1000年前に書かれた物語が、今も残り、時代を越えて読むことが出来るように、現代の作品も1000年先まで残り、未来に生きる人達に読まれるのだろうか。
だとしたら、どの作品が?
伊坂幸太郎とか、東野圭吾とか、1000年後の未来人はどう感じるんだろう。
そもそも、その頃には殺人事件なんてものが無くなってたりして。
平安時代の書物が、その時代を感じさせるものであるように、テレビとかスマホとかパソコンでさえも、「何それ?」って思われるような世界なのかな。
そしたら、紙の本なんて存在しなくて、物語はどう読まれるんだろう。
例えば、装置の付いた帽子をかぶったら、頭の中に物語が文字で流れてくるとか。
Audibleが進化したらそうなるかも。
物語が残るとして、いや、言葉が残るとして、自分がこうして書いた拙い文章を、誰かが目にすることはあるのだろうか。
データとして記録されていて、Web上にアップロードもされてる。
小さな偶然が重なって、1000年先もデータがどこかに残ってて、誰かがまるで古文書を読むように「何だこりゃ?」って思う日が来るかも。
そしたら、1000年先の未来に、自分の思いがほんの少しでも伝わったってことになる。
いや、1000年先とは言わず、100年後だっていい。
🖤は貰えないけど、それは少し夢があるな。
下手な鉄砲も数打ちゃ当たるって言うし、たくさん書きまくってたら、どれかは...いや、やめとこう。
今の自分の気持ちを文字にして、今読んでくれる人がいるなら伝えたい。ただ、それだけだ。
1000年先の倫理観なんてまるで想像出来ないし、共感してもらえる人が少しでもいる世界で書いてたい。
🖤のパワーは凄いんだな。
書こうって思える原動力になる。
まあ、逆に言えば、自分のいない世界で何のリアクションも無く読まれていたとしても、それはやっぱり楽しくない。
紫式部も清少納言も、欲しかったのは1000年後の賞賛じゃないんだろうな。
2/4/2024, 1:14:04 AM