Ryu

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1/28/2024, 11:03:06 AM

あの頃 君が住んでいた街へ

一人暮らしのアパート
駅前から続く商店街
夕飯の材料を買いながら
肩を並べて歩いた

ケータイも無くて
お互いの留守電でメッセージを確認して
待ち合わせはいつも
二人で決めた看板の前

あの看板ももう無くなってしまった
綺麗なビルが建って取り壊されてしまった
駅前から続く商店街もすっかり様変わりして
一緒に買い物をしたスーパーが公園になっていた

だけどまだ 君の住んでいたアパートは残っていたよ
もう君はいないけど 確かに君はここにいた

あの頃の自分と今の自分は
何かが変わったのだろうか
君と夕飯を作りながら
あの部屋で笑っていた自分と
家庭を持ち歳を重ね
今ここに立ち尽くす自分は

気まぐれでふらりとこの駅で降りた
分かっていたけど
懐かしさが寂しさに変わってゆく
決してあの頃に戻りたい訳じゃないのに
今が幸せであることは間違いないのに

もう帰ろう
家族が待つ我が家へ
きっと君も今頃
家族に囲まれて幸せな日々を送っているのだろう
ここではない
どこかの街で

1/27/2024, 11:04:55 AM

最近こうして様々な文章に触れていたら、書くことは私達に与えられた歴然たる権利なんだと実感した。
心にある思いを自由に表現出来る。
伝えたいことを伝えられる。
文字に変えて、世界に発信することだって出来る。

そして気付く。
そのせいで、ネット上では誹謗中傷が蔓延っていることに。
自由だから、言いたいことが言えるから。

でも、本当に伝えたいのはそんなことなのか。
誰かに聞いてほしいことが、そんな罵詈雑言なのか。
自分という人間を大切に考えるなら、たとえ匿名だとしても、自分が発する言葉にはもっと思いを乗せるべきじゃないのか。

たかが言葉だ文字だと軽んじているなら、それで命を落とす人だっているという事実を、送信ボタンを押す前にもう一度立ち止まって考えてみるべきだ。
人はそんなに簡単には死ねない。
それだけの力が言葉にはあるってことを、愚かな中傷者達は分かっているのか。

ホント、そんな奴らにはいなくなってほしい。
地球に必要のない存在だ。今すぐ塵となって消えろ。
お前らは人間のクズだ。

…ほら、少し自分が嫌になった。

言葉は世界を救い、時に傷付ける。
すべては言葉によるコミュニケーションで成り立っているんだ。
それを人は、親や友達、学校や社会から学んでゆく。
そうしてたくさんの人達から教えてもらった大切な言葉を、どうして君は、人を悲しませるために使おうとするのか。
君はその言葉で、たくさんの人達に希望を与えられるというのに。

君よ、優しさを持て。
ネットの向こうに存在するのは、自分と同じように日々を生きている人間だということに気付いてくれ。
時と場所によっては、親友になり得たかもしれない存在。
間違っても、君の暇潰しのために生まれてきた訳じゃない。

…と、最近のSNS事情に思うことを言葉にすると、自分がひどく年老いた気持ちになるのは何故だろう。
やっぱり、言葉の力は偉大なんだな。

1/27/2024, 3:03:19 AM

夜のしじまを切り裂いて、サイレンが鳴り響く。
黒と白と赤のボディカラーの車達が、大通りを走り抜けてゆく。
誰かを捕えるためか、救うためか。
深夜のヒーロー達。ミッドナイト・ヒーローズ。

私達が暖かい布団の中で夢を見る頃、危険を顧みず、真っ向から悪と対峙する。
昨夜「警察24時」で見たよ。
こんな平和な日本でも、深夜の闇に紛れて様々な悪がはびこってるんだな。

怪我や病に苦しむ人達を救うため、一刻を争って現場へ向かい、生命のタイムリミットと対峙する。
最近だと「TOKYO MER」かな。
見たことはない、けど、正義感あふれるドラマだってことは分かる。

危機迫る現場から逃げ遅れた人達を命がけで救い、燃えさかる炎と対峙する。
昔「バックドラフト」って映画に感動したっけな。
アマプラで見つけたからウォッチリストに登録しといた。後で観よう。

彼らの活躍は深夜だけじゃない。
だけど、街が寝静まる安息の時間に、誰かの命を守るために自分の命をかけてくれるヒーロー達がいることを、忘れずにいたい。

クロレンジャー。
シロレンジャー。
アカレンジャー。
ミッドナイト・ヒーローズ。

今宵も助けを求める声に耳を澄ませ、闇に潜む諸悪を暴き出し、変身する術や必殺技は持たなくとも、日々戦っている彼らの活躍に、乞うご期待。

1/25/2024, 11:26:33 PM

人生、不安ばかり感じてるような気がするけど、不安が解消されれば安心を得られる訳で、不安と安心はセットなんじゃないかと思う。
山がなければ谷は出来ず、その逆もまた真なり、だ。
不安が大きければ大きいほど、それが解消した時の安心感は強くなるし、何の不安もない日々に、安心出来る要素なんて生まれるはずもない。
山でも谷でもなく、起伏のない平地なんだから。

心から大切だと思える人に出会ったら、一緒にいる時の安心感とともに、失うことに対する不安が芽生える。
大切に思えば思うほど、安心も不安も大きくなってゆく。
両極端なのに、共存する訳だ。安心と不安は表裏一体。
守るべき存在が出来ると、強くなると同時に弱くなる。
人間ってホントにメンドくさ…もとい、素晴らしい。

先日、「きっとうまくいく」というインド映画を観た。
何か不安なことがあっても、「All is well (きっとうまくいく) 」を口ずさんで、気持ちを切り替えてゆく。
不安と安心が共存するのなら、考え方ひとつでスイッチ出来るはずだ。
そしてそのスイッチは、思いのほか単純な作りだったりする。
何だか心がとても軽くなった。

朝の電車でパニック障害が起きても…
All is well. きっとうまくいく。
職場で上司とモメて険悪になっても…
All is well. きっとうまくいく。
手術が必要な疾患が見つかっても…
All is well. きっとうまくいく。

不安を安心に変えてしまおう。
否定の「不」を取って心を寄せればいい。

All is well. 大丈夫、きっとうまくいく。

1/24/2024, 1:56:31 PM

被写体が逆光なら、カメラマンは順光。
光が照らす方向によって、向かい合う二人はまるで正反対の姿を見せる。
だから人は、向き合ってばかりだと衝突するのかもしれない。
同じ方向を向いて並んで歩いていく方が、ともに太陽の光を正面から受けて、同じ気持ちで前に進めるのかも。

満月の夜に、月から見ると地球は逆光で暗がりの中、地球から見ると月は順光で真ん丸に照らされている。
この光の加減で、我々は美しい満月を見ることが出来る。
自分が逆光の時は、順光でよく見える相手のイイところを探すチャンスなのかもしれない。
たとえ普段はいがみ合っていたとしても。
だからたまには向き合うことも大切なんだな。

人それぞれ、いろんな側面を持っていて、それを頑張ってアピールすることもあれば、必死で隠し通そうとすることもある。
お天道様に顔向け出来ない、とまではいかなくても、あまり人目に付かないところにしまっておきたい自分を、誰もがいくつか持っているんじゃないかと思う。
そんな時、逆光でいることで心安らいだりするんだろうな。
いつも真っ向からスポットライト浴びて自分を演じるのはしんどいよね。

逆光とは、安らぎなり。
順光とは、輝きなり。
それが、私なりの解釈。
今、こうして書いてきて辿り着いたものでしかないけど。

もしかしたら、まるで見当違いのことを言ってたりして。
まあ、それに気付いたら、しばらく逆光で暗がりに潜んでよう。
いつかまた、真っ向からスポットライトを浴びる、その日まで。

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