もう寝ようかなんて言い合った直後だった。スマホを手に「今夜じゃん、今じゃん」と呟いた君がおもむろに窓辺に寄る。
ㅤ夜更けの月がどちらに出てるかなんて二人とも全く知らなかった。家じゅうの窓から代わる代わる、僕らは空を見上げて回る。
「こっちも違うか」
ㅤ君の離れた窓を遅れて覗き込めば、予想よりも高い位置で丸い月が出迎える。
「あったよ! ほら!」
大きな声を出した僕に、君が慌てて肩をくっつけた。
それはついこないだの皆既月食。
まん丸だった月はいま、細筆でひと撫でしたみたいに儚げな弧を描く。
「月、見える?」
ㅤ笑うとすうっと細くなる君の瞳を思い浮かべて、スマホの向こうに僕は話しかけた。
『君と見上げる月……🌙』
初めて言葉を交わした夜。
星座の名前を教える声は、いつも途中から濁ってしまう。光年の過去から兆す光が、並んで見上げた月が、ただ神々しい。
朝日の下でも淡い日差しでも、並んで歩く横顔が綺麗で。
この世のなにもかも、君だけを照らす気がした。
あの笑顔にだけは、その瞬間にだけは、嘘はなかったと信じたいけど。
僕はあの日から動けない。
思い出したいことがある。
思い出せないことがある。
『空白』
二人乗りの自転車で土手を走った夏だった。
ハンドルを握るのはなぜかいつも君の方で。
台風が過ぎ去って夏が終わると思ったのに、
めちゃ夏の匂いだねと、あの日君は笑った。
目に映る景色はすっかり変わっているけど、
君を思って見上げる空が今も僕にはあるよ。
『台風が過ぎ去って』
話の輪の中に入っていても、いつもどこかひとりきりみたいな感覚が抜けませんでした。
努力が足りないのかな。なにかみんなと違うようだけど、それは一体何なのだろう。そんなことをずっと考えつづけています。だから何をするのにもひどく時間がかかるんだと思います。人と会うのは誰であれとても疲れてしまって。帰ると二時間くらい動けなくなったりするんです。
毎日が後出しじゃんけんみたい。敗けることは初めから確定してて。そんな無理ゲー意味わかんない。先に言っておいてよと思う。勝てるわけないじゃんか。何を出すべきだったのかすら、教えてくれる人はなくて。私が間違っているってことだけが、分かるだけなんです。
努力しますから、と私は言いました。努力してるの伝わるよ、と上司は言いました。でも私たちは努力が必要のない人を選びたいんだよね、と。それで終わりでした。
ㅤひとりきりは気楽で安心で、明るい哀しさを感じます。大丈夫ひとりじゃないよ、って言われることが恐ろしかった。でも私はここへ来て初めて、ひとりきりではなくなったのかもしれません。
『ひとりきり』
ㅤ小学生の頃、図工の時間に校庭で写生をした。曇り空の広がる天候を僕はつまらないと思って、なぜか空を緑色に塗った。クラスメイトも担任教師も、不思議そうに苦笑いした。
紅い空、蒼い空は普通にあるけど、碧の空なんておかしいよ。
「なあに? 思い出し笑い?」
隣の妻がふふふと笑う。その頭上にたなびく、美しい光のカーテン。
「まあね。おかしな空の色のことを」
そう答えて、僕は彼女の手を取った。
天に近い部分から、赤、緑、青と揺らめく極光。
僕らの見上げる宙は、こんなにも色とりどりだ。
『Red,Green,Blue』