タマモには右手が無い。
生まれた時から無い。
誰かと握手をする時は、いつだって左手を差し出した。
相手より先に。
左手での握手は何だかうまく力が入らなくて、
いつもお互い気まずい笑顔になった。
ある日出会ったミエロは、左手が無かった。
事故で失ったと言う。
タマモと握手が出来なくて、ミエロは片手でハグをしてきた。
傾いた感じのハグだったけど、何だか幸せな気持ちになれた。
ラックスは言葉を知らない。
一度も学校に行ったことが無かった。
だから友達がいなくて、だから競い合うことを知らなかった。
無言のままで微笑んでいる、
それだけで、いつもタマモは安心だった。
この地球上で、
何かが欠けている彼らは、
幸せの形もちょっとイビツだったけど、
足りないところを互いに補い合って、
誰よりも大切な存在になれたんだ。
誰かを頼る弱さを持たない人達よりもずっとずっと、
強い存在になれたんだ。
ある日の朝、ベッドで目覚めたタマモは、
自分の右手が存在していることに気付く。
そして、ミエロのことも、ラックスのことも、
すべてが夢だったことに。
交通事故で入院していた、
病院のベッドで見た夢だったことに。
「あんなに大きな事故だったのに、
これだけのケガで済んでホントに良かった」
誰もが言う。
でも、タマモはとてつもなく大きな喪失感を感じていた。
事故はタマモの両親や兄弟を奪い、
彼をこの世界で、ひとりぼっちに変えていたから。
互いの足りないところを補い合って、
支え合うのが家族なんだって気付く。
ミエロもラックスもいないこの世界では、
気まずい笑顔の握手しか出来ない。
そう思っていた。彼女に出会うまでは。
リハビリ施設で出会ったマリスは、両目が見えなかった。
子供の頃、タマモと同じような事故に遇い、
視力を失ったと言う。
とても辛い経験だったけれど、
世の中の汚れや不埒な現実を見ずに生きてきた彼女の心は、
とても綺麗だった。
タマモは彼女に恋をして、溢れる気持ちを伝える。
右手を差し出し握手をして、告白をして恋人になって、
プロポーズをして夫婦になった。
そして、子供が生まれて、
また、家族になる。
タマモは、二人の子供達に、
ミエロとラックスという名前を付けた。
誰が考えたんだろ。
唇と唇を合わせようなんて。
人間以外はしない訳で。もっと先のことはするのに。
アメリカではもっと気軽に交わされてるKiss。
でも、誰とでもしていい訳じゃないKiss。
きっと、いろいろあるうちの愛の形のひとつ。
恋愛ドラマなら必ずと言っていいほど描かれるシーン。
でも、冷静に考えると、誰に教わった訳じゃないのに、何故これをしたいと思うのか。
本能?人間だけの?
それとも刷り込み?
個人的には、刷り込みに一票。
だって、動物の本能ではない訳だから、人間だけがドラマや映画を観て、「ああ、恋人同士になったら、こーゆーことをするんだ。なんかいいな」って刷り込まれるんじゃないのかなって。
だとしたら、まんまとハマってる訳だ。ドラマとか映画の罠に。
まあ、罠だとしても…したいけど。
じゃあ、そーゆーシーンを一切見たことのない人は?
したいとさえ思わないのか。
んー、そんな境遇で育った人なんてそうそういないから分からんな。
今や世の中にはKissがあふれてる。
アメリカほどじゃなくても、キスシーンは見せ場のひとつだからね。
そうしてウブな少年少女は、「いつかきっと自分も…」と夢を馳せる。
甘酸っぱいレモンの味とか、いったいどこから出てきたんだか。
それもドラマや映画の刷り込みなのかな。
…そんな訳ないのにな。
今夜もとりとめがない。
人生100年時代の半分を生きてる人間に、このテーマでものを書くのはなかなかの試練だ。
いや…それだけ生きて経験をしてるからこそ書けることなのか?
でもまあ少なくとも、これで物語を作るのは早々に諦めた。
そーゆーのを楽しんだ時代はとうに過ぎてるから…いや待て、今は人生100年時代じゃないか。
アメリカを見習って、ドラマや映画に影響受けて、
限界を自分で作るな、人生を楽しむことに終わりなんかない。
よし、これからも希望を持って前進あるのみ、だ。
…って、何の話だったっけ?
1000年前に書かれた物語が、今も残り、時代を越えて読むことが出来るように、現代の作品も1000年先まで残り、未来に生きる人達に読まれるのだろうか。
だとしたら、どの作品が?
伊坂幸太郎とか、東野圭吾とか、1000年後の未来人はどう感じるんだろう。
そもそも、その頃には殺人事件なんてものが無くなってたりして。
平安時代の書物が、その時代を感じさせるものであるように、テレビとかスマホとかパソコンでさえも、「何それ?」って思われるような世界なのかな。
そしたら、紙の本なんて存在しなくて、物語はどう読まれるんだろう。
例えば、装置の付いた帽子をかぶったら、頭の中に物語が文字で流れてくるとか。
Audibleが進化したらそうなるかも。
物語が残るとして、いや、言葉が残るとして、自分がこうして書いた拙い文章を、誰かが目にすることはあるのだろうか。
データとして記録されていて、Web上にアップロードもされてる。
小さな偶然が重なって、1000年先もデータがどこかに残ってて、誰かがまるで古文書を読むように「何だこりゃ?」って思う日が来るかも。
そしたら、1000年先の未来に、自分の思いがほんの少しでも伝わったってことになる。
いや、1000年先とは言わず、100年後だっていい。
🖤は貰えないけど、それは少し夢があるな。
下手な鉄砲も数打ちゃ当たるって言うし、たくさん書きまくってたら、どれかは...いや、やめとこう。
今の自分の気持ちを文字にして、今読んでくれる人がいるなら伝えたい。ただ、それだけだ。
1000年先の倫理観なんてまるで想像出来ないし、共感してもらえる人が少しでもいる世界で書いてたい。
🖤のパワーは凄いんだな。
書こうって思える原動力になる。
まあ、逆に言えば、自分のいない世界で何のリアクションも無く読まれていたとしても、それはやっぱり楽しくない。
紫式部も清少納言も、欲しかったのは1000年後の賞賛じゃないんだろうな。
あの日を思い出した。
我が家の末っ子として迎え入れて、
娘二人の弟分として家族の一員となった猫。
13年生きた。
彼が死んだ日、壊れたように泣いた。
こんなに泣けるとは思わなかった。
息が苦しくて、胸が苦しくて、それでも涙は止まらなかった。
弟だったのに。
末っ子だったのに。
なんでお姉ちゃん達を追い越して、
一人で先に逝ってしまったのか。
言葉も交わせないまま過ごした日々だったけど、
自分にとっては…たった一人の息子だった。
あの日を思い出すと、今でもまだ泣ける。
もう4年が過ぎたのに。
今夜もこれを書きながら、お風呂で一人泣いた。
きっと、俺の心の何処かに、
今でもアイツの勿忘草が咲き続けてるんだと思う。
小さくて可愛い無数の青い花に囲まれて、
じゃれ遊ぶアイツの姿が、目に浮かんだ。
「ブランコ効果って知ってるか」
「なにそれ」
「吊り橋効果みたいなもんでさ、二人で並んでブランコに乗ってて、その揺れがピッタリ重なったまま、3分が過ぎると恋愛感情が生まれるらしい」
「吊り橋効果とはちょっと違うな。何の根拠もない」
「根拠は、気が合う二人ってことだろ。知らんけど」
「そんなんで恋が芽生えたら、明日はバラ色だよな」
「…やってみるか?」
高校生。柔道部の二人。
そのガタイはブランコには似合わない。
でもきっと彼らは、明日もまたこの公園に来て、このブランコに乗るだろう。
まるで、恋人同士のように。
そう、
彼らの明日はバラ色なのだ。