも、いくつかは貰えてたんだっけな。
あれが、異性を恋愛対象として意識した始まりだったのかもしれない。
自分達とはまったく別の、何だかドキドキさせられる存在。
貰ったチョコレートが嬉しくて、机の引き出しにテトリスみたいに並べて、引き出しを開けるたびにニヤついてた。
ゲームを始めたばっかのちっちゃなテトリスだったけど。
まあ今は、家族にもちゃんと貰えないし、職場ではそんな日であることを微塵たりとも思い出さなかった。
でもそれは、血糖値高めの自分には願ったりなことだし、すでにこうして結婚を成就させているのは、バレンタインさんのご利益なのかもしれない。
…まあそれはさておき、今頃、今日一日を思い出して、ほくそ笑んでる人、悔し涙の人、いろいろなんだろうな。
明日は明日の風が吹くから、調子に乗らず落ち込まず、気を取り直して明日を迎えよう。
今日はドキドキしても、明日はフツーの平日なのです。
待っててとは言ったものの、さすがに10年は長すぎた。
そのくらいあれば、こんな俺でも成功するチャンスをつかめると盲信してしまった。
あの娘を待たせて、見違えるように立派になって再会しようと目論んだが、人生そう上手くはいかない。
挫折を繰り返して、辛酸を嘗めた。
世の中そんなに甘くないと思い知らされた。
そして3年後、風の噂で、あの娘が結婚したと聞いた。
人生、どうにもならなくなって、詐欺ビジネスに手を染める。
あの手この手で人を騙していくうち、ある男と知り合い、彼が仲間とお金を出し合って起業を計画していることを知る。
聞けば、なかなかの規模の会社を起こそうと、かなりの資金を準備しているらしい。
うまく口車に乗せて、あの手この手のノウハウを駆使して、そのお金を根こそぎ奪い取った。
そして10年後、あの娘と再会を約束した空き地に、俺の名前を冠したビルを建てた。
今さら会えるわけもないと思っていたが、この思い出の場所を失いたくなかった。
あの娘は今頃、どこで何をしているのだろう。
約束の日の朝、出勤すると、
懐かしい後ろ姿がそこにあった。
信じられない思いで、「やあ」と声を掛ける。
我ながら間の抜けた再会の言葉だったが、
振り返ったあの娘は、あの頃と何も変わっていなかった。
その先のことは、修羅場があったりロマンスがあったりだが、それはまた、別のお話。
ただ、このビルを建てた資金のほとんどが、彼女の夫が用意したものだということは、墓場まで持っていくつもり。
あなたより早く、人生を終えるかもしれない。
最期の瞬間に、どんな表情を見せてくれるんだろう。
今まで、たくさんの表情を見てきたけど、
お別れのその時は、特別な笑顔で見送って欲しい。
たった二人で、ふたつの命を生み出した。
産声を上げ、言葉を覚え、成長していく命を。
あなたのおかげで、こんな奇跡を起こすことが出来た。
かけがえのない存在と人生をともにする幸せを与えてくれた。
でもいつか、この幸せにも終わりが来る。
すべてとサヨナラしなきゃいけない時が来る。
悲しいけれど、切ないけれど、
この幸せに出会えない人生を送っていたとしたら、
きっと世の中に希望を見い出す努力もしていなかったと思う。
人はいつだって、誰かを必要としてる。
一人でだって生きていくことは出来るけど、誰かのために生きることは出来ない。
誰かのために生きて、その誰かに見送られる幸せは、
人生の最期に与えられる最高のプレゼントなんじゃないだろうか。
だからこそ、伝えたい。
一緒にいてくれて、ありがとう。
この広い世界で、俺と一緒にいてくれて、ありがとう。
ヒーローでもアイドルでもなく、日々の生活を守ることに精一杯の、ありふれたサラリーマンでしかない俺と一緒にいてくれて、本当にありがとう。
あなたより早く、人生を終えるかもしれない。
最期の瞬間に見せる表情は、
今まで与えてくれた幸せに力いっぱい感謝を込めて、
とびっきりの笑顔でありたい。
必ず成功してみせる。
彼はそう言って、あの空き地の片隅で私に約束してくれた。
必ず成功して、君に改めてプロポーズするから、10年後の今日、この場所でまた会おう。
そして彼はいなくなった。
でも、私は知っている。
実力が伴わず夢ばかり見ている人だった。
今回も口先だけで、うまくいくはずがない。
ましてや10年後なんて…本当に信じて待っていてくれると思っているのか。
私は新しい彼氏を作り、3年後に結婚した。
仕事の出来る人だと思っていたが、ギャンブルにのめり込んで家計は火の車だ。
それでも、あの日の約束を信じ続けて10年待つことの愚かさに比べれば、と思い日々を過ごした。
突然夫が、仕事をやめたいと言い出した。
新しい事業を立ち上げて、必ず成功させると。
デジャヴな気がしたが、彼は話を勝手に進め、そして失敗した。
そこからは…話したくもない日々が続いた。
気付けば、10年の月日が経っていた。
約束の日の朝、私はふらりとあの場所へ向かう。
どうするつもりだったのかも分からない。
とにかく、現状から逃げ出したいという気持ちが強かったのだと思う。
あの空き地だった場所には、ビルが建っていた。
10年も経てばこうも変わるのか。
新しく、見上げるような立派なビルだった。
約束の通りにやって来た自分が不意に恥ずかしくなって、足早に立ち去ろうとする。
その時、入り口に掲げられたビルの名前が目に入った。
アルファベットで書かれていたが、それは、10年前に約束した彼の名前だった。
「やあ」
…背後から懐かしい声がした。
その先のことは、修羅場があったりロマンスがあったりだが、それはまた、別のお話。